心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

皆さん、おはようございます。

 明日が終業式、そして平成29年もあと10日余りとなりました。
 皆さんはこの一年をどのように過ごしましたか?

 楽しいこともありますが、うまくいかないこと、なかなか結果が出せない・・・など、悩むこともあったのではないでしょうか?  今日は私自身が心に残った、あるお医者さまとのお話をします。

 その方は、「医師の日野原重明先生」です。
 今年の7月に105歳でお亡くなりになりましたが、聖路加国際病院の名誉院長であり、現役の医師として活躍され、地下鉄サリン事件の際は患者さんに寄り添い多くの命を救われた先生です。
 たった一回ですが、私はその先生にお会いする機会がありました。それは数年前にアルカスSASEBOでの「新老人の会」という講演会があり、そこにコーラス部として出演させていただいた時のことです。
 その時すでに100歳を超えられていましたが、しっかりとした足取りでステージに登場され、ユーモアを交えたお話を立ったままでされました。また先生が作られた歌を先生の指揮で一緒に歌うことができました。以前から有名なお医者さまとしてTVに出演されていましたので、知ってはいましたが、ピアノを弾かれることや、音楽のもつ力を重要視されていることや、NHKコンクールの課題曲の作詞を手がけられたこと。その他、たくさんの著書があり、執筆活動のために睡眠時間は4~5時間であることを知りました。それまで時間が足りないもっとほしいと毎日をあくせく過ごしていた私に、すごい先生がいらっしゃるんだなぁと、たいへん驚いたことを覚えています。
 今日はその日野原先生の「命の言葉」をひとつ紹介します。
「人生には無駄というものはないもの。
 しかし、後にならないと、その意味がわからないということがたくさんあるのです。
 つらいことでも苦しいことでも、「体験」したことは、間違いなくその人の強みになります。」

 高校生は予選会、中学生は集団行動の発表が今日は行われます。
 高校3年生、中学3年生は今日のこのひとときをしっかりと楽しみ、
 そして毎日が大切な積み重ねとなるよう応援しています。

 担当は中学3年1組の担任でした。
 今朝はこれで終わります。

 

おはようございます。3年担任、家庭科のK.Sです。 
聖和に先週、先々週とオーストラリアからの留学生が来校しましたが、私は先々週のセント・マーガレット・メアリーズカレッジもコフスハーバーも訪れたことがあります。 それは、先日同窓会の会長さんが行きたかったとおっしゃっていた「聖和シンガーズ」の引率で行かせていただきました。
 今から21年前、1996年、平成8年の夏休み、第12回シンガーズでした。
 22名の生徒と音楽の内田恵美子先生、ピアニストの小川貴之先生、コーディネーターはSr.マリーでした。私は内田先生の着物着付けなどの裏方や写真やビデオ撮影を担当しました。北のケアンズから南のメルボルンまで28日間、6つの姉妹校を訪問し、コンサートを行い、ホストしていただきました。途中のニュー・サウス・ウエールズ州ではライオンズクラブの招待ツアーとして会員様の家にホストしていただきました。大人になってからの初めてのホームステイはとても緊張し、つたない英会話にどきどきしながらもたくさんの方々との出会いがあり、忘れられない思い出となりました。 この「聖和シンガーズ」が何で始まったかというと、実は第1回目は今から44年前、1973年、昭和48年に聖和創立20周年記念として、第2代校長Sr.メリークレメントの提案で、これまでのオーストラリアからの援助のお礼として音楽による訪問を計画されたのです。コーラス隊のメンバーをどうやって決めたかというと、中学高校生、全生徒に歌のテストを行い、高校生22名、中学生3名が選ばれたそうです。 最初はこの1回だけと思われていたようですが、3年後もライオンズクラブの招待を受け実施され、その後は2年に1度のペースで、1998年、平成10年の第13回まで実に25年間実施されました。 実はコフスハーバー市との姉妹都市提携は聖和シンガーズがきっかけとなり、今から29年前、1988年、昭和63年に提携式があり、この年のコフスハーバーでの演奏会は姉妹都市提携記念演奏会となったのです。 毎回、世界の歌、日本の歌、ミュージカル、オペレッタ、ソロ演奏など工夫を凝らし、大変喜んでいただいたと13回指導、引率をされた内田恵美子先生は創立50周年記念誌に記されています。コンサートのみならず病院や老人ホーム、小学校、幼稚園などにも訪問し、日豪親善の懸け橋となって大きな役割を果たして来たのです。
 このような素晴らしい歴史をこれからもかたちを変えつつも続けていくことが大切ではないかと思います。 オーストラリアに7つの姉妹校を持つ聖和女子学院です。みなさんのアイデアや協力でこれからも素晴らしい交流を続けていきましょう。

 

おはようございます。高校2年副担任、保健体育科のK.H.です。
 長年聖和に勤めさせていただくと、当然朝の話も数多く、今日は何十回目の話になるでしょうか。年々ネタ切れ状態になり、自分の知識不足にただ反省するばかりです。今朝は私事で誠に申し訳ございませんがお許し下さい。

 12月10日の日曜日は娘の結婚式でした。
 私の娘は私と違っていいも悪いも何でもきちっとしすぎてるので結婚はどうかな~と一抹の不安がありました。娘に尋ねるといつも「30までにはするけん」という答え、娘は来年の4月で30才、まさに神に感謝という感じでした。息子の結婚式は経験してましたので今回ものんびりかまえてたら息子の時とは違った緊張感がありました。
 式が始まり、娘と初めて腕を組んで歩くなんか違和感のあるバージンロード、体育の教員でありながら娘と合っているようで合っていない全くリズム感のないウエディングステップ。新郎に娘を渡す時も、握手の手にはつい力が入りすぎ、プレッシャーを与えたのではと反省しました。続いて披露宴では多くの方に来ていただき、親として感謝するばかりでした。娘の中学校時代の恩師でその後私が生徒募集でも大変お世話になった校長先生、2年半自宅の寮で娘をあずかっていただき心と体を鍛えていただいた当時のバレー部顧問の先生、3年間連続で担任をしていただいた藤村教頭先生、あらためてありがとうございました。また、バレー部の同期は遠方にもかかわらず全員きてくてれました。そしてクラスメートだった私が顧問をしてたハンドボール部のキャプテン、彼女は私が近くに行くなりピシッと立って直立不動、いまだに私の顔を見ると緊張すると笑っていました。いったい私からどういう教育を受けてきたんでしょうね。そして、披露宴の途中では不思議な縁を感じることもありました。新郎側のご挨拶の中で上司の方が新郎新婦よりずっと前に新婦のお父様を知ってたと。私はびっくりしてご挨拶にいったところ娘さんが聖和中バレー部の卒業生で松岡先生には大変お世話になりましたと言っておられました。そして娘が在学中に春高バレー出場、今回結婚の時に再び春高バレー出場、司会者の方にも聖和高校春高バレー出場おめでとうございますとアナウンスまでしていただきました。
 いよいよ披露宴のエンディング、娘との事前打ち合わせの中で泣かせる挨拶ではなく笑える挨拶をしてくれと言ってたのですが、そうも行かなかったのでしょう。感謝の言葉の一節に次のような言葉がありました。
「高校時代はお父さんから厳しい言葉しか言われなかったけど、一度だけ部活の事で悩んでいるときに誰もいない体育館でひとこと頑張れと言ってもらいうれしかった」と。そういえばそんなこともあったなあと懐かしく思い、さすがにほろっときました。結婚式を終え、親としての責任をはたした安堵感もありましたが、いろんな事を考えさせられる結婚式でした。
 いちばん感じた事は娘は親よりも今までかかわっていただいた全ての人に育てていただいてたということ。次に思ったのは人生の中で人と人とのかかわりはホントに大事にしないといけないということ。
 みなさんはどうでしょう。人と人とのかかわりを大事にしていますか。まさか自分は一人でも大丈夫だと大きな勘違いをしてる人はいないと思いますが、どうでしょう。まずは家族、そしてクラスメート、部活の仲間など自分のまわりの人たちを大切に思って下さい。そうすれば自分も大切に思ってもらえるし、穏やかな人間関係を築くことができるでしょう。そしてそれがきっと役にたつことがくると私は確信しています。

 最後になりますが、昨夜新婚旅行先から家内の携帯に写真が送ってきたそうです。幸せそうなだんなを見ておかしくてつい笑ってしまったそうです。
 ちなみに私は見ませんでした。今朝はこれで終わります。

 

質問ですが、
「地球に住む人がもし100人だったとすると開発途上国で暮らす人はどれくらいになると思いますか?」

 答えは82人です。
 これはJICAの広告に載っている紹介文の1つです。JICAとは世界の問題を解決するための国際協力を行う機関です。
 高校1年生では先月、吉岡町にある小川工務店の社員の方が実際にJICAと連携して行った活動についてお話を聞く機会がありました。代表取締役の小川様は本校の前PTA会長で、ご自身も海外青年協力隊として活動された経歴をもたれています。
 社員の方を助けが必要な場所に派遣し、地元佐世保からでも世界的な援助をしているということ、2年間派遣国のフィージーで小川工務店の社員として働き、家庭を持ちながらでもボランティア活動できる環境を整えていることなど、たくさんお話いただきました。 また現在は24歳の女性の社員の方がセネガルで日本語を教える活動をされています。YouTubeでセネガル日本語チャンネルと検索すると日本語を楽しく話している様子が見られます。
 世界の問題をどれだけ自分のことのように考えられるのか、これから皆さんに求められるものの一つだと思います。はじめに言いましたが、一学年を世界と例えると、4クラス中3クラスは開発途上国に暮らす人々です。 いきなり自分と世界をリンクすることが難しい人は、今のうちにできるボランティア活動に積極的に取り組んでみてはどうでしょうか?佐世保にも気軽に相談に行けるボランティアセンターがあり、今日も18:45まで開いています。
 最後に、私が小川さんたちとの打ち合わせの中で心に残った言葉をお伝えします。
挑戦すべきことに 一歩踏み出した時点で 成功している。」