心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

     5年前のことですが、新聞の数字だらけの短歌が目にとまりました。
 「623 8689815 53に繋げ 我ら今生く」
 (ロクニサン ハチロク・ハチク・ハチイチゴ ゴサンにつなげ われらいまいく)
「今生く」の「生く」は「生きている」という字です。新聞の投書には8689815は広島、長崎、終戦の日とわかるが申し訳ないことに623を知らなかったとありました。
それが、昨日、沖縄慰霊の日だったのです。戦没者の慰霊に各地を訪問された平成の天皇陛下は、4つの日を記憶しなければならないと言われたそうです。
 この日の式典では毎年若い人による詩の朗読が行われていますが、この年、高校3年生の知念まさるさんの「みるくゆがやゆら(今は平和でしょうか)」は印象的で新聞やテレビでも取り上げられました。

 この詩の主人公は、作者の祖父の姉。
花を愛し 踊りを愛し 戦後70年 再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた 祖父の姉
1945年 沖縄戦で 乳飲み子を抱え 22才の夫を亡くします。
彼女のもとに届いたのは 戦死を報(しら)せる紙一枚、
戦いの跡へ 夫の足跡を求め探しまわりましたが、遺骨など見つからず
拾ってきた小石を、骨壷(つぼ)に入れて埋葬するしかありませんでした。


この体験を作者は、彼女の母であるひいおばあさんの手記や家族の話から知ったようです。彼女が自分から話すことはなかったのでしょう。


それから70年 90才を超えて 老人ホームで暮らす彼女は認知症を患います

自分たちの幸せを奪った 戦争のすべての記憶が 闇へ消えて行こうとしている
その記憶を呼び止めようという思いを
夫に先立たれた女性を歌った「軍人節」という歌に込め 何十回も口ずさむ
それでも自然の摂理は 彼女の記憶を風の中へと消してゆく


忘れられない悲しみを、忘れていく、それは彼女にとってよいことなのか。作者は彼女の体験をとおして戦争の一面を語り、今は本当に平和なのか、と問いかけるのです。


コロナの影響で、今年の追悼式は参加者を大幅に制限して行われ、初めて予定されていた長崎市長の出席も中止となりました。沖縄の戦争で亡くなった人は20万人を超えると言われています。


もうすぐ629、佐世保大空襲の日。佐世保でも規模を縮小して追悼式が行われます。それ以前にも空襲はあったようですが、発表が禁じられ被害の詳細は明らかでないといいます。戦後75年を迎え、身近に体験者がいなくなりつつある今、追悼の日の報道には心を寄せて欲しいと思います。

 徒歩で登校する生徒のみなさん。校舎横の坂、植込みの花に気づきますか。「ランタナ」という花です。2年前に管理人Yさんに指導してもらい、バレー部の活動で植えた小さな苗が、今では立派に根付き綺麗な花を咲かせています。

 この6月で50代に突入しました。一日一日に向き合い生活をし、気が付けば50歳。年をとることの速さに驚きます。私は40代後半から、草花に目が留まるようになりました。それまでは草花など全く興味もなく、見向きもしなかったので、なぜなのか、自分でも不思議です。

 『非認知能力』という言葉を知っていますか。IQや学力テストなど文字や数字の結果として表れてくる能力を「認知能力」と言います。反対に、IQや学力テストに表れないすべての能力を『非認知的な能力』と言います。自尊心、自制心、自立心、協調性、などです。

 情報を処理するなどの「認知能力」を最も得意分野とするのがAIです。将来、このAIに仕事がとってかわられると言われている現在、人間が持つ力は何か。幸せになるにはどんな力が必要か。こんな視点から注目されるようになってきたのが『非認知能力』です。

 挨拶、返事、思いやり、我慢、集中力、やる気、やり遂げる力。この『非認知能力』があらゆるところで、非常に大切だと注目され始めています。私たちの生活の当たり前!が学術で証明されてきています。

 また、学力テストの結果などの「認知能力」は『非認知能力』のもと積みあげられていきます。逆に「認知能力」が『非認知能力』の力を引き上げることはないと言われています。

 テストの成績や知識量で『頑張る力や思いやり』を育てることできない。『頑張る力や思いやりの心』はテストの成績を上げる力になるということです。

 聖和に来て5年が過ぎましたが、他校と比較して、この『非認知能力』がとても高いのが聖和の生徒の皆さんだと感じます。笑顔のあいさつ、助け合い、共に活動する力。これらの『非認知能力』が学校行事や部活動、日々の学校生活の中で生きています。

 草花で言えば「根っこ」になるのが『非認知能力』。草花も人間も「見えない根っこ」をしっかりと張ることで、自分の花を咲かせることができます。

 みなさんが幸せになるために、とても大切な行動習慣を学校生活の中で学べていることに気づいてください。校門での感謝の一礼。聖和女子学院の生徒らしい身だしなみ。明るい挨拶と笑顔。思いやりがあふれる学校生活。校内に咲く花々に目を向けながら、これからも『非認知能力』を高めていきましょう。

 

早速ですが想像してみてください。

中間考査が近いので、例えば「急に家の用事が入り、勉強があまりできておらず、試験まで1日しかない」という状況のとき、この立ちはだかる「困難」に対して、どう向き合い、対応しますか?

 

皆さんには、困難に出会ったとき「困難を逆手にとり、チャンスに転換できる能力」を身に着けてもらいたいです。

 

私は今年度月までは先生ではなく、普通の会社員として製品の販売部署を担当していました。同じ製品を同じような対象・対象規模に販売していても、私が所属していたところの実績と他のあるところでは実績に大きな差があるところもありました。

このことに関して、取引先の方がおっしゃっていたのは、
「高価だから製品を購入してもらえない。なら、安くすれば買ってもらえるわけでしょ?このように、できない理由を探すのではなく、この困難を強みにするためにできることを探しているかの違いですよね」ということでした。

 

「困難」ということは、ほぼ「自分ではどうにもできない事実」ということです。事実はどれだけ嘆いても変わることはありません。なら、自分がその事実の受け止め方を変えたり、事実に対する行動を変えたりするしかありません。

皆さんもそのうち社会人になったら必要となるスキルです。

 

冒頭の例で言えば、勉強をあと1日でしなければならないようなとき、例えば「自分に合った簡単にできる勉強法を見つけるチャンス」ととらえて勉強したりすることです。

他にも「もうわからない!」と嘆くだけの人もたまに目にしますが、嘆いていても仕方がありません。「わからないならどうすればいいか」ということをすぐに考えられるようになってください。

 

今後、皆さんの人生の中で必ず「困難」が訪れます。そのときに「困難を逆手にとれるように」意識してもらえると幸いです。

 

おはようございます。
 みなさんは、昨年4月の東京大学入学式で上野千鶴子教授が述べた祝辞の内容を知っているでしょうか?
性差別問題に触れたあの祝辞は賛否両論を巻き起こしましたが、私には共感できる部分が多くありました。


私は22歳で大学を卒業し今年の3月まで民間企業で働いていました。結婚したのは27歳の時で、その後二人の子どもを出産しました。仕事の都合上、二人とも1歳になる前に職場復帰をしたので、「ママがいい、ママがいい!」と言って泣く子どもたちを無理やり保育園に預けて仕事に行かなければならないとき、「本当にこれでいいのだろうか」と胸が締め付けられる思いでした。職場に復帰してからも、子どもの体調不良や行事ごとなどで以前と同じように働くことができず、つらい思いもたくさん経験しました。


共働きが当たり前になっている時代です。

結婚、出産を経て働き続けるのは、周りの協力が必要不可欠です。
家族や保育園、会社、同僚、たくさんの人に支えられて、私は今こうしてみなさんの前に立つことができています。
 みなさんのご家庭でも、お父さんお母さん両方が働いていますという人は多いのではないでしょうか。
今日、みなさんが持ってきているお弁当を、自分で作ってきましたという生徒は何人ぐらいいますか?

勉強や部活で毎日が精一杯かもしれませんが、それはお父さんやお母さんも同じです。
みなさんがこうして学校に来れていることは、みなさんの努力の成果だけでなく、そうしてくれる環境があることを忘れないでください。周りの環境が、あなたたちを励まし、背中を押し、手を引いてくれているのです。


みなさんがこれから歩んでいく人生は、選択の連続です。高校を卒業したら、就職する人も進学する人もいるでしょう。その先には、結婚や出産を経験する人もいることでしょう。

 たくさんのことで悩み傷つくこともあると思いますが、その時、自分が一番大切にしなければならないことを見失わないでください。そして、他人を思いやることができる心を育んでいってください。
あなたたちのこれからの人生が輝かしいものであることを心から願っています。

 担当は、高校1年副担任、数学科のE.Yでした。