心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

 今日は満月、昔の暦、旧暦では6月15日です。日本では明治の初めまで、月の満ち欠けをもとにした暦が使われていました。月が見えない日を新たに月がうまれる日と考えて新月と呼び、その日を一日(ついたち)として数える暦です。暦がなくても月を見れば今日が何日か分かる、ある意味便利なものでした。

 新月から次の新月までの期間は29.53日。29日より半日長く、30日には半日足りないため、29日の月と30日の月を交互に繰り返すことにしました。今でも大の月と小の月が交互に現れるのはその名残です。
 29日の真ん中が満月の十五夜、さらにそのほぼ真ん中が7日で半月、上弦の月と呼ばれます。弦とは円周上の2点を結ぶ線分のことで、弦が弧の上側にあるから上弦の月と理解しています。

 さて、7月の行事と言えば七夕。今の時期、夕方頭の上に最初に光り出す星、いわゆる一番星が織り姫星です。そのそばを南から北に繋がる雲のような帯を、西洋では「道」と呼びましたが、中国では「川」と見なして、川の反対側に輝く彦星とつなげて牽牛と織女の物語をつくり、それが日本に伝わりました。

 七夕伝説は諸説ありますが、私は上弦の月を船に見立てて、天の川を渡るという話が気に入っています。今の暦は月の満ち欠けと関係なくなってしまいましたが、旧暦では7月7日は必ず上弦の月であり、晴れれば天の川の西に月の船がいるのです。この季節、この船が天の川を渡ることはありませんが、先に月が沈んで暗くなった空で2つの星と天の川が輝きを増すという光景もまたよしです。

 ところで、皆さんは最近天の川を見たことがあるでしょうか。ある研究によると、日本人の7割が天の川が見えない地域に住んでいるそうです。原因はもちろん光。街の明かりが、空気中のゴミに反射して夜の空が明るくなり、暗い星が見えなくなっているのです。皆さんの家からはどうでしょう。明るい夜が昆虫や植物、そして人間の体に及ぼす影響についても研究が進められています。
 昨年、空気の澄んだ星のよく見える場所に気づきました。世知原少年自然の家です。
15年に一度の火星大接近で話題となった昨年の夏、世知原では火星が燃えるように輝いていました。

 最近は、旧暦の七夕の日を[伝統的七夕」と呼んでいるようです。今年の伝統的七夕は、8月7日、何と学習合宿の最終日。前日の夜、世知原で星空を見ながら七夕伝説に思いをはせることができたらなんと幸運なことでしょうか。
 いよいよ夏休み、S-term 。ひとり一人が自分を高めるために主体的に活動する期間です。勝負の夏を迎える3年生の皆さん、合宿が楽しみですね。
  

 みなさん、うきみそーち。わんなーや野村夏姫やいびーん。改めましておはようございます。沖縄出身ということで、琉球方言であいさつをしてみましたが、聞き取れたでしょうか。先日セブンイレブンが初めてオープンしたとニュースになっていた沖縄ですが、みなさんもご存じの通り、沖縄はとても独特な文化を持っています。そんな場所で過ごしていた私が、今日は少しだけ文化についてお話をしたいと思います。

 私は4年前に長崎に来ましたが、沖縄にいた時よりも今のほうが沖縄の文化や伝統について考えることが多くなりました。それは、私が長崎の文化を経験したからだ、と思っています。
 皆さんと話していて、「荷物をからう」「箒ではわく」などたくさんの長崎弁に触れたこそ、自分の持っている方言について考えるようになりました。長崎の「ちゃんぽん」や種類の豊富な「天ぷら」を食べたからこそ、自分の食べてきた伝統料理について考えるようになりました。

 別の文化を知ることとは、実は自分の文化を知ることと同じなのです。他との違いを知ることで、自分が当たり前だと思っていた文化が特別なものだったのだと、初めて知ることができるのです。

 近年よく話題に上がる“異文化理解”とは、自分自身の文化を知ることにもつながるのです。
逆を言えば自分の文化をよく理解していると、他の文化の良さや、違いをより一層感じることができます。
 もうすぐ、夏休みがやってきますが、佐世保の文化を知るためにも、ぜひ色んな県や国を訪れてみてください。外に行った分だけあなたの文化は広がります。あなたの文化を、どんどんグローバルなものにしていってください。
 中学一年副担、英語科のN.Nでした。
今朝はこれで終わります。

卒業式を2日後に控えた今、卒業生である、高校3年生、中学3年生のみなさんはどんな気持ちですか。この聖和女子学院にはたくさんの思い出があるかと思います。今日は私が高校を卒業したときの一番心に残っていることをお話したいと思います。

 それは友達との出会いです。私は、心から信頼できる友達と出会い、苦しいときも楽しいときもいつも一緒でした。ある日その友達から、彼女自身が読んでいた本の内容について話を切り出されました。

ナイアガラの滝を、命綱なしで綱渡りする達人のお話です。
事前に載った新聞広告を見て5000人の人が集まり、綱渡りの達人は観客にこう言います。
「わたしが無事に渡れると信じる人はいますか」
観客は拍手で彼が渡れるということを示し、彼はそれをやり遂げます。

もどってきた彼は、次にこう聞きます。
「私が手押し一輪車で渡れると信じる人はいますか」
観客は、またも拍手で応援します。そして彼はやり遂げます。

彼はまた戻ってきてこう聞きます。
「私が誰かを背負って渡れると信じる人はいますか」
観客はさらに大きな拍手で信じていることを示します。

そこで彼は聞くのです。
「誰かわたしの背中に乗る人はいますか」
この質問に誰一人拍手を送る人はいませんでした。

しかし彼の親友が背中に乗ると言います、そして彼は無事にナイアガラを渡り、その親友はおんぶされてナイアガラを渡った初めての人となりました。

この話を終えた友達は、わたしにこう聞きました。
「わたしが綱渡りするって言ったら、私の背中に乗る?」わたしはこのとき、彼女に何と答えたと思いますか。

私の頭の中で出た答えは「乗らない」でした。これは乗ることが嫌だったわけではなく、そんな危険な状況にチャレンジしようとする友達を止めるつもりでの言葉でした。
とりあえず、私が「乗らないよ」と返事をしようとした寸前で、彼女は言いました。
「私だったら絶対乗るよ」私はその一瞬にして、彼女に「私も乗るに決まってるじゃん」とウソをつきました。そのときの友達の表情はとても嬉しそうでした。私も笑っていましたが心の中は複雑でした。彼女の顔を見て、背中に乗る、乗らない、の話ではなく、わたしがたとえどんな難しい状況にいても、どんな決断をしたとしても、絶対に信じるよ、という彼女の思いが伝わってきたからです。
 わたしが考えた、乗らない、という選択が間違っていたとは思いません。しかし、彼女の言葉を聞いて、私だって即座に「もちろん、乗るよ」と答えたかったのです。私だっていつだって彼女のことを信じていたはずだからです。

 あれからもう7年が経ちますが今でもその友達とは親友です。それでもあの時「乗るよ」、と一言(ひとこと)言えなかった自分に、今もずっと後悔しています。そのかわり自分の中でこの7年間彼女がどんな選択をしても絶対に信じて応援しよう、と思い続けてきました。
 一番近くにいましたから、たくさんケンカもしました。たくさん泣きました。でも彼女ことが大好きです。
 その友達は現在韓国の大学にいます。この春卒業です。この数年会えることは少なかったけれど行動力のある彼女なら絶対に大丈夫だと信じてきました。無事に卒業できることに私も心から祝福しています。

 皆さん、学校は勉強したり、部活をしたり様々な経験をする場所です。そこにはいつでも、そばに友達がいるはずです。大事にしてください。時間をかけてください。そしていっぱいケンカもしてください。心から信頼できる人がいるということは自分自身をとても強くしてくれます。たとえ遠くに離れることになったとしても、です。

 みなさんにもかけがえのない友達ができて、そこにこの先ずっと続く信頼が生まれることを願います。

   50年前の1969年7月20日アポロ11号が月面着陸に成功しました。
 ロケット開発の中心にいたのはフォンブラウンという科学者です。第2次世界大戦の終わり頃、ドイツは長距離ミサイルV2の開発に成功しました。ヒトラーの指示でこの技術開発にあたったのが彼だったのです。超音速で飛び、避けようのないこの兵器はドイツからロンドン、ベルギーに向けて4千発ほど発射され、約半分が命中して市民を不安に陥れました。

 戦後、ミサイル工場はソ連、ソビエト連邦と言いその大部分は現在ロシアと呼ばれていますが、そのソ連に押さえられ、彼はアメリカに投降しました。ロケットに関して「ソ連は技術を取り、アメリカは人を取った」と言われたそうです。
 その結果、1957年、ソ連が世界初の人工衛星を打ち上げ、アメリカを驚かせました。スプートニクショックと言います。さらに61年、ガガーリンが人類で初めて宇宙を飛んで戻ってきました。彼の「地球は青かった」という言葉は有名です。

 アメリカとソ連が対立していた時代、宇宙開発での巻き返しを図ったケネディ大統領が「この10年が終わらないうちに、人間を月に着陸させ、安全に帰還させる。」と宣言して、アポロ計画が始まりました。そして、フォンブラウンを中心としたチームが多くの苦難を乗り越え、60年代最後の年、人類は月に到達したのです。

 この瞬間は日本にもテレビ中継され、世界では4億人の人が見たと言われています。
 最初に月面に降り立ったアームストロング船長の言葉「小さな一歩、大きな飛躍」は、大きな写真入りで翌日の新聞一面を飾りました。

 このアームストロング船長を主人公にした映画「ファーストマン」が公開中です。これを見ると「月に行く」ということがどれほど命がけの危険な計画であったか改めて分かります。心配する家族に彼は「仕事だ」と言って出かけるのです。後に彼は成功の可能性は五分五分と思っていたと語っているそうです。
 五分五分の可能性を成功に導いたのは、地上からバックアップするスタッフ、様々なケースを想定した厳しい訓練、そして絶対に成し遂げるという思いの強さだったのではないでしょうか。

 国公立大学2次試験まであと5日となりました。ABCDそれぞれに判定を背負っての挑戦となりますが、判定を合格に変える力となるのは、支えてくれる周囲の人、周到な準備、そして何より受験生ひとり一人の思いの強さです。最高の準備をして平成最後の国公立大合格を勝ち取ってください。

おはようございます。家庭科のSです。
聖和女子学院に導かれ38年。
多くの先生方、生徒、保護者の皆さんとの出会いがありました。
クラス担任をどれくらいしたのか、数えてみました。こんな時クラス写真が役に立ちます。
高校1年担任が11回、高校2年、3年続けて持ち上がり担任が6回、高校2年のみ担任が1回、高校3年のみ担任が3回、中学2年、3年続けて持ち上がり担任が1回、
合計29回やってました。

一番人数の多いクラスが昭和60年の51名、一番人数の少ないクラスは平成28年、29年の13名です。
担任として一貫して行ってきたことは、生徒一人一人の誕生日にメッセージカードをプレゼントしたことです。

担任したクラスの生徒さんのことは、名前は忘れても顔は忘れません。
何事もなく上手くいったクラスなんてありません。
大変なこともありました…。
もちろん いい思い出がたくさんあります。

長年高校の担任から中学の担任をしたときは、初めてで戸惑うことばかりでしたが、中学生の発達段階として女の子からグッと大人の女性になっていく成長を感じたり、総合学習で取り組んだ食育講演や弁当作り、商品開発などの食育活動は、家庭科教員として勉強になり、貴重な体験が出来ました。

高校では、何といっても高3担任として生徒の人生の岐路に立ち合うことは、教員としての醍醐味です。生徒一人一人の進路にたずさわり、卒業式を迎え、送り出す喜びは何度経験してもいいものです。

皆さんには、担任の先生との出会い、クラスメートとの出会いを大切にして欲しい。
残り少ない今のクラスでの貴重な日々を、いっぱい勉強し、いっぱいしゃべって、喧嘩したり笑ったり楽しく過ごして欲しいと思います。
そして、皆さんのために日々奮闘している担任の先生に感謝してください。いろいろあったけどいいクラスだったと言えるような締めくくりにしてくださいネ。

 さかのぼること、約4か月前、暑かった8月の広島。私は『やなせたかし展』という企画展を観に、美術館へ足を運びました。やなせたかし、ご存知ですか?『それいけ!アンパンマン』の生みの親です。『てのひらを太陽に』、という歌の作詞をされていることでも有名ですね。

 

 

 兵隊として、ご自身も第二次世界大戦を経験され、大切な弟を戦争で失っています。そして、深刻な食糧不足も目の当たりにしていて、インタビューでは、「『正義の味方』だったら、まず、食べさせること。飢えを助ける。究極の正義とは飢えている人に食べ物を与えることである」と答えています。

 

 

 94歳で亡くなるまで、多忙な日々を過ごしながら、90歳を超えても、毎朝6時には起き、6時半のテレビを観ながら、軽い体操として40回の腕立て伏せを続けていたそうです。ちなみに2009年には、1768、という最もキャラクターの多いアニメとして、『アンパンマン』はギネス記録にも認定されています。こどもたちや社会、世界に夢や元気を『与える』人は、人一倍健康に気を配り、体力を大切にしていたことが分かります。展覧会ではやなせさんの平和や愛に対するこだわり、弱い人間、弱い自分、人生で必ず訪れる苦しみ、矛盾、別れに対してどう向き合うべきか、そんな問題意識を作品でどう表現しようとしたのかを学ぶことができました。

 

 さて、仮面ライダーやウルトラマン、プリキュア、なんとかレンジャー、スパイダーマンなど、世界は正義の味方だらけです。そんなヒーロー、ヒロインたちと、アンパンマンとの決定的な違いは何でしょうか?

 

 

 ヒントは、「僕の顔をお食べよ」。そうです、単純に敵を倒すだけではなく、助けた相手に自分の顔を惜しげもなく『与える』、というところ。もう1つ、完全無敵に近いヒーローが多い中、アンパンマンは相手からの攻撃で体中にカビが生えたり、水に濡れてしまえばめちゃくちゃ弱くなり、ピンチを迎えてしまう、という意外な弱さを持っているところ。もちろん、いざという時はむちゃくちゃ強い、そんなギャップこそ、この空飛ぶ、災害対策保存食ヒーローが特別に愛されている理由かも知れません。

 

 

 1988年10月にアニメ放送が開始された『それいけ!アンパンマン』は、2018年、ちょうど30周年を迎えています。30周年公式サイトのトップページでは、笑顔のアンパンマンとバイキンマンのツーショットを見ることができます。

 

 

 この歳になって、『アンパンマン』を時々改めて見ていたら、気付くこと。主人公はもちろん、作品全体を通して、キャラクターたちがそれぞれ『挨拶』や『礼儀』を大事に、当たり前にしていることです。これも他のヒーロー作品とは違うところでしょうか。「こんにちは、行ってきます、お帰り、ありがとう」の挨拶が、アンパンマンワールドでは当たり前に交わされ、戦う前には「やめるんだ!!バイキンマン!」と声を掛け、アンパンチで吹っ飛ばされていくバイキンマンでさえ、何と毎回「バイバイキーン」とお別れの挨拶を残しています。ひねくれもののバイキンマンは、たまに女性や子供キャラが登場すると、乱暴な言葉遣いをしながらも、律義にそのキャラをフォローしたり、方法や手順を教えたり、最後まで行動を共にしてくれたり、マメな一面もあって、憎めないなぁと思います。作者のやなせさんは、「菌がこの世から消えない限り、バイキンマンとアンパンマンは永遠に戦い続ける」とおっしゃったそうです。パンを作るためには、イースト菌が不可欠なので、この言葉は心に残りました。

 

 

 やなせさん、アンパンマン、バイキンマン、共通しているのは元気の塊だったこと。「元気ですか?元気があれば何でも出来る!」とは、あるプロレスラーの決め台詞ですが、寒さや病気、テストなんかに負けないで、しっかり食べて声出して、苦しむ人と、ともに苦しんで、喜ぶ人と、ともに喜んでください。そのために、頭も含めた体力づくりをちょっとずつ年末年始に行ってみてください。

 

 

 担当は、しょくぱんマンに似ているね、とよく言われる一年生副担任、Oでした。今朝はこれで終わります。

おはようございます。
みなさんは今、何か目標を立てていますか?また、その目標達成に向けて努力をしていますか?
目標を達成するためには、そこにたどり着くまでの過程が大切になってきます。
目標とするものは、「試合で成績を残す」や、「志望校に合格する」など様々だと思います。その目標のために、どれだけ万全の準備ができたかが大切なのです。

 私が尊敬している方の一人に、サッカー日本代表にも選ばれていた、長谷部誠さんという方がいます。その方は、試合の日までにさまざまな準備を行っています。長谷部さんが書かれた「心を整える」という本の中から、1つ例を挙げてみると、「一日一回、深呼吸をして、必ず心を鎮める時間をつくること」があります。
 具体的に何をするかというと、「自分の部屋の電気をつけたままにして、ベットに横になる。音楽もテレビも消す。そして、天井を見つめるようにして、息を整えながら全身の力を抜いていく。」ということを行います。ここで大切なことは、緊張や不安からわき起こる、様々な感情で騒がしくなっている心を少しずつ鎮めることです。この習慣のおかげで、「どんなに葛藤を抱えても、翌朝には平常心で部屋を出ていくことができた」と書かれてありました。
 私はこの本を読んで、プロのサッカー選手が、「試合に勝つ」という目標のために、サッカーの練習以外にも、様々な取り組みをし、「万全の準備」をしていることに、感銘をうけたことを今でも覚えています。

 では、みなさんは、長谷部さんのように自分の目標に対して「万全の準備」をしていますか?きついから、やりたくないからといって投げだしてはいませんか?誰も気づいていないからと思って、手を抜いてはいませんか?たしかに、周囲の人に手を抜いたことは気づかれていないかもしれません。しかし、たった一人だけ、手を抜いたことに気づいている人がいます。それは「自分自身」です。
「自分自身」に嘘をつき、ごまかすことは、「自分自身」を傷つけることになります。
一番近くで見ている、「自分自身」に胸を張れるような行動を、一日一日、積み重ねていき、目標達成に結び付けてほしいと思います。

 

10月10日は記念日の数が一番多い日。
公式に定められた記念日の数は49個あるそうです。
この日が、1999年 平成11年までは「体育の日」で祝日であったことは皆さん知らないでしょう。
現在の体育の日は3連休をとりやすくする制度:ハッピーマンデー制度 によって  2000年(皆さんが生まれた年あたり)から 10月第二月曜に変更されました。
1964年の10月10日はアジアでは初のオリンピック。東京オリンピック開会式の日でした。これを記念として「国民がスポーツに親しみ、健康な心身を培う日」として、体や健康のことについて考えたり人と関わることの大切さを伝える日としました。 体のことだけでなく、人と関わることにより心を成長させることに意味がある。 そう伝えられてきました。
2020年、2回目の東京オリンピック開会式は7月24日。政府はこの日を「スポーツの日」とする案を国会で可決・成立させています。そして、それ以降は、これまでの体育の日を「スポーツの日」と改名して、時代に合わせて新たな意義を国民に伝えていくようです。
さて、今年、9月28日 政府が「地域未来投資促進法」を閣議で決定したことがマスコミで取り上げられていました。これにより、AI『人工知能』や・IOTと呼ばれる『あらゆるものがネットにつながる技術』を開発する企業への投資が国の後押しにより始まります。国の補助金が出ることで、企業が進める開発は一気に進み、職場だけではなく家庭でも人工知能やあらゆる家電がネットにつながり、便利な生活が急速に身近なものになるでしょう。ここ数年で、更に私たちの生活の中が変わっていくようです。
生活することが「生きること」であった終戦後からおよそ、10月10日の体育の日まで。 それから、体育の日が第二月曜となり、2020の東京オリンピック以降は「体育の日」が「スポーツの日」と改名されます。これからの私たちの日常生活は、「生きること」ではなく、 AIとITOにより、便利で簡単な生活環境となります。心や体は重要視されなくても生活ができる。「生きること」ができる。そうなれば、私たちが自分の心と体を意識して、「生きること」はとても難しくなるのではないでしょうか。
これからの時代を「生きる人間」として、あなたは何を大切にしますか。
考えてみてください。

 

 

皆さん、おはようございます。

 2週続きの台風や2学期の中間考査を終え、気がつくと10月に入っていました。
日が暮れるのが早くなったり、窓から入ってくる風が少しひんやりと感じる季節になりましたね。
 平成30年度も半分が終わり、下半期に入りましたが、皆さんはいかがお過ごしですか?

 今年で第37回目を迎える「聖和 音楽のつどい」がいよいよ近づいてきました!
 今回のプログラムは(例年のプログラム以外に・・・)・・・ゲスト出演として‘江迎少年少女合唱団’の演奏や競技エアロビック、そして今年久々に結成されたシンガーズの新旧メンバーによる演奏などがあります。

 さて、今年の全校合唱で披露する曲についてですが、「セカオワ」のファンの人は涙を流して喜ばれたことでしょう!2018年、平昌(ぴょんちゃん)オリンピック・パラリンピックのテーマソングとなった「SEKAI NO OWARI」が歌う【サザンカ】です。
   ~夢を追う君へ 思い出して つまずいたなら
   いつだって物語の主人公は笑われる方だ  人を笑う方じゃないと僕は思うんだよ~
 失敗をしてもまた立ち上がり続ける限り、道は拓けてくるのだと頑張ってる「君」に向けた応援ソングとして作られています。
 では、「サザンカ」という歌詞はどこからきたのか?という疑問を抱きました。
 歌詞の中には一度も出てきません。
 その答えは・・・花言葉の意味にあるようです。

 サザンカの花言葉は、「困難に打ち勝つ」や「ひたむきさ」という意味があります。
 冬の寒さにしおれず、気高く咲いていくサザンカの姿は、今を戦っている受験生の3年生に重なりますし、部活や習い事または悩みなどに向き合ってがんばっている皆さんにも通じることだと感じました。

 音楽のつどいは、ステージを「見る」楽しみもありますが、全校合唱ではぜひ!会場の皆さんや家族、そして先輩や後輩、また共に歌う仲間や自分自身に向けてエールを送ってほしいと思います。「主人公」となった皆さんの手で、このつどいを盛り上げていきましょう!
 今朝はこれで終わります。

 

 

おはようございます。体育祭お疲れさまでした。堂々とした行進、とにかく前に進もうとする必死さが見られた50メートル走やチームでとにかく声かけあってゴールに突き進む4WD、真剣なまなざしで取り組む集団行動、ブロックごとに夏休みから時間を見つけて練習練習の応援競技、さわやかな笑顔でゴールを迎えたリレーなど、どの競技も目を離すことのできないほど感動の体育祭でした。素晴らしい体育祭を見せてくれてありがとうございました。

 さて、話は変わりますが、9月11日といえば11年前、アメリカ内で乗っ取られた旅行機4機によって経済や政治の中枢部が狙われた大規模テロが起きました。犠牲者は日本人24人を含む2977人。私は新聞で、テロ撲滅を掲げ2003年に攻撃を開始したイラクに派遣されたマーフィーさんについての記事を読みました。そこには次のようなことが書かれていました。

彼の任務は戦争の記録と報告。当時はアメリカ側の攻撃よりもイラク内の部族間の対立による死者が増えていて、数えきれない死体を見た。「路上には虐殺された子どもの遺体が転がり、調査中の遺体にたかるハエが顔にとまった。臭いも、、、。」来る日も来る日も死と接した20歳の心は折れた。

この記事の最後に、このような悲惨な出来事は起きた時には話題になるが、だんだんとみんなの記憶から薄れていく。と書かれていました。私たちができる身近なこととして、心を込めてお祈りすることが私たちにできることではないでしょうか。ぜひ今日のお祈りの中で9.11のテロや戦争で失われた命に対して心からお祈りしてみてはどうでしょうか。