心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

卒業式を2日後に控えた今、卒業生である、高校3年生、中学3年生のみなさんはどんな気持ちですか。この聖和女子学院にはたくさんの思い出があるかと思います。今日は私が高校を卒業したときの一番心に残っていることをお話したいと思います。

 それは友達との出会いです。私は、心から信頼できる友達と出会い、苦しいときも楽しいときもいつも一緒でした。ある日その友達から、彼女自身が読んでいた本の内容について話を切り出されました。

ナイアガラの滝を、命綱なしで綱渡りする達人のお話です。
事前に載った新聞広告を見て5000人の人が集まり、綱渡りの達人は観客にこう言います。
「わたしが無事に渡れると信じる人はいますか」
観客は拍手で彼が渡れるということを示し、彼はそれをやり遂げます。

もどってきた彼は、次にこう聞きます。
「私が手押し一輪車で渡れると信じる人はいますか」
観客は、またも拍手で応援します。そして彼はやり遂げます。

彼はまた戻ってきてこう聞きます。
「私が誰かを背負って渡れると信じる人はいますか」
観客はさらに大きな拍手で信じていることを示します。

そこで彼は聞くのです。
「誰かわたしの背中に乗る人はいますか」
この質問に誰一人拍手を送る人はいませんでした。

しかし彼の親友が背中に乗ると言います、そして彼は無事にナイアガラを渡り、その親友はおんぶされてナイアガラを渡った初めての人となりました。

この話を終えた友達は、わたしにこう聞きました。
「わたしが綱渡りするって言ったら、私の背中に乗る?」わたしはこのとき、彼女に何と答えたと思いますか。

私の頭の中で出た答えは「乗らない」でした。これは乗ることが嫌だったわけではなく、そんな危険な状況にチャレンジしようとする友達を止めるつもりでの言葉でした。
とりあえず、私が「乗らないよ」と返事をしようとした寸前で、彼女は言いました。
「私だったら絶対乗るよ」私はその一瞬にして、彼女に「私も乗るに決まってるじゃん」とウソをつきました。そのときの友達の表情はとても嬉しそうでした。私も笑っていましたが心の中は複雑でした。彼女の顔を見て、背中に乗る、乗らない、の話ではなく、わたしがたとえどんな難しい状況にいても、どんな決断をしたとしても、絶対に信じるよ、という彼女の思いが伝わってきたからです。
 わたしが考えた、乗らない、という選択が間違っていたとは思いません。しかし、彼女の言葉を聞いて、私だって即座に「もちろん、乗るよ」と答えたかったのです。私だっていつだって彼女のことを信じていたはずだからです。

 あれからもう7年が経ちますが今でもその友達とは親友です。それでもあの時「乗るよ」、と一言(ひとこと)言えなかった自分に、今もずっと後悔しています。そのかわり自分の中でこの7年間彼女がどんな選択をしても絶対に信じて応援しよう、と思い続けてきました。
 一番近くにいましたから、たくさんケンカもしました。たくさん泣きました。でも彼女ことが大好きです。
 その友達は現在韓国の大学にいます。この春卒業です。この数年会えることは少なかったけれど行動力のある彼女なら絶対に大丈夫だと信じてきました。無事に卒業できることに私も心から祝福しています。

 皆さん、学校は勉強したり、部活をしたり様々な経験をする場所です。そこにはいつでも、そばに友達がいるはずです。大事にしてください。時間をかけてください。そしていっぱいケンカもしてください。心から信頼できる人がいるということは自分自身をとても強くしてくれます。たとえ遠くに離れることになったとしても、です。

 みなさんにもかけがえのない友達ができて、そこにこの先ずっと続く信頼が生まれることを願います。