心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

みなさん、おはようございます。
私の専門教科は世界史ですが、世界史を勉強していない生徒のみなさんでも1度はきいたことがある、ナポレオンについての話を紹介しようと思います。

ナポレオンはフランスの英雄と言われている人物ですが、生まれはイタリアの西にあるコルシカ島の出身で、パリの学校では、なまったフランス語をからかわれた、というエピソードもあります。
さて、このナポレオンが生涯に渡ってライバル視していたのが、イギリスでした。彼は最初にイギリスのネルソン提督に敗れた後、いったんはイギリス支配をあきらめますが、最後にもう一度イギリス相手に勝負を挑みます。結果はナポレオンの島流しという形で終わってしまうのですが、その後もイギリスへの対抗心は消えなかったといいます。
しかし、イギリス嫌いだったと言われるナポレオン像を変える1枚の手紙についてのニュースが、2012年の6月に報じられました。それは、幽閉中のナポレオンが書いた手紙の中に、英語で書かれたものがあり、それが約3千万円で落札されたというものでした。
しかし、スペルは間違いだらけだったようで、「now」が「enow」となっていたり、「too」が「two」となっていたりしたそうです。
ですが、長年敵視した国の言語を真剣に学び、時間をかけて手紙を書いていたという事実に私は驚きました。
英雄と言われたナポレオンが、40歳を過ぎてから1から英語を勉強し、四苦八苦して間違えながらも文通を続けていたということ。彼が実際どのような人間だったかは分かりませんが、この手紙から分かることは「失敗をおそれなかった」ということではないでしょうか。

皆さんは嫌いな事、苦手なことにあえて向きあっていますか?
失敗することは必ず自分を成長させてくれるはずです。そう信じることが出来るかどうかが分かれ道になっているような気がします。
自分が苦手としていることから逃げないで向き合うことの大切さに、あらためて気付かされたエピソードでした。

皆さん,おはようございます。
皆さんの中には英語が大好きでこの聖和に来たという人もたくさんいることでしょう。でも英語はちょっと苦手だという人もいることと思います。みなさんの思いはさまざまだと思いますが,今日は私がどのようにして英語と本気で取り組もうと思ったのか,そして英語の教員になろうと思ったのかを紹介したいと思います。それが皆さんの勉強との関わりに何か役に立ってくれたらと思うからです。

今から45年前の1969年小学6年生だった私にとって衝撃的な出来事がありました。それは,アメリカがおこなったアポロ計画というもので,歴史上初めて人類を月面に到達させた宇宙飛行でした。アポロ11号のアームストロング船長が月面を飛び跳ねるように歩く姿が日本のテレビでも生中継で放映されました。これは大変感動的な場面でしたが,私にとって衝撃的だったのは,月面に降り立った宇宙飛行士とNASAとのやり取りの雑音交じりの英語を同時通訳している人がいるではありませんか。子供ながら憧れの気持ちを抱いて鳥肌が立ったことを今でも覚えています。もしあの時テレビ中継を見ていなかったなら,あの同時通訳を聞いていなかったら,英語を真剣に勉強することは無かったと思います。英語の奥の深さに何度も挫折しそうになりましたが,頑張れたのもきっと憧れの気持ちが大きな力になりました。

もうひとつは,大学1年生のころの出来事です。あるとき大学の掲示板の前で友達と会う約束をしていました。どんなに待っても現れません。もうあきらめて帰ろうとしたとき,大学の掲示板に貼られた一枚の紙が手招きするように私を呼んでいるではありませんか。実は風が吹いてその紙がパタパタと動いていただけでしたが,近寄ってみると塾講師のアルバイトの情報でした。教員になることなど少しも考えてもいなかった自分にとって,時給1500円だけが塾講師を始めたきっかけでした。当時長崎の喫茶店でのアルバイトの時給が350円の時代でした。しかし塾講師の仕事をやり始めてみて,とてもやりがいのあることに思えてきました。将来はこれでいこうと考えました。教えることの面白さを実感した瞬間でした。もしあの待ち合わせの場所に友人が時間通りに来ていたならば,今はまったく違った仕事をしていることは確かです。

2つのエピソードを紹介しましたが,何かを始めるきっかけは決して予定されていたものではありません。きっかけは偶然に,しかも突然にやってきます。きっと皆さんにとってもたくさんのきっかけがあるはずです。もし無いと感じるのなら,それは気がついていないだけだと思います。そのきっかけは,自分でも信じられないくらい大きな力を与えてくれます。どうか皆さんも何事にも積極的に取り組み,きっかけをみつけ,やらされるのではなく自ら進んで取り組む前向きな人生を歩んでください。以上で今朝の話を終わります。
今日も一日頑張っていきましょう。

今からちょうど一か月前のこと。今年3月に大学を卒業して、4月から社会人として働き出した3番目の娘からメールが来ました。
「お父さん、私のこだわりって何だと思う?明日このテーマで3分間スピーチをすることになったんだけど、アドバイスたのみます…」という内容でした。
「10進数の -23を、16進数で表すとどうなる???」というメールがあったり
…娘たちの突然のメールには、いつも驚かされますが、それはさておき…、

皆さんには、どんな “こだわり” がありますか?
「こだわる」を辞書で調べてみると、
① 心が何かにとらわれて,自由に考えることができなくなる。
気にしなくてもいいようなことを気にする。とか
② 普通は軽視されがちなことにまで好みを主張する。
…などと書かれています。例えば、アイスクリームの銘柄にこだわるとか、誰々さんが何気なく言った一言にこだわって、勉強が手につかなくなる、など自分の気持ちが何かに支配されて、自分の行動が制限されてしまう様子のことです。

「試合では勝ちにこだわる」とか「学校から帰る時に机の上に物が一つでものっているのがイヤだから、きちんと片付けて帰る」といったように、場合によってはプラスに作用することもあるでしょうし、「○○さんの語尾上げの話し方にこだわって、肝心の話の内容が頭に入らない。」「階段を上る時には必ず右足から上るようにしている」などといったどうでもいいようなことに作用することもあるでしょう。

自分のこだわりが何かを知るためには、自分がいつも何を気にしているか、あるいは他人のどんな行動が不快に思ったり、時には許せないとまで思ったりしているのか、ふっと考えてみると見えてきます。実はあまり大したことではないことなのに、そのことを気にしすぎるあまり、かえって自分が他人に対して嫌な印象で映ってしまうことだってあります。その人の性格や人柄・人間性までもが見えてしまうことがあるこだわりとは何なのか。本当にこだわらなくてはならないことなのか、直そうと思えば直した方が良い「こだわり」なのか、時には自分自身の行動や言動を振り返ってみてはいかがでしょうか。

私のように半世紀以上も生きてきた人間はなかなか、そのこだわりも直りませんが、今から長いながい年月を生きていく皆さんには是非、周囲の人たちに良い影響を与えるような、あるいは自分自身の生き方をプラスの方向へと進めてくれるような、質の高いこだわりを身につけて欲しいものだと願います。
今朝はこれで終わります。

新学期がスタートして1ヵ月が過ぎました。
1年生は聖和での新しい生活スタイルに慣れてきましたか?
また、2・3年生は自分の目標に向かって努力をしていますか?

皆さんは毎日、いろんな朝を迎えていることでしょう。
この話も誰の声かな?と心から聞いている人や、
提出しないといけない課題やテストのことで、頭がいっぱいの人もいることでしょう。

(ツライ朝を迎えている人にアドヴァイス)
人は、たいへんだったときの思い・つらさ・限界などを経験値として記憶し、
日々の出来事を乗り越えています。
こんな苦しみは二度と味わいたくないと回避することもできますが、
困難に直面することで、身体的にも肉体的にも強くすることもできます。
また一人では困難な壁も、アドヴァイスや仲間がいることで乗り越えられることも多くあります。

人生、楽しいことばかり・・・だといいですが、
残念ながら試練や困難も多くあります。
自分について、家族のこと・友人のこと、勉強や進路について・・・など、
もし悩み立ち止まったときは、周りの人に声をかける勇気をもってみてください。
聖和には、それに共感できる仲間や先生方がいらっしゃいます。

聖和のみんなが、笑顔で、そして元気な挨拶ができる生徒であってほしいと思います。

今朝はこれで終わります。

突然ですが、皆さんが小学生の時の夢は何ですか?そのときの夢と、今の夢は同じですか?

私は、小学校の卒業文集に、「将来は美容師になりたい」と書きました。理由は、母親が美容師で、母親の店を継ぎたいと思ったからです。
中学校に上がった時、私はハリーポッターシリーズを読んでとても興奮しました。
外国の素敵な物語を、日本語に訳してくれた翻訳家はすごいと思いました。
その時から、私は翻訳家になりたい、と思うようになり、英語を一生懸命勉強しました。
その後私は聖和の英語科に進学し、2年生の時、マレーシアへ留学しました。そこで、現地で結婚し、現地の人に日本語を教えている1人の日本人女性にであいました。私はその時、これこそ私の生き方だ、とおもいました。
帰国後、私は日本語を教えるならば、英語日本語のみならず、世界について知らなければならないと考え、国語、英語、社会に力を入れて勉強しました。
高校三年生になって私を悩ませたのは、どのような大学に行くか、ということでした。日本語教師の資格がとりたいという私に、当時の担任の先生が、日本語教員養成コースと英語の教員免許取得課程の両方をとることができる大学を薦めてくださいました。
私は大学に進学し、一生懸命勉強しました。興味のある分野だけではなく、いろいろな科目を履修し、見識を深めようと努力しました。
大学4年生になって、私は教育実習生として、再び聖和にお世話になることになりました。懐かしい先生方に学ぶ日々は、大変なことも多くありましたが、とても充実していました。同時に、私の思春期を支えてくれた聖和という学校に恩を感じました。
それから、私は教員として、聖和に帰ることが夢になりました。

そうして、私は今ここにいます。
このように思い返してみれば、私の夢や目標はそれぞれの出会いから生まれたものであったと感じます。
そして、その出会いから夢を描き、その目標に向かって努力したその一瞬一瞬が、今の自分につながっているのだと強く思います。

「一期一会」という言葉があります。いま、みなさんの周りにあふれているたくさんの出会いに気付いてください。
そして、その出会いを大切にして、今、努力してください。今の努力は、必ずみなさんの未来に活かされるはずです。

3年前の今日、私は、テレビで流れてくる映像が実際に起こっているものと認識するのに、かなり時間を費やすことになりました。あまりにも簡単に建物や車、そして人々が流れていく映像を見て、吐き気をもようした事を思い出します。映像を見ても、その恐ろしさが伝わってくることもありますが、実際の地獄のような現状は現場の人にしか分からないでしょう。

愛する家族が目の前で津波に襲われたら?
自分の育った家が、すっかりなくなったら?
住みなれた街に誰もいなくなったら?

いろんな方の手記を読み、想像力を働かせても、本当の事を理解するのはやはり難しいと感じました。

先日、大学の友人から電話がかかってきました。視力が低下し、入院しているとのこと。大変驚いて、回復できるのか?仕事は大丈夫か?など心配する私に向かって、とても前向きな彼女は、「目がねーいつでも見えるって思ったらいかんばい!!」と叱ってきました。
聞いたこともない病にかかっているのにも関わらず、彼女は当たり前の事がいつでも続く訳じゃないと言う事を、神様が教えてくれているのだと、前向きに病気と闘っていました。
当たり前に家族がいて、当たり前に暖かい教室で勉強ができ、当たり前においしい食事ができる…。
“当たり前”のことについて考えることは、きっかけがないと難しいのかもしれません。
2011年3月11日は私たち日本人にとって、当たり前の日常について考える大きなきっかけを与えました。けっして、忘れていくのは‘アタリマエ’にならないようにしていきたいですね。

10年前の今日、あなたはどこにいましたか?
そのとき何歳で、何を考えて生きていましたか?

私自身の10年前の今日は、18歳。聖和女子学院の3C教室で、卒業式を1週間前に控え、これからの大学生活に希望を膨らませたり、あと1週間で離ればなれになってしまう友達との別れを悲しんだりしていました。
中学1年生にとっての10年前は、まだ3歳で、やっとおむつが取れて、自分で着替えができるようになった頃でしょうか。
今年度、聖和は60周年を迎えましたが、50周年の時には私は聖和女子学院高校の3年生でした。毎日バレーボールの練習に明け暮れ、だけど夢である体育教師になるために、一生懸命 勉強にも励んでいました。
私の高校生活を一言で表すならば「夢を追ってとにかくがむしゃら」
大好きなバレーボールにどっぷりつかり、希望する大学への入学を目前にした10年前の私はとても幸せでした。

それから10年たった今日、私は中学3年生の担任として、1週間後には24人の卒業生を送り出します。体育教師という夢をつかみ、かわいいかわいい生徒たちに囲まれて生活している私は今もやっぱり幸せ者です。

中高3年生は来週いよいよ卒業式を迎えますね。特に高校3年生にとってはもう2ヶ月後にはそれぞれの新しい環境での生活が始まっています。
もしかしたら10年後、海外で働いている人がいるかもしれません。
教師として聖和に帰ってくる人がいるかもしれません。
今は全く予想もできない人生を歩み、考えてもいなかった幸せをつかむ人がいるかもしれません。
私もこの10年間でいろいろなことがありました。楽しいことも辛いこともたくさん経験しました。

10年もあれば人はどれだけでも進化し、変化できます。
卒業を1週間後に控えた3年生、あなたたちの未来は、あなたが望み、努力した分だけ どこまでも可能性は広がっています。
楽しいことだけでなく、辛いことも全てが自分の力となる日が必ずきます。
しっかり前を向いて一歩一歩前進していってください。
この放送を聞いている全ての人の10年後が最高に輝いていることを祈って今日の朝の話を終わります。

福沢諭吉の自伝に、大阪での適塾での猛勉強ぶりが書かれています。諭吉がある時風邪をひいて、横になって寝ようと思って枕を探したが、枕がない。なんで枕がないのか、いぶかしく思ったら、この一年半、一度も枕を使って寝たことがなかったのです。それくらいの勢いで勉強していたわけですが、これは別にオランダ語に対して社会的ニーズがあったからではないのです。江戸だと大名とか幕府の官僚として登用される可能性もあったけれど、大阪ではゼロでした。つまり適塾での猛勉強は「就活」のためじゃない。何の報酬も示されないまま、勉強していたのです。
福沢の言葉によると、
自身の身の行く末のみ考え、どうしたら立身が出来るだろうか、どうしたら金が手にはいるだろうか、立派な家に住むことができるだろうか、どうすれば旨い物を食い、好(よ)い着物を着られるだろうかということばかり心を引かれて、あくせく勉強するということでは決して、真の勉強は出来ないだろうと。今の世の中、人間は私利私欲を追求する時に潜在能力を最大化すると考えている人が多いのではないでしょうか。
福沢のように、近代日本の知識人たちは、海外の先進的な制度、文物を導入して、それを文化的後進国である、わが同胞たちのために、伝えていくのだという、強烈な使命感が彼らを動かしていったのだと思う。この歴史的な使命感が幕末から明治初期の知識人たちの驚異的な知的パフォーマンスを与えたのだと思う。
「国のため」他者のために勉強する人間は、「自分のため」に勉強する人間より、高い達成度に達する。

ケネディ大統領の有名な、その就任演説で、「わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか」と述べた。
「国家」のところに「他の人々」と入れて、この言葉をよく考えてみたいと思う。

今、3年生の一般受験生は必死に勉学に取り組んでいます。
今月は、私立大学の一般受験とその合否結果が出ています。無事に合格を決めた生徒もいれば、まだ、これから受験を控えている生徒もいます。そして、2月25日から国公立大学の個別学力試験があります。聖和の受験生皆さんに良い結果が出てくることを心より願っています。

高校2年生においては、早い人で、8月からAO入試が始まります。推薦入試においては9月から受験が始まります。心の準備はできていますか。

毎年、3年生から「1,2年のとき勉強しておけばよかった」
とよく耳にします。1,2年生の皆さん「受験」という言葉をしっかり頭において、日々の勉学に取り組んで欲しいと思います。

受験において、文系・理系ともに共通する科目は、「英語」です。この学力は多くの先生方から大切であると忠告を受けていると思います。今週、22日の土曜日にある「安河内先生の特別公開授業」も皆さんの英語の学力アップにプラスとなるものであると思います。受験指導の最先端をいく、講師の授業にしっかり取り組み、参考にできることはしっかり吸収してください。ただ「授業を受けただけ」にならないようにしましょう。そして、実践できる部分は、将来の受験にむけて取り組んでいきましょう。
今朝はこれで終わります。

おはようございます。
今朝は「出迎え三歩、見送り七歩」についての話をしたいと思います。
昨年の12月に本校で長崎県の学校保健部会研究大会が実施されました。
その中で先生方対象の講演会が行われ、その講師の先生が帰られる時のことでした。私も丁度、玄関前にいたので、お見送りをしようと講師の先生を待っていました。しばらくして、講師の先生が出てこられ、「寒いのでもうこちらでいいですよ。」と言いながら、駐車場の方へ向かわれました。私はそこで一礼をして、他の研究大会関係の先生方とお話をしていました。その時、研究大会の大会会長として参加されていたある高校の校長先生が、玄関先から駆けだして講堂横まで行き、講師の先生の車が校門から出て見えなくなるまで、しばらく頭を下げておられました。
その校長先生が玄関に戻ってこられた時、最後までお見送りをしなかったという反省の思いで、「申し訳ございませんでした。」と言うと、その校長先生から「出迎え三歩、見送り七歩を大切にしないとね。」と言う言葉が返ってきました。
何となくわかっていた言葉ではありましたが、職員室に戻ったあとにインターネットでその言葉を検索しました。
お客様をお出迎えするときは三歩前に出て中に招き入れ、お送りするときは、来て下さった事への感謝の言葉をかけつつ、名残を惜しみながら七歩外に出て背中が見えなくなるまでお見送りする。とあり、次のような話が載っていました。
京都の嵐山に、ほかの車夫よりも(人力車を引く人のことを車夫と言うそうですが)ほかの車夫よりもダントツにお客様が多い青年がおり、その青年は、ずば抜けてハンサムというわけでも、人力車に特別な仕掛けがあるわけでもなく、回るコースも変わらない。だだひとつ、他の車夫と変わるところは、案内を終わったお客様を見送るところだ。他の車夫は、料金をいただき、お礼のあいさつをして、次のお客を乗せて走りだす。しかし、その青年は、車を降りられたお客さんの姿が見えなくなるまで、頭を下げ、また手を振ってお見送りをする。お客様が、見送りに気がついていても、気づいていなくても、その青年のお見送りは変わらない。そして、お客様が角を曲がって見えなくなって、初めて、次のお客様を乗せる。そのことが、この青年の繁盛につながっているといえる。とありました。
その文章を読みながら、これは、商売や仕事上だけの問題ではなく、我々の日常生活における色々な方との関わりにおいても、同じことがいえるのではないかと感じました。それは、お世話になった人への感謝の気持ちや周りの人への思いやりも「出迎え三歩、見送り七歩」に、共通することではないかと思ったからです。
話が長くなりましたが、今朝の話が、毎日の生活の中で、このような行動を取るきっかけになれば幸いです。
今朝はこれで終わります。