IMG_2206去るH27.9.18(金)に、標記の弁論大会が行われ、本校からも山口さんと山中さんが出場いたしました。 上位入賞はなりませんでしたが、自分の体験を通して学んだこと感じたこと、考えたことを正々堂々と主張する姿は、とても立派なものでした。 下に、本人たちの了解を得て、その主張文を掲載いたします。
(無断転載禁)
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「民族間の障壁」                     聖和女子学院3年 山口未来

 ニュージーランドには「マオリ」と呼ばれる先住民がいます。彼らは全体の14.6パーセントを占めており、たくさんの伝統が現代の暮らしに色濃く残っています。
 私は高校二年のとき一年間のニュージーランド留学を経験しました。留学前は、ニュージーランドにはたくさんの移民がいて、さまざまな人種が混在している、と聞いていました。日本で生まれ育った私には想像もできない世界でした。しかし、現地では先住民のマオリと欧州系がメインの現住民の間にはほとんど隔たりを感じることはありませんでした。見るからに違う人種の人達が仲良く暮らしている様子は、反対に自分が偏見をもっていたことを実感するきっかけになりました。話す言葉が違う人達は違う人種であり、民族である、と考えていたのです。私が通った学校の校歌はマオリ語で、ニュージーランド国歌はマオリ語と英語で歌います。また、大事な式典のときなどは「ハカ」と呼ばれるマオリ伝統のダンスを全員で踊ります。生徒も教師も、海外からの留学生さえも参加します。ハカとは本来、マオリの戦士が戦の前に自分を鼓舞するために踊るもので、とても激しいものです。そのため私は、このハカを初めて見たときに恐怖を覚えましたが、同時にその場にいた人全員がこの民族舞踊に誇りを持っていることも感じ取ることができました。このように、国全体が国際色豊かでお互いを尊重し合っている現状を目の当たりにした私は、自分はなんて小さな世界しか見えていなかったのだろうかと恥ずかしくなりました。 一方、日本を見てみると、先住民という言葉にあまりなじみが無いように思います。日本は少数民族国家と呼ばれ、世界的にも珍しい部類に位置しています。それゆえに、留学先で見た多数の民族がひとつところで生活している様子は私にとってとても新鮮でした。マオリの生徒もインド人もドイツ人も日本人も、みんなが同じ教室で学び、一緒にご飯を食べ、一緒にスポーツを楽しむことができる環境があることはとても素晴らしいことです。どこの地域にも守るべき規律があるはずですが、これをふまえて生活できている現状は尊敬に値すると思います。
 ここで、アメリカの人種差別についての疑問が私の中で生まれました。武器を持っていない黒人が白人警官に射殺され、これを受けて地元住民が「人種差別だ」という声をあげたというものです。これに端を発し、何度か似たような事件が連日報道されていました。これらの事件は私がニュージーランドで実際に見てきたものを否定したのです。 なぜ、このような差別は生まれてしまったのでしょうか。それはアメリカの歴史的背景に原因があるようです。17世紀、北アメリカにはイギリスにより13の植民地が建設され、先住民であるインディアンは移住を余儀なくされました。また南部では、アフリカの黒人奴隷を使ってたばこや綿花などを栽培するプランテーションが盛んになり、後に奴隷制廃止を求める北部と対立を深めていきました。南北戦争での北部の勝利とリンカーンの奴隷解放宣言により、黒人やインディアンに対する社会的差別は減りましたが、完全に無くなることはありませんでした。20世紀に入ると、キング牧師を主導者とする公民権運動も展開され、アメリカの国内に非暴力による人種差別撤廃の波が広がりました。しかし、ワスプ(WASP)と呼ばれる、白人、アングロサクソン系民族、プロテスタントの三条件を満たしている固定化したエリート層の存在や、クー・クラックス・クラン(KKK)と呼ばれる白人至上主義によって黒人を迫害する秘密結社の活動が現在でも続いています。これらの背景のために、アメリカには未だに人種差別の傾向が残り、悲しい事件が起こっているのです。
 現在、世界中でこのような差別行為は少なくありません。日本も例外ではなく、この問題に正面から向き合う必要があります。生み出したのが人間であるなら、改善できるのも人間です。全世界に影響を及ぼす機関は国連をおいて他にありません。だからこそ、日本は国連という場で意見を発していかなければいけないのです。当事者だけでなく、第三者の意見も必要だからです。
 私はこの問題に対し、教育を見直すことが一番の対策だと思いました。これからの将来を担っていく若い世代の人々が間違った先入観や偏見を持たないように、正しい理解と、間違いを間違いと認める勇気が必要になってきます。過去の人々が犯してきた過ちから目を背ける大人達から、子ども達が学ぶことはなんでしょうか。子ども達はそれが正しいことだと思い込んでしまうかもしれません。その結果、過去と同じ過ちを犯しうるのです。「過ちを改めないことがほんとうの過ちである」とはよく聞く言葉です。ここで日本が取るべき行動は、世界中の様々な問題に対し武力行使以外の解決策を練ることです。日本は第二次世界大戦後、一度も戦争を経験していません。この歴史こそが世界に誇れる日本の実績です。戦後国内を立て直し、現在では徹底した義務教育制度や教育の場が設けられています。私はこのシステムをもっと世界に発信していくべきだと考えます。資金援助だけでなく、紛争地域の子ども達に教育の場を提供することも必要です。武力で押さえつけるよりも、もっと理性的な解決策を生み出す場を作るべきです。NPOのような小さな団体でもこのような活動を行っています。国連のように大きな組織ならば、もっと効率的に世界に理性の大切さを伝えることも可能です。戦争を知らない人達と平和を知らない人達の考え方はきっと違います。そのことを知るためにも、話し合う場所が必要なのです。社会的地位を平等にすることはとても大変なことですが、時間をかけて改善できることではないでしょうか。ある地域ではできていることですから、世界中のどこでも不可能ではないはずです。過去に固執することをやめ、もっと先の明るい未来を目指して世界規模で協力する必要があると私は思います。

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 「戦後形成された日本独自の文化」     聖和女子学院高等学校 3年 山中 奈里子

 “You are so quiet, Nariko. We just keep talking like this.”これは高校二年生の時のカナダへの長期留学中、約三ヶ月が経過したある日、ホストファミリーが私に告げた言葉です。この言葉を言われたとしたら、あなたはどのように思いますか。日本人にとって静かであることは、落ち着いている、自分を抑制している、相手から一歩遜っている、何も考えていない…など非常に多くの意味があります。私はこの言葉を聞いた時、ショックを覚えたと同時に自分を否定された気持ちになりました。私には、なんだか皮肉混じりの言葉のように感じられたのです。
 空港で初めてホストファミリーと対面した時、自分の想像をはるかに超えた「コミュニケーションをとることの難しさ」という壁が目の前に立ちはだかりました。自分の考えを必死に英語で話してみても、発音やアクセントの違いからうまく会話を噛み合わせることができず、空港から家路につくまでは、沈黙の連続でした。私はその時、留学生活が三カ月も経てばこの壁は少しずつ克服できるのではないか、と自分が置かれた状況をまだまだ楽観的に捉えていました。しかしその考え方は甘く、三カ月が経過しても、ホストファミリーの質問内容は理解できているのに“YES”か“NO”かのいずれかの返事しかできず、自分の表現を膨らますことができない状態でした。
 そのような時のことです。私には一人のホストシスターがいました。彼女は私と同じ年で、何にでもはっきりと自分の意見を主張していました。私が滞在した家は、家事の分担が特に決められておらず、手が空いている人が家事を行うことになっていました。私はある日ホストマザーから食器洗いを頼まれました。私にはその日宿題があったのですが、それをホストマザーに伝えることなく、手伝いを引き受けました。逆に私のホストシスターは宿題がある時には、きちんと断わりの返事をしていました。つまり、私は「宿題があるんだけどなあ…」という自分の気持ちを抑えて、相手の立場を配慮するがあまり、断ることができなかったのです。そしてその結果としていわれた言葉が最初に言った“You are so quiet.”だったのです。
 ある新聞記事に、「自己抑制と自己主張の比率が欧米諸国に比べると、日本人は自己抑制の度合いがはるかに強い」という内容が書かれていました。私はその時にはっとしたのです。私を含め多くの日本人は、まず他者を優先し、思いやりの心を持って他者との関係を築き上げてきました。我慢する大切さを知り、困っている他者のために行動
できることは、とても素晴らしいことです。しかし異文化交流において、日本独自の「謙遜」という文化を理解することは、海外の人々にとっては難しいことだということを自分の体験を通して初めて知りました。 人間の「物欲」によって人々を巻き込み、世界各地で引き起こされてきた戦争。広島・長崎への原爆投下。長崎に生まれ育った私は幼い頃から、被爆者の方々から話を聞く機会は多くありました。しかし、留学先の現地では第二次世界大戦について何も聞かれることはなく、また自分から、それまでに得た話を相手に伝えるという機会もありませんでした。他者へ自分の意見を伝えていく難しさがあるのは、日本が長年にわたり「謙遜」という文化を今日まで受け継いできたことも大きいと思います。
今年、日本が戦後70年という節目の年を迎えるにあたり、戦争が私たちにもたらした影響と自国の文化を結び付けて考えてみると新しい発見が生まれました。日本人の美徳ともされている「遜る」という文化は、第2次世界大戦の日本の敗戦によって少なからず影響を及ぼしたのではないでしょうか。徐々にではありますが、自由と権利ということのはきちがいから、若者の間にその日本人の美徳が薄れてきているのではないかと危惧するのです。日本人の「謙遜」という文化は、人間関係に居心地の良さを与えることは海外の人に対し、なかなか理解されにくいようです。それどころか、実際に私がカナダで経験したような誤解を招くこともあります。しかし、そこで日本の文化を改めなければならないという結論に至るのでなく、異文化交流の中で世界の人々に日本人が大事にしてきた文化を、伝えていくことに努めていかなければならないと強く思うのです。そして国、宗教、民族を超えて、互いの文化を理解し合うことこそが、平和活動を行う原点になるのではないかと考えます。世界唯一の被爆国である日本でも、年々被爆した方々が減っていく中、相手の立場を慮るという謙遜の美徳と合わせて、これから平和な世界を維持していくことは私たち若者の役目です。
 私は大学入学後、国連でのボランティア活動に積極的に参加し現地の人々との交流を通して、この思いを伝えることから学生としての平和活動への第一歩を踏み出します。

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