聖和ニュース     2015.10.17

先週木曜日、高校3年生は丸一日かけて『第2の卒業式』としての位置付けである錬成会に与りました。毎年神父様をお招きし、講話を聴いた生徒はその内容を深め分かち合うため、5~6名ずつでグループディスカッションを行い、模造紙とマジック、新聞紙を材料に、グループ毎に恒例のポスター作製に取り組みます。神父様のお話を滲ませながら、グループの想いを形にした発表会では個性豊かな作品が披露されます。完成したポスターは全て、本校にある宗教室の壁に一年間張り出され、在校生の情感をくすぐります。

昨年に続き、お招きしたのは神言会の浜口末明神父様です。

「自分の眼で直接自分を見ることはできない。毎日鏡を見てください。そして自分を好きになれる良い表情を磨いてください。そして、自分の生き方を映す鏡を持ってください」

「人に仕えなさい(人のために生きなさい)」

「徳を身に付けるためにはどうしても教育と努力が必要です」

「神さまは落ちこぼれの方に目を向けられている。自分の掌には一人ひとりの名が刻まれている。神様はみなさんのお父様です」

神父様のお言葉の端々から生徒たちが自己を見直し、学び取り、印象付けられる場面が多く見受けられました。会の締めくくりに御ミサに与った生徒たちの多くは今後の受験を控え、慌ただしい生活も待ち受けますが、残りの学校生活はそれでも冷静沈着な聖和生として、使命感と責任感、周囲への感謝を忘れず穏やかに過ごしてくれることと期待しています。

以下に生徒による感想(抜粋)を紹介します。

 

錬成会を終えて、神父様の講話はとてもすばらしい話ばかりでした。その中でも印象に残ったことばは、何かに真剣に取り組んだものが直接実を結ばなくても何らかの形で実を結ぶということばです。結果がだめだろうと、よかろうと何事にも積極的に頑張り、人がやりたがらない雑用など進んで出来るような心を持った大人になりたいです。

 

普段学校生活の中で、何でしなきゃいけないんだろう、やらなくてもいいじゃんと思うことが度々あります。けれど、その1つひとつのことには意味があって、未来につながるという人生にとっての試練なんだなと思いました。

 

最近私は物事がうまくいかず悩んでいた。自分がいけないんだ、と考えていたが、今日「落ちこぼれから、どうなるかが大事」と言われて、これからの自分を見ることができた。進路のことや友達のこと、勉強のことなど悩むことが多かったけど、今日のお話で心が軽くなった。「手を抜いた失敗より、努力して失敗する方が良い」この言葉は今の私にぴったりだと思った。本気になって取り組んだことが、失敗することが恥ずかしくて、本気になることを恐れていたけど、「努力して失敗するほうがいい!!」という言葉に共感した。グループワークでは普段の会話とは違う深い会話ができて、この子はこんなことを感じてるんだ…と3年目ながら知ることができた。今日の錬成会で改めて自分を見つめ直すことができた。卒業まで約4カ月。一日一日を大切にしていきたい。

 

神父様の体験に基づく様々な話を聞き、大変勉強になりました。最も印象に残ったのはトマトの話でした。しっかり実って食べられたトマトよりも、落ちてしまったトマトの方が輝いているということばが衝撃的で、初めはその理由が分かりませんでしたが、話を聞いてイエス様の寛大さに気付かされました。また、私は嫌なことは今まで率先してやりたいと思っていませんでしたが、誰かを喜ばせるという目的を持つことの大切さを知り、これから誰かのために嫌なこともやろうという気持ちになれました。

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