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「型を極めたら型破り」~朝の話:H30.6.19(火)~  T.O
2018.06.19     職員

日本にとって大事なサッカーワールドカップの初戦が、約12時間後に迫っていますね。実際に自分で経験してみて、けた違いのスタミナが必要だと思った競技の1つ、それがサッカーです。ワールドカップで、私が真っ先に思い浮かべるのは、98年、2002年、2006年と三大会連続で活躍した中田英寿、愛称はヒデ、というアスリートです。彼に対する世間の評価は現在でも様々ですが、私が心から尊敬するのは、彼の驚くべきスタミナと、試合中は常に背筋を伸ばし、美しく逞しく走り続け、激しいボディコンタクトを受けても滅多に倒れずに、ボールを失わない姿と精神力でした。テレビ中継で遠くから見ていても、どんなに広いピッチにいても、多くの選手に埋もれていても、すぐに「あッ!あそこに、ヒデがいるぞ」とすぐに分かるほどの逞しさと美しさに、今でも憧れを抱いています。聖和で仕事をしていて、市中体や高総体、授業や掃除時間、部活動、学校行事など、365日、私は第2、第3のヒデと出会える瞬間を、実は、密かに楽しみにしてきました。成功しても失敗しても背筋をスっと伸ばし、次の演技に向かうため、美しく歩いていた体操選手のあなた、綺麗なワンストップ挨拶をしてくれたあなた、黙々と一定のリズムで箒を動かしていたあなた、眠気と戦いながら必死に授業を受けているあなた、講堂での学年集会で、敢えて背もたれに寄りかからずジッと人の話に耳を傾けていたあなた。これまでも、また今年に入ってからも素晴らしい生徒と出会うことができました。経験上、こういう生徒は部活動でも良い結果を残し、進学でもほぼ目標に近い合格を手にしています。その事実が本当に喜ばしい。


当時の、そして現在も含めた日本サッカーのレベルにおいて、間違いなくヒデのメンタルやテクニックは頭2つも3つも抜けている存在でした。したがって、彼が監督やチームメイト、日本のメディアに対して行なった発言や要求が、時に理解されなかったり、存在自体が浮いてしまったりすることもありました。それでも、彼は出場したゲームでは誰よりも長く走り、誰よりも大きな声を出し、誰よりも身体をはってサッカーの奥深さを伝えてくれました。さて、何をするにも、始めるにも、上達するにも、先ず必要とされるのは正しいフォーム、その時々の、いわゆるTPOで求められ理想とされている、正しい『型』を身につけることでしょう。正しい『型』を継続し、維持するためには、体力と精神力も必要ですよね。きついと思います。しかし、それを乗り越え、習慣となって自然と『型』を示している時、あなたは周りを感動させているでしょうし、誇りと自信を手に入れているのではないでしょうか。正しい『型』や、とるべき態度は、自分で一生懸命考えて身につけることもできます。また、部活動顧問の先生方、授業を担当する先生方、時には先輩、保護者や地域の大人たちが必死に、厳しく伝えてくれているでしょう。『No Beauty , No Life』。ぜひ、あなたは美しい聖和生になってください。


「的(まと)」~H30_5_15:朝の話~
2018.05.16     N.N

おはようございます。
 突然ですが、僕には弓道の師匠がいます。
習っている先生を師匠と呼んでいるわけではなく、本当に師匠なのです。
 この時代に師匠や弟子なんてものが本当にあるのかといわれそうですが、弓道の世界にはまだそういったものが残っているのです。
 流派を引き継ぐときには、儀式と巻物によって免許皆伝を行います。

 今日はそんな僕の師匠が教えてくれたことで、僕の心に残った言葉をみなさんにお話ししたいと思います。
 弓道は的まで28メートル。的の直系が36センチ。矢を飛ばす手が3ミリずれると矢は的に飛びません。実はなかなかシビアな競技なのです。 試合で緊張したとき、調子が悪いとき、いつも僕の師匠が言うのが、
「的は絶対に動かない。動いているのはいつも君の心のほうだ」という言葉。
「なんでも一緒。目標とするもの、やるべきことはいつだって動かない。動いているのは、自分の心なんだよね。自分の心が動けば矢は的に中たらない。目標に届かないんだよね」と。

 さて、明日(5/16)から中間試験です。心を前に向けて、さぼってしまおうとする自分の心を律して試験に臨みましょう。


「感謝の日」~朝の話:H30.5.9(水)~
2018.05.09     K.S.

おはようございます。平成30年度 先生方による朝のお話のスタートです。
トップバッターは中学1年副担任、家庭科のK.Sです。今年度で聖和に勤務して38年目になります。
この朝のお話は、私の記憶は定かではありませんが、勤務した当初からあったと思います。当時は先生一人で1週間ずつ担当し、火曜日から金曜日まで4つの話を準備しなければなりませんでした。常に話のネタを探していました。シリーズ形式にしたり、クイズ形式にしたり、童謡を1曲ずつ流された先生もいらっしゃいました。
 現在は1年間に1、2度担当と大変楽になりましたが、皆さんのためになる話をと思うとプレッシャーがかかります。しかも今は聖和のホームページの「心のとびら」として掲載されます。これまた、文字になって残るとなるといろいろ内容に悩むところなのです。
また、この放送室で話すのは、何度経験しても慣れず、緊張してドキドキするは、息ができなくなって苦しくなるは、で大変なのです。
 さて、前置きが長くなりました。
今朝は30年くらい前の朝の話で、私がずっと言い続けてきたことです。
それは、「自分の誕生日を親への感謝の日」として過ごすということです。
ある雑誌で見た記事なのですが、誕生日を祝ってもらうのではなく、逆に自分を生み育ててもらったというお礼の日として、父母や家族に感謝の気持ちを送るという過ごし方です。
素晴らしい考え方だと感心し、ずっと生徒のみなさんに伝えてきました。
簡単そうで実はなかなか難しいものです。
 もちろん、誕生日だけではありませんね!早速、次の日曜日は5月の第2日曜日は「母の日」、6月の第3日曜日は「父の日」です。感謝を伝えるチャンスはたくさんあります。ぜひ作戦を立てて実行して欲しいと思います。

 私事ですが、来週、私の初めての陣痛記念日がやってきます。初めてのお産は不安と緊張でいっぱいでした。もちろん苦しかったです。夜中の1時に陣痛が始まり、夜の9時半ごろにやっと長男は生まれてきました。忘れられない出来事でした。
 さて果たして息子は感謝の日として過ごしてくれるのでしょうか?
我が子はなかなか思いどうりになりません。
今朝はこれで終わります。


 


「教会」~H30.2.20朝の話~
2018.02.20     職員

おはようございます。今日は少し教会について触れたいと思います。

 先週、高校一年生は国の重要文化財に指定されている平戸市にある田平天主堂へ行き、黙想会を行いました。聖堂内にあるステンドグラスは息をのむほど美しいものでした。実は、私がとても好きな教会でしたので、訪問できることになって内心ワクワクしていました。高校一年生のみなさんは聖堂を見てどう感じたでしょうか。

 私は生まれた時に洗礼を受け、カトリック信者となりました。私のふるさとの家の近くには小さな教会があり、毎日母親に5時半に起こされ、6時から教会に行き、学校へ登校する生活をしていました。あの時は、雨の日も風の日も辛いなあと思う日もありました。どうして母親があんなに熱心に私を教会に行かせたのかは聞いたことはありませんが、大人になってなんとなくわかるような気がします。中学生になってからは教会でオルガンを弾くようになり、クリスマスや結婚式前には聖歌隊と何度も練習をしました。
  大人になり、なかなか教会に行く機会が減ってしまいましたが、聖和では教会にたずさわる機会があります。この貴重な機会を大切にしていきたいと思います。みなさんももうすぐ行われる卒業式などの行事や学院ミサ、お祈りの時間や掃除の時間など他の学校では触れることができないこれらの貴重な経験を一つ一つ大切に取り組んでみてはいかがでしょうか。


あたりまえ~H30.2.9朝の話~
2018.02.20     E.N

 おはようございます。
 今日は「当たり前」というタイトルの詞を紹介します。これは、若き医師、井村和清先生が病の床で綴った手記、「アスカへ、そしてまだ見ぬ子へ」という本に納められています。
 井村先生が大病院の勤務医として、患者さんにとても慕われながら、多忙な毎日を送っているとき、右膝のがんが見つかります。転移をを予防するために、右足を切断します。その後リハビリで復帰されますが、まもなく一番恐れていた肺への転移がみつかります。
 肺がんのために、呼吸がとても苦しい闘病生活の中で、父として、夫として、生きた証を残したいと、書かれたものです。長女のあすかちゃんは、まだ1歳、そして二番目のお子さんは、まだ奥さんのおなかの中でした。


あたりまえ
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜ喜ばないのでしょう。
あたりまえであることを おとうさんがいる   おかあさんがいる
手が二本あって、足がにほんある。
いきたいところへ自分であるいてゆける
手を伸ばせば、なんでもとれる
音が聞こえて、声が出る
こんなしあわせはあるでしょうか


しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだと、わらって済ます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶことも出来る
走り回れる
みんなあたりまえのこと


こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを無くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ

井村先生は、この3週間後に31歳のわかさで旅立たれます。奥さんと子どもを残して。どんなに無念だったでしょう。私も、10年前、父を病でなくしました。しばらくの間、私は、街角や公園で、両親と子どもたちの仲の良い家族の姿を眺めては、涙が出たのを思い出します。

 普段、私たちが「あたりまえだ」と気にかけていないことも、考えてみると、「とても有難いことだ」と気づかされます。生きていること、それは一つの奇跡なのです。
今日は、「あたりまえ」という詩を紹介しました。みなさんの生き方に、何かヒントになれば幸いです。
今日一日が、良き日になりますようにお祈りします。


 



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