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「オンとオフ」  (9月26日水 朝の話)
2012.09.26     T.Y.
9月23日(日)にハンドボールのプロリーグの試合を見に行きました。佐世保市の体育文化館で行われ、大崎電機と琉球コラソンが対戦しました。大崎電機といえばハンドボール界で有名な宮崎大輔選手が所属しているチームです。その宮崎選手はテレビ等にもよく出演している方なのでやはり圧倒的な存在感がありました。かっこよかったです。宮崎選手がバスから降りるとその周りには熱狂的なファンの人だかりができ、宮崎選手がベンチから立ち上がるだけで会場がどよめき、宮崎選手がコートに入ると盛大な拍手が起こり、宮崎選手がシュートを決めるとそれは必然的に絶叫に変わっていました。さらにこの日は宮崎選手がプロリーグ通算700得点目という記念すべき得点をたたき出したので、会場は宮崎大輔一色で大いに盛り上がっていました。宮崎選手おめでとうございます。
そんな話はさておき、私はハンドボールの顧問ですので、そんなスーパースターよりも選手たちの試合前の練習に目が釘付けで、どんな練習をしているのかをチェックするのに夢中になっていました。そこで感じた正直な感想は、休日の公園で若者がボールを使って遊んでいるといった感じでした。のんびりキャッチボールをする人もいれば、試合用のボールではないけど、ハンドボールを蹴鞠のように蹴って遊んでいる人たちもいて、「こらっ、ボールを蹴っちゃいかん!」とつっこみたくなるシーンもあり、それは自由で楽しそうで大音量の音楽も鳴っていて、選手たちは随分リラックスした様子でした。
しかし、試合が近づいて両チームの選手たちが円陣を組んで猛々しい雄たけびを上げると、試合開始とともに選手たちの戦うスイッチが入り、今まで休日のオフを楽しんでいたような若者が急にコートという名の戦場で戦いをはじめました。プロの試合なのでそれはもうお互いが激しくぶつかり合い、流れるようなパスワークと複雑なポジションチェンジに加え、華麗なるシュートの連続でした。気がつけばあっという間に前後半合わせて1時間の試合が過ぎていました。
一流の選手のプレイに心が躍ったのですが、私が一番驚いたのはやはり選手たちのONとOFFの切り替えがしっかりできているということです。休日の束の間の余暇を楽しんでいた人たちが、試合が始まると一変し、一人一人が真剣に観客を魅了する仕事をしている。まさにプロフェッショナル!これは、学校生活のプロである皆さんにもぜひ実行してほしいことでもあります。気楽なオフの時間は思いっきり楽しんで、授業などの大切な時間ではスイッチをすぐ切り換えて気を引き締めて取り組んでほしいと思っています。ハンドの試合の1試合1試合が本気の真剣勝負であるように、授業も1時間1時間が真剣勝負だと思って取り組むことができたらいいですね。特に今は定期考査前ですから。
「わたしは、門の外に立ち…」 (9月25日火 朝の話)
2012.09.26     S.N.
 おはようございます。みなさんは今日の聖歌をどのような気持ちで歌ったのでしょうか?
 私にとって聖歌とは、キリスト教への扉を開くきっかけになったものです。大学生の私は、宗教の先生になりたいという気持ちはありましたが、キリスト教の魅力にひかれつつも信仰していこうとは考えていませんでした。ですが、週に一度通っていた勉強会で、ある聖書の一節に出会いました。

『見よ。わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしはその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。』

これは、ヨハネの黙示録3章20節の一節です。気づいている人もいるかもしれませんし、まだ知らない歌の人もいるかもしれませんが、これは聖歌集にのっている『わたしは門の外に立ち』という聖歌です。そして、この一節はたくさんの人によってさまざまな絵で描かれています。その絵には、門の外に立ち扉をたたくイエス様が描かれていますが、その扉には取っ手がありません。だから、イエス様はむやみに扉を開けることはできず、ずっと中にいる私たちが扉を開くのを待っているのです。そう考えた時、私は今まで何度も聖歌を歌ってきたのに、ずっと知らずにイエス様を待たせていたのだと気づきました。迷いが無かったわけではありませんが、この一節に出会ったことが私のキリスト教の扉を開いたことに違いはありませんでした。
私は今、嬉しい時も悲しい時も必ず聖歌を口ずさみます。そこには神様へ祈りを通して、自分自身を思い起こし、また新たに前に進む為の力があるように思います。
さて、みなさんは明日からの聖歌をどのような気持ちで歌うのでしょう?
最後に、みなさんの今日が充実した一日になりますように、祈りと共に終わります。
担当は3年Bクラス担任 でした。
「怒鳴られたことから…」(9月19日)
2012.09.22     Y.M.
おはようございます。

 今から9年ほど前に大学に入学した私は、とにかく生活のために入学して10日もたたないうちにアルバイトを始めました。
人生で初めてお給料をいただいたお仕事は、町の小さな回転寿司屋さんでの、ホールスタッフのお仕事でした。お客様のご案内や注文受け、お皿を数えてお会計や、お客様がいらっしゃらないときには清掃などのお仕事をしました。

 このお仕事を始めて間もないころ、常連の中年の男性のお客様のお会計を担当した時のことでした。
「2,630円になります」何気なく言った一言が、お客様の逆鱗にふれてしまいました。
「なります。って言葉おかしいだろ!!」と怒鳴られました。
私は驚いてその場に茫然と立ちつくしていました。そして、人前で怒鳴られたことと悔しさで、後で、休憩室で、一人で泣きました。
「~になります。」という言葉づかいが間違っていたことは分かってたし・・・
教えてもらったまま言っただけだし・・・
その教えてくれた先輩の前で、言葉づかいを直すなんて失礼だし・・・
など言い訳を沢山自分の中で巡らせて、自分を慰めました。

しかし、その後、その方を恨んで言い訳ばかりをいっても仕方ないと考え直しました。
言葉づかいのことで、お客様には、もちろん自分のためにも納得して使おうと心に決め、正しい言葉づかいが分からなければ、調べてみたりもしました。

 今では私を怒鳴ってくれたお客様に感謝しています。その方が注意して下さらなかったら、私は間違ったことばを使い続けただろうし、言葉づかいについて考えることはなかっただろうと思います。
 初めは素直に聞き入れられませんでしたが、その後、悔しいという思いから自分なりに考えて行動できたのではないかと思います。

 どんなことがきっかけで、自分が成長するチャンスになるのかは分かりません。
みなさんも日頃、うまくいかないことや、先生は親子さんから、注意を受けて悔しい思いをすることもあるでしょう。それをチャンスにするのも、埋もれさせるのも自分次第だと思いませんか。

今朝はこれでおわります。
「結果か、それともプロセスか…」(9月18日)
2012.09.22     T.A.
結果とプロセス、どちらが大事か。
学生であれば試験や部活動での試合、社会人となれば仕事と
この2つが問われることは少なくない。
どちらも欠くことができない大事なものであるが、
人として成長させるものはプロセスではないだろうか。
結果は人に自信をつけ喜びをもたらす一方で、人を惑わしたり陥れたりする。
結果はウソを言うときがあるが、プロセスはウソを言わないのである。

プロ野球選手のイチローは次のように言う。
 結果とプロセスは優劣をつけられるものではない。
 結果が大事というのは、この世界でこれなくしてはいけない、
 野球を続けるのに必要だから。
 プロセスが必要なのは野球選手としてではなく、人間を作る上で必要と思う。
また、こうも言う。
 負けには理由がありますからね。たまたま勝つことはあっても、たまたま負けることはない。
 本当の力が備わっていないと思われる状況で何かを成し遂げたときの気持ちと、
 しっかりと力を蓄えて結果を出したときの気持ちは違う。

人はそれぞれの立場で目標があり、目標を達成することで人として成長する。
プロセスが準備不足であったり、多少甘かったりしたときでも、
何かしら結果が出てしまうことが時にある。
そうしたときの結果には注意が必要で、そこで天狗になってしまうと、
次に思わぬ落とし穴にはまってしまうことが往々にして起こるものである。
これは結果を出すことを否定しているのではない。
結果を求めないプロセスは惰性や無責任を生むからだ。
また、結果が出ることによって、それまでのプロセスが報われることになる。
結果におごることなく、足らなかったプロセス、甘かったプロセスを見直し、
次に向け気を引き締めてスタートすることで、更に成長できるのである。

(参考 MSNトピックス)
The 「集団行動」 !! (H24.9.12 朝の話)
2012.09.13     M.K.

 昨年末に、あるテレビ番組で日本体育大学の女子学生が、今まで男子学生にだけ許され
ていた競技「集団行動」にチャレンジした様子が放映されたのを見て、これだと思いまし
た。『ただみんなで歩くだけ』、『ただみんなで走るだけ』、『ただみんなで号令通りに動いているだけ』。こんな単純な行動に人は感動し、ため息をつき、涙するのだと改めて知った私は、今年の体育祭で是非中学生にこの演技をさせたいと思いました。
 しかし実際は、『ただみんなで歩くだけ』とう単純作業がなかなか思うようにいかず、生徒からは「先生、80人の足音をひとつにするなんて無理なんじゃないですか」という不安の声が上がっていました。そんな不安を解消させるために何度も何度もひたすら歩いたり、ひたすら走ったりしているうちに、本番当日にはなんの指示もなしに生徒は円陣を組んで互いに声をかけ合ったり、その場で足踏みをして心を一つにしたりと、自然とみんながひとつになっていました。
 「本番は練習の8割できればいい」なんて誰が決めたのでしょうか。今まで炎天下の中 
何度も何度も練習してきましたが、本番が一番最高の演技でした。
 この集団行動を通して、様々な感動がありましたが、そのひとつは、先輩は後輩のため
に、後輩は先輩のために一生懸命になっていた、ということです。
 練習の時、1年生の歩行がなかなか揃わず、本人たちは焦りや不安を抱えていましたが、2・3年生に迷惑をかけたくない、2・3年生にとって中学校最後の体育祭で絶対に先輩の役に立ちたいという思いで、体育祭の1・2週間前から、昼休みを使って自主的に練習を始めたのです。
 1学期当初から何度もDVDを見て動きを研究し、時にはぶつかり合いながらもきっちり
まとまっていった3年生、あなたたちの思いはちゃんと後輩に伝わりましたよ。そして、
1年生のお手本となり3年生を支えた2年生、中堅学年として本当によく頑張りました。
3学年が、それぞれの色にキラキラ輝く演技でした。

 もちろん、頑張ったのは集団行動だけではありません。体育祭のためにテントを張った
り、草抜きをしたり、応援練習に明け暮れたり、企画運営をしてくれた生徒・そして先生
方、本当にお疲れ様でした。一時は降水確率100%と言われていた9月9日でしたが、
奇跡的に全競技を無事終えることができたのも、聖和のみんなの熱い思いが通じたからだ
としか思えません。

 これからもどんな困難にも負けない強い絆、そしてたくましい聖和魂を後輩たちに引き
継いでいってほしいと願います。

 中学3年担任 保健体育科の川本でした。今朝はこれでおわります。


 

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