「ノミ(蚤)の悲劇」(1月22日 朝の話)
2013.01.23     K.S.

皆さん,おはようございます。
 今朝は「ノミの悲劇」というお話をしたいと思います。

皆さんは「ノミ」という生き物をご存知ですか。ノミとは,体長が一ミリにも満たない寄生昆虫で,人や哺乳類などに寄生して時々吸血,つまり血を吸ったりする生き物です。最近ではめったに見られなくなりましたが,私が子供のころはよくこのノミに刺され退治をしたものです。

しかしこのノミはジャンプ力が物凄く,2メートル以上つまり床から天井の高さくらいなら簡単に跳ぶことができるそうです。NBAのマイケルジョーダンのジャンプ力が1メートル22センチということですから,このノミは人間のジャンプ力をはるかに上回ります。オリンピックなら楽々金メダルです。いわばノミに備わった敵から身を守る唯一の防御法なのでしょう。目の前にいたはずのノミが,一瞬のうちに姿を消して人間の視界から消えてしまうことも充分にありえます。

そんなジャンプの金メダリストのノミですが,高さ30センチくらいのふたのついた箱の中に入れられてしまうと,箱から出ようと何度も何度もジャンプを繰り返し,ふたに衝突します。箱から逃げようと必死になって得意のジャンプを繰り返すわけですね。ジャンプしても逃れられないことがわかると,あきらめてしまい,ジャンプさえしなくなります。

しかしここからノミの悲劇が始まります。ノミの入った箱のふたを取っていつでも逃げられるようにしてあげても,かつては2メートルものジャンプ力を誇ったノミは,30センチも跳べなくなってしまい結局一匹も箱から逃げ出すことは出来なくなってしまいました。

なぜ今朝この「ノミの悲劇」というお話をしたかもうお分かりですね。

勉強面・部活動・毎日の学校生活で,ちょうどノミのように壁にぶつかることはたくさんあると思います。本来はもっと出来るはずなのに,こんなはずではないのにと思いながらも,壁にぶつかってしまい,苦手意識を感じ,「もう無理だ」とあきらめてはいませんか。

皆さんに立ちはだかる壁はどれも,ノミを入れた箱のふたに過ぎません。軽いふたもあるでしょうし,なかなか開かないふたもあるでしょう。でも何度もチャレンジしているうちに,ふたは必ず開きます。ですから高い目標を持って毎日の生活に臨んでほしいと思います。ノミの悲劇を繰り返さないためにも。

今朝の話はこれで終わります。
今日も一日がんばっていきましょう。
試験に対する私見(H25.1.15 朝の話)
2013.01.17     K.O.
 新年を迎え、すでに2週間が過ぎました。年齢を重ねるたびに、1年間が本当にあっという間に過ぎていくような気がいたしますが、若い皆さんは、どうなのでしょうか。

 さて、今度の土日は大学入試センター試験が実施され、全国の多くの人や、本校からも3年生の生徒たちが受験します。さらに、それに合わせて高校1年生と高校2年生も来年・再来年の受験のことを考えて、別会場で時間をずらして同じ問題に挑戦します。そこで、今日みなさんにお話ししたいことは、そもそも試験とは何なのか、何のために実施されるのかということについて、そのほんの一部についてのお話です。

 大学受験方法の違いとか、傾斜配点がどうだとかいった詳しい内容については、担任の先生方や進路担当の先生方に聞いてください。

 まず、試験とは何なのかの1番目の答えは勿論、「いま現在のあなたの学力を試すもの」です。基本的な知識が身についているか、基本的な判断力があるか、目に見えないことに思いを巡らして考えることができるのか。ものごとを論理的に思考できる力があるか等々、その試験の得点で、その人の学力が試されます。

 では、その学力を試す理由は何なのか?

 それは、大学に入学して、さらに高度な学問を勉強しようとするときに、問題を解決する基本的な力が備わっていないと困るからです。参考となる資料を探したり、さまざまな文献を紐解いて研究するときに、理解したり読み解いたりする学力がないと困るからです。

たとえば、東京外国語大学の外国語学部フランス語学科で勉強しようとするときには、大学入試では、特に英語の学力がしっかりと見られます。それは入学して初めて学ぶフランス語の講義が、日本語ではなくすべて英語で授業されるからです。さらに大学2年生からはフランス語の授業がフランス語でなされます。英語が理解できない人にとっては、大学1年生の時点で、留年がほぼ決まってしまいます。では英語だけができれば良いのかというと、そうでないことも当然理解できますよね。テキストに書かれた内容には、フランスや世界の歴史だとか、あるいは日本語の文法を理解していてもなかなか理解できない文法だとか、テキストの内容によってはあらゆる科目の総合的な力も要求されるでしょう。

よく生徒の中に、情報でも宗教でも家庭科でも、時には数学や理科でさえ、受験科目にないから必要ない、無駄だと考える人がいます。しかし、それは真の意味での勉強をしていることにはなりません。勿論、今受験が目前の3年生に、今こそ「情報の科目」に力をいれなさいとか「保健」の教科書の内容を覚えなさいと言っているのではありません。

高校1・2年生や中学生のみなさんに、入学試験に合格するためだけの、受験に必要な科目だけの勉強ではいけないとわかってほしいのです。簡単な算数さえできない大学生が増えているそうです。世の中に出ても、本を読まない大人やまともな文章が書けない人になったりします。場の空気が読めない人、問題の解決能力や物事の判断力に欠けた人になって、やがて仕事ができない浮いた存在になってしまうかもしれません。

少し、話がわき道にそれてしまいました。どうか受験を控えた3年生のみなさん、受験直前まで粘り強く取り組み、今まで培ってきたその学力を十分に発揮してほしいと願っています。

今朝は、これで終わります。
「百聞は一見にしかず」(12月18日 朝の話)
2012.12.19     M.A.
 先週、高校二年生は修学旅行で沖縄に行ってきました。
平和学習をしたり、いろいろな観光地を回ったりと、とても充実した4日間に
なりました。

2年生は5分前行動がきちんとできていて、いつも以上にテンションが高くて
とても
楽しそうにしていました。


 私は今回初めて沖縄に行きました。
そこで、私が特に印象に残っているのが「米軍基地」です。
テレビのニュースや新聞などで話題になっているので、なんとなくは知ってい
ましたが、
バスガイドさんの説明を聞いていると初めて知ることばかりでした。

例えば、嘉手納基地がある嘉手納町は、85%の面積が基地に使われ、残りの
15%に
住民が住んでいるそうです。そう言われて町を見ると、道路の片側は
どこまでも芝生の
広がる嘉手納基地、反対側は密集した住宅地。基地は、ただ
芝生が広がっていているだ
けで、土地がもったいないと思ってしまいましたが、
何もない芝生の下にも爆弾や石油

などが収納されているそうです。いつも危険と隣り合わせで生活しているとい
うことが
分かりました。基地は、沖縄にとってプラスの面もマイナスの面もあり、
どちらがいい
と私は言えませんが、「知る」ということは大切だと感じました。


 特にこの修学旅行を通して、「百聞は一見にしかず」ということを思い知ら
されました。
百回聞くよりも、たった一度でも自分の目で見たほうが確かだと
いうことです。

 これから冬休みに入ります。せっかくの長期休暇なので、いろいろなところ
に出かけてみて、
自分の知識を増やしてみてはどうでしょうか。
夢…(12月12日朝の話)
2012.12.18     S.K.
おはようございます
みなさんは、今どんな夢を持っていますか?
その夢を形にするためにどのように過ごしていますか?

私たちは、みんな一日24時間という時間で動いています。
その24時間の使い方は、人によって様々です。
誰かと楽しく過ごそうとする人、ひとりでじっくり何かに取り組む人、
辛いことや苦しいことで悩みながら過ごす人……。
過ごし方は人それぞれですが、すべて意味のある時間です。
それは、その時間をどのように過ごしたかが自分に返ってくるからです。
ときには、どんなに時間をかけてもすぐに努力が実らないときもあるでしょう。
でも、24時間はみなさんに平等にあるものです。
せっかくなら、有意義に過ごしたいと思いませんか?
くじけそうな時は、良いことをイメージして口に出してみてください。

「叶う」という字は「くちへん」に「じゅう」と書きます。
「十」は「プラス」にも見えますね。

自分に「プラス」になることを口に出して、ぜひ夢を「叶」えてください。
「話す姿勢と聞く姿勢」 (H24.11.6 朝の話)
2012.11.06     R.M.
先週 A先生から朝の話がありました。どんな話だったか覚えていますか?
心に残った所は、どこですか?
私は「伝統」についての話で「常に新しいものを伝えていくためにこれまで積み重ねられた功績を超えようと努力し、新しいものが生み出される」というところが心に残りました。それ以上で心を打たれました。

朝の話は、毎回担当の先生が、話を考えられます。
 「心を込めて伝えたい」そんな先生方の気持ちで話をされています。それを自分の番になって改めて感じています。今日は、この話をする側と聞く側の気持ちや、姿勢について考えてみましょう。
 まず、話をする側の話ですが、私自身この学校に勤務して16年目になります。新米の頃からいままで、多くの先輩の先生方の姿を見て、それを目標に今もがんばっています。その先輩方から先生という職業は「言うだけは誰でもできる、伝えられたか、伝えられなかったか」が大切で伝わっていなければ先生が悪いと思うこと!!を学ばせてもらっています。また、多くの先輩の先生方の中に、授業はこの人、HRはこの人、学年集会ならこの人、部活動ではこの人というように、新米教師だった私にとって生徒のみんなの聞く姿勢をつくり、伝えることが上手な先生方がおられます。今は後輩にあたる先生にもいます。
 その先生方の一人が「人は聞こうとする心は誰もが持っています。その状況になるようにしてあげるには、じっと心で生徒を見ていたらわかりますよ。」と言われていました。特にその先生方に関わっている生徒たちは、人間的にも成長していて教師の私から見ても「尊敬できる」ところがありました。今も私の目標です。

 さて、聞く側の話は、生徒のみなさんです。みなさんは「話す人が何を伝えたいのか、心において聞こう」としていますか?

 先程言った「尊敬できる」生徒の多くはいくつかの部活動生で、聞く姿勢をそのクラブの伝統として、伝えられ伝えていた部分も多かったのではないでしょうか?
また、そうゆう部活も多く、お互いが高めあっていた気がします。
 今、それが失われているとは、言いません。先日のワープロ部の県大会優勝、バレー部は春高予選を控え、目標に向かって多くクラブが「伝統として積み重ねられた功績、を超えよう、新しいものを生み出すため努力しよう」という人たちは、たくさんいます。だからこそ、聞く姿勢を大切に伝統として守り続けて欲しいと思います。
 逆にそう考えると授業中寝てしまうこと、指示をしっかり聞いていなっかたりして自分が忘れてしまっていたという部分があるひとは、「相手が何を伝えようとしているかを心にとめて聞く」ことで、自分自身、そしてみんなが成長できると思います。
そのことは、話をする側、話を聞く側のお互いが幸せになれると思います。