Page 3 of 2612345最後 »

「聖和姉妹校との交流の歴史」~H29.12.19朝の話~
2017.12.23     職員

おはようございます。3年担任、家庭科のK.Sです。 
聖和に先週、先々週とオーストラリアからの留学生が来校しましたが、私は先々週のセント・マーガレット・メアリーズカレッジもコフスハーバーも訪れたことがあります。 それは、先日同窓会の会長さんが行きたかったとおっしゃっていた「聖和シンガーズ」の引率で行かせていただきました。
 今から21年前、1996年、平成8年の夏休み、第12回シンガーズでした。
 22名の生徒と音楽の内田恵美子先生、ピアニストの小川貴之先生、コーディネーターはSr.マリーでした。私は内田先生の着物着付けなどの裏方や写真やビデオ撮影を担当しました。北のケアンズから南のメルボルンまで28日間、6つの姉妹校を訪問し、コンサートを行い、ホストしていただきました。途中のニュー・サウス・ウエールズ州ではライオンズクラブの招待ツアーとして会員様の家にホストしていただきました。大人になってからの初めてのホームステイはとても緊張し、つたない英会話にどきどきしながらもたくさんの方々との出会いがあり、忘れられない思い出となりました。 この「聖和シンガーズ」が何で始まったかというと、実は第1回目は今から44年前、1973年、昭和48年に聖和創立20周年記念として、第2代校長Sr.メリークレメントの提案で、これまでのオーストラリアからの援助のお礼として音楽による訪問を計画されたのです。コーラス隊のメンバーをどうやって決めたかというと、中学高校生、全生徒に歌のテストを行い、高校生22名、中学生3名が選ばれたそうです。 最初はこの1回だけと思われていたようですが、3年後もライオンズクラブの招待を受け実施され、その後は2年に1度のペースで、1998年、平成10年の第13回まで実に25年間実施されました。 実はコフスハーバー市との姉妹都市提携は聖和シンガーズがきっかけとなり、今から29年前、1988年、昭和63年に提携式があり、この年のコフスハーバーでの演奏会は姉妹都市提携記念演奏会となったのです。 毎回、世界の歌、日本の歌、ミュージカル、オペレッタ、ソロ演奏など工夫を凝らし、大変喜んでいただいたと13回指導、引率をされた内田恵美子先生は創立50周年記念誌に記されています。コンサートのみならず病院や老人ホーム、小学校、幼稚園などにも訪問し、日豪親善の懸け橋となって大きな役割を果たして来たのです。
 このような素晴らしい歴史をこれからもかたちを変えつつも続けていくことが大切ではないかと思います。 オーストラリアに7つの姉妹校を持つ聖和女子学院です。みなさんのアイデアや協力でこれからも素晴らしい交流を続けていきましょう。


 


「嫁ぐ娘」~H29.12.13の朝の話~
2017.12.23     職員

おはようございます。高校2年副担任、保健体育科のK.H.です。
 長年聖和に勤めさせていただくと、当然朝の話も数多く、今日は何十回目の話になるでしょうか。年々ネタ切れ状態になり、自分の知識不足にただ反省するばかりです。今朝は私事で誠に申し訳ございませんがお許し下さい。

 12月10日の日曜日は娘の結婚式でした。
 私の娘は私と違っていいも悪いも何でもきちっとしすぎてるので結婚はどうかな~と一抹の不安がありました。娘に尋ねるといつも「30までにはするけん」という答え、娘は来年の4月で30才、まさに神に感謝という感じでした。息子の結婚式は経験してましたので今回ものんびりかまえてたら息子の時とは違った緊張感がありました。
 式が始まり、娘と初めて腕を組んで歩くなんか違和感のあるバージンロード、体育の教員でありながら娘と合っているようで合っていない全くリズム感のないウエディングステップ。新郎に娘を渡す時も、握手の手にはつい力が入りすぎ、プレッシャーを与えたのではと反省しました。続いて披露宴では多くの方に来ていただき、親として感謝するばかりでした。娘の中学校時代の恩師でその後私が生徒募集でも大変お世話になった校長先生、2年半自宅の寮で娘をあずかっていただき心と体を鍛えていただいた当時のバレー部顧問の先生、3年間連続で担任をしていただいた藤村教頭先生、あらためてありがとうございました。また、バレー部の同期は遠方にもかかわらず全員きてくてれました。そしてクラスメートだった私が顧問をしてたハンドボール部のキャプテン、彼女は私が近くに行くなりピシッと立って直立不動、いまだに私の顔を見ると緊張すると笑っていました。いったい私からどういう教育を受けてきたんでしょうね。そして、披露宴の途中では不思議な縁を感じることもありました。新郎側のご挨拶の中で上司の方が新郎新婦よりずっと前に新婦のお父様を知ってたと。私はびっくりしてご挨拶にいったところ娘さんが聖和中バレー部の卒業生で松岡先生には大変お世話になりましたと言っておられました。そして娘が在学中に春高バレー出場、今回結婚の時に再び春高バレー出場、司会者の方にも聖和高校春高バレー出場おめでとうございますとアナウンスまでしていただきました。
 いよいよ披露宴のエンディング、娘との事前打ち合わせの中で泣かせる挨拶ではなく笑える挨拶をしてくれと言ってたのですが、そうも行かなかったのでしょう。感謝の言葉の一節に次のような言葉がありました。
「高校時代はお父さんから厳しい言葉しか言われなかったけど、一度だけ部活の事で悩んでいるときに誰もいない体育館でひとこと頑張れと言ってもらいうれしかった」と。そういえばそんなこともあったなあと懐かしく思い、さすがにほろっときました。結婚式を終え、親としての責任をはたした安堵感もありましたが、いろんな事を考えさせられる結婚式でした。
 いちばん感じた事は娘は親よりも今までかかわっていただいた全ての人に育てていただいてたということ。次に思ったのは人生の中で人と人とのかかわりはホントに大事にしないといけないということ。
 みなさんはどうでしょう。人と人とのかかわりを大事にしていますか。まさか自分は一人でも大丈夫だと大きな勘違いをしてる人はいないと思いますが、どうでしょう。まずは家族、そしてクラスメート、部活の仲間など自分のまわりの人たちを大切に思って下さい。そうすれば自分も大切に思ってもらえるし、穏やかな人間関係を築くことができるでしょう。そしてそれがきっと役にたつことがくると私は確信しています。

 最後になりますが、昨夜新婚旅行先から家内の携帯に写真が送ってきたそうです。幸せそうなだんなを見ておかしくてつい笑ってしまったそうです。
 ちなみに私は見ませんでした。今朝はこれで終わります。


 


「世界と自分」~H29.12.12の朝の話~
2017.12.23     職員

質問ですが、
「地球に住む人がもし100人だったとすると開発途上国で暮らす人はどれくらいになると思いますか?」


 答えは82人です。
 これはJICAの広告に載っている紹介文の1つです。JICAとは世界の問題を解決するための国際協力を行う機関です。
 高校1年生では先月、吉岡町にある小川工務店の社員の方が実際にJICAと連携して行った活動についてお話を聞く機会がありました。代表取締役の小川様は本校の前PTA会長で、ご自身も海外青年協力隊として活動された経歴をもたれています。
 社員の方を助けが必要な場所に派遣し、地元佐世保からでも世界的な援助をしているということ、2年間派遣国のフィージーで小川工務店の社員として働き、家庭を持ちながらでもボランティア活動できる環境を整えていることなど、たくさんお話いただきました。 また現在は24歳の女性の社員の方がセネガルで日本語を教える活動をされています。YouTubeでセネガル日本語チャンネルと検索すると日本語を楽しく話している様子が見られます。
 世界の問題をどれだけ自分のことのように考えられるのか、これから皆さんに求められるものの一つだと思います。はじめに言いましたが、一学年を世界と例えると、4クラス中3クラスは開発途上国に暮らす人々です。 いきなり自分と世界をリンクすることが難しい人は、今のうちにできるボランティア活動に積極的に取り組んでみてはどうでしょうか?佐世保にも気軽に相談に行けるボランティアセンターがあり、今日も18:45まで開いています。
 最後に、私が小川さんたちとの打ち合わせの中で心に残った言葉をお伝えします。
挑戦すべきことに 一歩踏み出した時点で 成功している。」


「シスター方の来日に想いを馳せて・・・」~2017.11.16朝の話~
2017.11.16     S.N

 おはようございます。宗教科担当のNです。
 皆さんは、今日が聖和にとってどのような日か、もちろんご存知ですよね?
 ルカによる福音書に記される「善きサマリア人のたとえ話」は、現在の私たちにも通じるたとえ話です。「隣人を自分のように愛しなさい」という律法の教えについて、イエスとの会話の中で律法の専門家は「では、私の隣人とは誰ですか?」という問いかけをします。もしかしたら、彼は「隣人になる人」と「ならない人」という明確な区別をしたかったのかもしれません。しかし、イエスが語ったこのたとえ話は、追いはぎに襲われた一人の人を助けたのが、「汚れている」と嫌われていたサマリア人だったというものです。どんなに律法の教えを理解し、守っている人でも、「隣人を自分のように愛する」ということが必ずしもできるわけではないことを教えています。サマリア人は自分が周りからどう見られているのか、どう思われているのか、そんなことは関係なく、ただ目の前で起きている状況で自分ができることを行いました。
 今から64年前の今日、善きサマリア人修道会のシスター方は、戦争中、オーストラリアと敵対した国にも関わらず来日し、広島・長崎の原爆による惨状を目の当たりにしました。学校建設という目的はありましたが、まずは目の前で苦しむ人々を救うために尽力したというのは、皆さんにお配りしている『ぶどうの木の下で』にも記されています。

 どうか今日一日、来日されたシスター方を思いながら過ごしてください。聖和で学ぶ皆さんが、目の前で苦しむ人がどのような人であろうと、自分ができる限りの救いの手を差し伸べ、シスター方が聖和という名に思いを込めた「平和を創る女性」として育っていくことをお祈りして、今朝の話を終わります。


 


「関ケ原」~H29.10.31:朝の話~
2017.11.09     A.K

 8月の終わりに、映画「関ヶ原」が封切られたので見に行きました。石田三成と徳川家康による天下分け目の戦いを描いた作品です。
 私にとって、司馬遼太郎の「関ヶ原」は忘れられない作品です。ずいぶん昔、正月に3日間かけて7時間ドラマとして放送されました。調べてみると、今から36年前、TBS開局記念30周年として制作されたようです。こんなことが机に座ったまま調べられるというのは、本当に便利な世の中になったものです。

 圧巻の内容で、ドラマを見終わって「家康というのはとんでもない悪いやつだ」と憤慨したことを覚えています。印象が強烈だったので、原作を読んでみようという気になりました。今まだ書店の目立つところに置いてある文庫本3巻です。
 読み進むにつれ、ドラマの感動がよみがえるとともに、いわゆる歴史小説というものが様々な記録に基づいて書かれていること、何百年も前の文書が捨てられず数多く残っていることに新たな驚きがありました。

 実はそれまで歴史にはほとんど興味がなかったのです。おそらく年号を覚えるのが苦手だったからでしょう。
 これをきっかけとして、歴史小説を読むようになりました。教科書の事実の列挙と違って、主人公の目を通して見る歴史はそれぞれの出来事が色を帯びているのです。

 昔の人の一生はたかだか5,60年ですが、何人もの主人公の人生をたどることで、日本史2千年のピースが重なりながら少しずつ埋まってきます。1冊読むごとに新たな発見があり、自分の歴史観ができあがっていくことは楽しみになりました。それは一つ一つの定理を積み上げて体系を形作っていく数学の勉強に似ているように思います。

 あれから36年、今でも読んでいる本の大半は歴史物です。若いとき、この「関ケ原」に出会っていなければ私の歴史観は全く違ったものになっていたことと思います。
 ただ、今実感していることがあります。年を取るにつれ、感動の度合いが小さくなってきたことと、読んだ内容をすぐに忘れてしまう記憶力の衰えです。
「本は若いときに読め。」
 読書週間も中程になりました。私が今身にしみて感じている、高校時代の先生のことばを皆さんにも送ります。


 


 



Page 3 of 2612345最後 »