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「原動力」(朝の話:H28.9.14) T.O.
2016.09.15     職員

9月10日は忘れられない記念日となりました。1つ目は青ブロックの優勝を含め、体育祭が大成功のうちに幕を下ろしたこと。2つ目は我が広島東洋カープが実に25年ぶりに優勝したことです。カープ優勝の原動力、キーパーソンとして、マスコミ・メディアは2名のベテラン選手の存在を強調していました。ピッチャーの黒田とバッターの新井です。野球に詳しい人はこの2人がどのような経緯で広島カープを支えてきたのかを知っていると思いますが、ここでは割愛します。とにもかくにも、41歳の黒田と39歳の新井、チーム最年長の2人が最も熱心に練習に取り組み、声を出し、最も注目や期待、プレッシャーを背負いながら戦い続けました。2人の言葉、行動が若手選手の意識を変え、老若男女、全国のカープファンを勇気づけ、広島の街を変えてくれました。この2人の役割を、チーム聖和に当てはめるならば、私は間違いなく高校3年生の存在が相応しいと思います。体育祭の本番は勿論のこと、準備、撤収作業での働きは立派で偉大でした。細かいところや基本的なところで先生方からお叱りを受けたり、後輩たちへの指導に苦しんだりもしたでしょうが、少なくとも私が関わり応援させてもらった高3生は全員素晴らしかったです。私が心配してしまうぐらいの大声を出し、抜群の気遣いを見せ、集合も早く、笑顔も素敵な高3生。皆さんの逞しい背中をこれからも後輩や先生方は見つめ続けます。黒田や新井はベテラン、偉大であるが故に、人一倍の苦労や失敗を経験し、それらを乗り越えてきました。2人の戦いはまだ続きます。高3生の戦いもこれからが本番でしょう。『女の戦い』、涙が出るくらい感動しました。みんななら乗り越えられる!チーム聖和をこれからも力強く引っ張っていってください。


 


「あたり前ではない」~H28.6.22(朝の話)~
2016.06.28     K.S.

高校2年A組担任、家庭科の担当者です。

 先日、南阿蘇に住む兄の家に行ってきました。
熊本地震から2か月がたち、余震もだいぶ少なくなり、やっと電気、水道、ガスがきて、少しは落ち着いたのかと思っていましたが、現実は厳しいものでした。

 兄は南阿蘇でペンション(=洋風の民宿)をしています。

幸い、建物はコンクリートのしっかりした土台であったため、倒壊はまぬがれたものの、自分で建てた小屋は全壊し、外壁は数か所はがれ、内部もすべての客室の壁にひびが入ったり、床にすき間ができていました。あらゆる家具は倒れ、食堂やキッチンでも、ものが倒れたり壊れたりして、床はガラスだらけで歩けなかったそうです。お客様に出していたグラスや食器もほとんどわれてしまいました。
  ペンションの再営業は、非常に厳しい状況です。 兄は「人生が狂ってしまった。」と言っていました。



 南阿蘇地区では、あちこちの山が大きく崩れ、土砂による被害が多かったのですが、特に山崩れの規模が大きかったのは、阿蘇大橋で、橋も道路も線路も土砂で流され、跡形もなく、なくなっていました。 すぐ横の東海大学農学部の阿蘇キャンパス周辺は、学生のアパートがたくさん建ち並び、古いアパートはそのほとんどが倒壊したままの状況でした。大学は授業再開のめどが立たず、熊本市内に校舎を移すとのこと。やはり活断層に沿った地域の被害が大きく、古い家やお墓、道路、山すべて崩れたままでした。そして、今は豪雨にみまわれ、さらなる被害が広がりつつあります。 まだまだ復興には、長い時間と膨大な費用がかかります。



 私たちは、あたり前に学校に来て、学校生活を送り、帰る場所があって、食事もでき、風呂にも入れ、ゆっくり寝ることもできる。 毎日繰り返されるこの何気ないあたり前の生活は、あたり前ではないのです。 自分に与えられた状況に感謝し、今も不自由な生活を送ってらっしゃる方々のために、何か自分にできること探していきたいものです。


 


“景色”
2016.06.27     M.O.

 高総体は応援ありがとうございました。高校バレー部の顧問です。
先週は 全九州総体に出場してきました。
惜しくも、鹿児島県代表の鹿児島女子高校にセットカウント1-2で敗れました。
私たちの負けは高総体決勝と同じあと一歩及ばない負けでした。
1点が取れないことで勝てない試合でした。



負けて学ぶものはとても多くあります。
それぞれのチームが、自分たちの負けを、自分たちの未来につなげていきます。
私たちも「あと一歩」この突き詰められている現実をよく理解し、
あと1点を取れるチームに変化、成長します。
決勝戦、楽しい試合をまた応援に来てください。



 さて、今日は景色と風景の話をしたいと思います。
景色は高いところまで登れば登るほど、良くなります。
私はその景色を見ていると、自分の心が表れてきます。
皆さんはいかがですか。


聖和にも窓から見える素晴らしい景色があります。
私は聖和の教室から眺める佐世保港の景色が大好きです。



 昨年は私も1年目。1Aの教室で、今の高校2年生といろいろな思いで、この景色を見つめていました。
2年目の今年も、同じ1Aの教室で佐世保港の景色を眺めて、 物思いをしています。



私たちが生きていく中でも、見えてくる風景があります。
いろんな出来事や経験です。あの時の喜び。あの時の苦しみ。
その場面が心の中に残っていきます。



今、壁にぶつかりながら頑張っている皆さん。
その壁を乗り越えて、一つ上に登れば新しい風景が広がっています。
苦労をしながら、登り続ければ、少しずつ見える眺めも良くなります。
そして、これまでよりも美しい、最高の出来事が待っています。



聖和の校舎から素晴らしい景色を眺めながら、一歩一歩、登り続けましょう。
それは、きっと見ることができる風景です。


 


“糸”
2016.06.16     S.Y.

 


みなさんのクラスにいる人と出会って友達になる確率はどれぐらいだと思いますか?
 まず、みなさんが生まれてくる確率、同じ佐世保にいる確率、そして同じ教室で隣の席に座る確率を考えると宝くじの一等をあてより難しい奇跡を起こさなければ出会うことすらできません。そんな奇跡の確率で出会った友達を、みなさんは大切にしていますか?言葉やほんの少しの誤解で喧嘩することもあると思います。でもそんな時、少しだけ今日の話を思い出してほしいと思います。
 私は音楽鑑賞が趣味で、これまでにたくさんの曲を聞いてきました。
 そのたくさん聞いた曲の中で好きな曲の一つが中島みゆきさんの「糸」という曲です。
 みなさんは、聞いたことがあるでしょうか?聞いたことがない人もいると思いますので、サビの部分の歌詞を紹介します。
 縦の糸はあなた
 横の糸は私
 織りなす布は
 いつか誰かを 暖めうるかもしれない
 …これがサビの歌詞です。
 人を糸に例え、人との出会いによってその後出会う誰かの役に立つかもしれないということが歌われています。 この曲は中島さんが結婚する友人に向けて作った歌です。
 この曲の最後の歌詞に、「しあわせ」という言葉が出てきます。みなさんはしあわせと書く時どのように書いているでしょうか?例えば、漢字で幸福の幸の字に送り仮名でせで「幸せ」と書く人、全部ひらがなで「しあわせ」と書く人がいると思います。 しかし、中島さんの「糸」の曲の中では仕事の仕に合計の合、送り仮名にわせで「仕合わせ」と書かれています。 この「仕合わせ」には、良い意味も悪い意味も含めた巡り合わせという意味があります。
 もともと、しあわせという言葉は「し合わす」が語源であり、何か2つの動作が合うことが「仕合せ」だと言われていました。言い換えるなら、巡り合わせという言葉のほうが意味としては近いそうです。自分が今置かれている状況に、偶然別の状況が重なって生じることがこの「仕合わせ」だと言われています。
 この曲の最後の歌詞は
 縦の糸はあなた
 横の糸は私
 合うべき糸に
 出逢えることを
 人は仕合わせと呼びます
 …となっています。
 自分の今の人との出会いが良いものであっても悪いものであっても運命の巡り合わせであるといった意味が込められています。 今の友だちとの関係においても色々な人との出会いがあると思います。その出会い1つ1つが自分を成長させてくれ、その経験がその後出会う誰かの役に立つことを忘れずに日々の学校生活を送ってほしいと願っています。


 


 


「失敗は成功のための財産」~2月9日(火)朝の話
2016.02.11     M.Y.

 世界の自動車メーカーホンダの創業者、本田宗一郎さんのお話をしたいと思います。
 本田宗一郎さんは、子供の頃、読み書きが嫌いで苦手な劣等生でした。ただ、機械いじりが好きでたまりませんでした。そのため、本田さんは高等小学校を卒業すると、町の修理工場に丁稚奉公として就職しました。
 けれども、すぐに車の修理ができたわけではありません。本田さんに与えられたのはスパナではなく、雑巾一枚。朝から晩まで工場の掃除と赤ん坊の世話が、本田さんの仕事でした。これが一年半も続きます。
 こんな辛い状況から何度も逃げ出そうと思ったそうです。しかし、この下積み生活があったからこそ、後で、乾いた砂漠が水を吸い込むように車の知識と技術を吸収できたのだと彼は語っています。
 そのうち自分でもっといいエンジンを作りたいと思い、28歳で定時制の工業高校に通い、機械工学の基礎を学びました。
 好きなことには、納得がいくまで必死に取り組む彼は、そのうち「世界に通用する車を創りたい」という夢を語るようになります。
 周りの人は呆気にとられ笑いましたが、本田さんは本気でした。社員にも「チャレンジして失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」と語りました。
 町工場で働いていた学歴のなかった若者の熱意と努力は、みごとに花咲き、本田さんがつくった車は、いま世界中を走り回っています。
 私は、本田宗一郎さんのこの言葉も好きです。
 「世間の人は私を成功者だというがとんでもない。
 私がしたことの99パーセントは失敗だった。
 成功したのはわずかに1パーセントですよ。」


 本田さんは人から見れば、不可能に思えることにチャレンジする人でした。
 ですから、失敗は多い。
 しかし、チャレンジしなければ成功もありません。
 失敗があっても、失敗から学べば、失敗は成功のための財産になります。
 成功は、失敗を恐れないチャレンジ精神と失敗から学ぶ賢明さから生まれるのです。


 



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