根を大きく (朝の話:H27.6.10)H.S.
2015.07.14     職員

みなさん、おはようございます。高校生は選手・応援と高総体期間中は慌ただしく過ごしたことと思います。私はバレーボール競技しか応援に行けませんでしたが、毎日朝早くから遅くまで練習に励んでいた皆さんを見ていて、こちらが元気をもらっていたように思います。


さて、今朝は「木」という字の成り立ちについて紹介したいと思います。「山」や「川」のように、漢字は様々な形をもとに作られています。皆さんは「木」という字が何を表しているか、考えたことがありますか?


 聞いたところによると、「木」という字の第一画目は地面を表しているとのことです。そして、二画目の縦線は、幹を表しているとのこと。


もう分かるかもしれませんが、三・四画目は根を表しているそうです。


つまり、私たちが普段目にしている「木」は、漢字の由来から考えると少ししかありません。地面からはみ出ている部分のみを見て、私たちは「木」を見ているつもりでいるのです。


高総体での皆さんの活躍を近くで見て、この「木」の話を思い出しました。


選手の皆さんは本番の日まで、人から見えない所で練習を積み、涙を流し、悩んだことでしょう。


これから試合を控えている文化部の皆さん、中学生の皆さんの努力が良い結果に結び付くことを願っています。


 


雨ニモ負ケズ 試練ニモ負ケズ(朝の話:H27.6.30)T.O.
2015.06.30     職員

雨にも負けず 風にも負けず


岩手県花巻出身の詩人、童話作家でもある宮沢賢治の死後、彼のカバンに入っていた手帳から発見された詩の一節です。詩のモデルとなった人物は、賢治とも交流があった斎藤宗次郎という、キリスト教の信者であったらしい、ということを最近知りました。斎藤さんの生き様を知り、この詩はより深い感動を私に与えてくれました。試験が終わったら皆さんも是非調べてみてください。


 


体感温度は35℃にも達するという暑さの中で、なでしこジャパンが見事準決勝に進出しました。


「確かに暑かったですが、湿気の高い日本の暑さに比べれば苦ではなかった」と、インタビューに答える選手の言葉を耳にして『雨にも負けず』の詩が脳裏をよぎりました。ハーフタイムに入った直後に、ぐったりとピッチを歩くオーストラリア選手を尻目に、小走りでロッカールームへ向かうなでしこたち、ゴールを決めた直後も、無駄な体力を使っていそうだなぁと余計な心配をしてしまうぐらい、喜びを爆発させる姿に底知れない強さを感じました。


普段から日本で暮らしている人は春夏秋冬を知っている。自然の恵みや優しさ、穏やかさや美しさ、豊かさを知っている。時折牙をむく自然の凶暴性や理不尽な仕打ちも知っている。季節の移ろいが緩やかな時も、ガラッと変わることも知っている。何気なく暮らしている私たちの日常は、実は他の国や地域に暮らす人たちにとっては、とてつもなく羨ましいものであり、恐ろしいものでもあります。


変化することが日常の日本で暮らしてきた人々は、微妙な変化も見逃さず楽しみ、文化や芸術にまで取り込み、僅かな変化で危険や困難さを悟り、解決のための知恵をつけたり習慣を生み出してきました。急激な変化にもへこたれず、乗り越え、真剣に向き合ってきた歴史が、暑さや寒さが続く無変化の環境にも対応できる強い心と身体をつくることにつながりました。


「雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち 欲はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている」


先日、うだるような暑さでも集中力を切らさず、他校の選手に挑み、一心不乱にボールを追っていたテニス部の生徒、遅くなりましたが、中体連・高総体に全力を出し切った選手の皆さん、声を振り絞って応援した皆さん、日本のDNAをしっかり受け継いでくれていましたね。お疲れ様でした。明日からの試験もがんばってください。大きな上向きの変化を期待しています。今朝はこれで終わります。


 


「口」すなわち「人」なり(朝の話:H27.2.18)T.O.
2015.02.20     職員
先日、メンフィスオープンというテニス大会で、錦織圭選手が優勝を果たしました。3連覇という相性の良い大会です。優勝しても控え目に、はにかみながら喜びを語る彼の姿は印象的でした。皆さんは松岡修造というテニス選手をご存知ですか?バラエティ番組で見せる明るくおしゃべりなキャラクターも素敵ですが、テニスの大会で解説を務めている際の、冷静で口数は少なくてもここぞという場所で的を射た彼の発言にも素晴らしいものを感じます。人は集中している時、口数は自然と少なくなるものです。試合や演技の最中にずっと騒がしく、声を出してばかりいる選手はいないでしょう。口を開くべき時と、口を閉じるべき時を知っているか、使い分けているかどうかです。今日は『口』という字にこだわってみたいと思います。先ず、『口』はそのまま『人』を意味するのではないでしょうか。『人口』という言葉に使われている『口』、中国の史書に用いられた歴史用語の『生口』は生きた口と書き、『セイコウ』と読みます。奴隷という意味があります。『口減らし』という言葉も、「家計が苦しいので家族の者を他へ奉公に出すなどして養うべき人数を減らす」という意味です。『口』という字を3つ並べると『品』という字になりますね。『口』を4つ、『大』きいという字で区切ると『器』という字になります。では、『品格』という言葉を考えた時、『口』は『人』を意味するので、『品格』はそのまま『人格』と置き換えることが出来ます。『上品』も『下品』も、そのまま人格や生き様に当てはめられる言葉です。『器』という字を使った表現もあります。「あの人は器が大きい、器が小さい」、「器量が良い、器量が悪い」など、人柄や人間性を表現するのに『口』という字は深く関わっています。さて、聖和では今週からあいさつ運動が始まっています。聖和の伝統として無言清掃も引き続き行われています。卒業式も間近に迫っていますね。口を開くべき時、閉じておくべき時を意識して行動する場面が多くなります。繰り返される決められた動作、習慣づけられた動作は美しく、人を惹きつけます。そうした動作は静かであるべきことが前提条件になっていることが多いのではないでしょうか。さて、しばらくの間、皆さんも口を開くか閉じるか見極めていくことを意識してみませんか。
世界平和を望むなら…(朝の話:H27.2.17)
2015.02.17     K.O.
高校3年生と中学3年生にとってはあと10日ほどで卒業式を迎えます。
私は、前々校長のシスターが卒業式の式辞で次のように仰ったのが今でもとても印象に残っています。「世界の平和を望むのならば、まずはあなた方の足もとからそれを実現してください。」と言われた言葉です。
世界平和というときに、私たちはついつい遠い紛争地域の平和のことを考えてしまいがちです。ではあなたの身近なところにその戦争の種はありませんか?とシスターは問われました。あなた方の家庭ではどうでしょうか?お父さんやお母さん、おじいちゃん・おばあちゃん、お姉さんや妹・弟などの兄弟と仲良く過ごしていますか?クラスのお友達とはいかがですか?誰かの悪口を言ったり、仲間はずれの友人はいませんか?いつも一人で寂しそうにしているクラスメートを、見て見ぬふりをしていませんか?人が傷つくような言葉を簡単に口にしていませんか?
遠い遠い国々で起こっている悲惨な戦争も、最初は小さなもめ事からのスタートだったのかも知れません。自分がもし身近な人たちとの心の交流ができていないとすれば、シスターが教えてくださったように、決して世界の平和を願っていると言うには、まだまだその資格が足りないのかも知れません。こういう私も、身近な人たちに心を開いて、相手の立場に立って誰とでも仲良くふるまう行動ができいるのかと問われれば、残念ながらまだまだ十分には実行できていません。
本校教育理念の柱である“隣人愛の精神‘’は、口で言うのは簡単ですが、実行するのは本当に難しいことだと思います。自分に冷たい人、自分にとって都合の悪い人、自分の陰口を言う人、周囲には実にいろんな人がいます。自分に限らず、自分の家族や自分の大切な人が辛い思いをさせられたり、悲しんだり悔しい思いをさせられたり、ましてや命を奪われたりしたら、その相手を憎む気持ちを抑え、相手の罪を許すということは、本当に難しいことだと思います。
学校では「相手の人たちを、その人たちの立場に立って、自分と同じように愛しなさい。自分がされて嫌なことは、人にしてはいけません。」と隣人愛の意味を教えています。
おそらく多くの皆さんも頭の中ではわかっているはずです。そしてそれをいつも実行できているという人もたくさんいると思います。そんな人は本当に偉いなぁ、と心から尊敬します。私はまだまだ修行が足りません。
そこで、卒業生への私の最後のメッセージとして、本校の校訓をもう一度意味をかみしめながら、ここであらためて紹介し今朝の話を終わります。
「苦しむ人と共に苦しみ、喜ぶ人と共に喜べるよう、キリストの愛の心で人々に接しよう」
今朝はこれで終わります。
「いつもと違う朝」:朝の話(1/21)
2015.01.22     F.U.
おはようございます。2015年が始まり20日が過ぎました。
みなさん、今年の目標は立てましたか?

さて、冬休みに実家に帰った際、ふと高校時代の卒業アルバムを開いてみました。私が通った鹿児島の高校は当時10クラスあり、私は自分が何組だったかも覚えていませんでした(たしか2組か3組でした)。不器用なりに、毎日を過ごしていた高校時代、印象に残っているある方の講演会での言葉があります。当時、母校では様々な分野で活躍されている方をお呼びしての講演会が開かれていました。阿川佐和子さんや恵俊彰さんなど、メディアの表舞台で活躍されている方もいらっしゃいました。


その中で、元NHKのアナウンサー、宮崎緑さんがいらっしゃった時のことです。その時はすでに国際政治学者やジャーナリストとして、中東を中心に飛び廻られていました。そのなかで、アフガニスタンに行ったときの話をしてくださいました。世界には、戦争が正義で、人を殺めることに幸せを感じている子どもたちがたくさんいる。何の悪気もなく、純粋にそう信じている場合があるとのこと。高校2年生の夏、進路や将来を考えていなかった私のなかに、教育という言葉がよぎったのは、その時だったかもしれません。


他のどんな時とも違う、特別な言葉や瞬間は、これからみなさんにたくさん訪れると思います。その時、みなさんはより輝けるのではないでしょうか。三年生のみなさんは、いよいよ卒業が近づいてきました。新しい環境でも輝いてください。
今朝はこれで終わります。