お知らせ

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2021/08/09
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2021年8月9日 

「追悼式でのお話」 

聖和女子学院宗教科主任 

 

原爆が長崎に投下されてから76年が経ち、戦争を知っている世代がどんどん少なくなってきています。

私も皆さんと同じで戦争の悲惨さを直接見たことはありません。

学校に通っていたころ、平和学習で当時の状況を知るたびに胸が痛みましたが、しばらくすると忘れていつもの生活に戻ってしまっていました。

始まりにこんなことを言うのはどうかと思いますが、忘れてしまうのは仕方ないことだとも思います。

 

しかし、私はこうして毎年思い出すことが大切ではないかと考えています。

何をしたか詳しくは覚えていなくても、感じた胸の痛みや気持ちを少しでも覚えていて、「戦争」や「原爆」という言葉とともに気持ちだけでも思い出せればいいと思います。 

 

みなさんは戦争の何が恐ろしいと思いますか? 

原爆や兵器、恐ろしいものはたくさんありますが、私は戦争で一番恐ろしいと思うことは、敵のことを「自分と同じ人権を持った人間だ」と認識できなくなってしまうことです。敵のことを恐ろしい生き物、わけのわからない生き物だと考え、その人たちに家族がいることや生活していること、を忘れてしまう。そういう気持ちにしてしまうことが戦争だと思います。第二次世界大戦中、名前を知らない誰かの生きる権利を奪ってまで、戦争を終わらせたい、この状況を変えたいと追い込まれてしまった人がたくさんいたことで多くの悲劇がうまれてしまいました。 

 

 

聖書には「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)という言葉があります。みなさんは敵だと思う人を愛して、その人のために祈ることができるでしょうか。どうしても難しい、敵を愛して祈るなんてきれいごとのように感じてしまいませんか?まして、原爆の被害に合った人に「敵を愛さないといけないんだから許しなさい」なんて言えるでしょうか。私は、愛することと許すことは別だと思います。許していなくても愛する、つまり「相手を尊重する」ことはできると思うからです。私はこの「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」という言葉の本当の意味は、私たちのことを迫害しなければ生きていけないような状況に追い込まれた人のことを考え、その人も同じ人権を持った人間だということを忘れないようにしなさいという意味だと考えています。 

広島に原爆が落とされた後、広島の悲惨な状況を知りながら、同じことを長崎にもしよう、長崎にも原爆を落とそうと決めた人は長崎の人たちを同じ人権を持つ人間だと考えられていたのでしょうか。たくさんの「数」として人が亡くなれば戦争が終わるということしか考えられなくなっていたのではないかと思います。 

 

 

11時2分に講堂から鐘が鳴らされます。この鐘はアメリカ軍の工作船「ディクシー号」で製造された「サンタマリア」という名の鐘です。

 

もう二度と大切な人の生きる権利が奪われないように、また自分が誰かの生きる権利を奪ってしまわないように、平和を願いながら鐘の音を聞き、黙祷をささげましょう。」