心のとびら
先生から伝えたい言葉
生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。
皆さん,おはようございます。
今朝は「ことば」についてお話します。
まず,クイズから始めましょう。もちろんことばに関するクイズです。
よく聞いて考えてみてください。では始めます。
日本語をはじめとして,英語,フランス語,韓国語,中国語など世界中にはさまざまな言語がありますが,いったいいくつぐらいの言語が存在すると思いますか。次の3つから正解を1つ選んでください。
1 500言語 2 5000言語 3 50000言語
正解は2の約5000言語です。皆さんの答えはいかがだったでしょうか。きっとその数の多さにびっくりしたことと思います。
5000もの言語の背景には,5000の文化が存在します。わが国にも,日本文化に根ざした独特の表現があります。
「○○君はまだまだ序の口だぞ」という表現は相撲に,
「○○○さんに一目をおく」という表現は囲碁に由来しています。
このような表現は他のどの外国語にも存在しません。このほかに,日本語では自分のことを言うときに,「私,僕,あたい,俺,わし,うち,おい」などさまざまな表現がありますが,英語でIしかありません。逆に,外国語の中には,日本語にないような表現や単語がたくさんみられます。
でもこの地球上に存在する5000言語すべてに共通したことばや表現があることをご存知でしたか。
その頭文字をとって英語では,「STEP」,日本語では「オアシス」と表現されます。
それは,次の4つのことばです。
STEPのSはSorry,TはThank you,EはExcuse me,PはPleaseです。
日本語はもうお分かりですね。
オはお願いします,アは有難うございます,シは失礼します,スはすみません となります。これらのことばは,世界中どの国に行っても,お互いに共同生活をしていくうえで必要だということです。逆にこれらのことばがちゃんと使えないと,どこに行っても苦労するということです。
皆さんはこれらのことばを,心を込めて相手に伝えていますか。私はこれらのことばは,相手を幸せにしてくれる魔法のことばだと思っています。まだちゃんと伝えられていない皆さん,明日といわずぜひ今日から実行してみてください。そうすれば,きっとみなさんのまわりの世界が大きく変わってくると思います。
今朝の話は以上で終わります。今日も一日頑張っていきましょう。
有難うございました。
9月23日(日)にハンドボールのプロリーグの試合を見に行きました。佐世保市の体育文化館で行われ、大崎電機と琉球コラソンが対戦しました。大崎電機といえばハンドボール界で有名な宮崎大輔選手が所属しているチームです。その宮崎選手はテレビ等にもよく出演している方なのでやはり圧倒的な存在感がありました。かっこよかったです。宮崎選手がバスから降りるとその周りには熱狂的なファンの人だかりができ、宮崎選手がベンチから立ち上がるだけで会場がどよめき、宮崎選手がコートに入ると盛大な拍手が起こり、宮崎選手がシュートを決めるとそれは必然的に絶叫に変わっていました。さらにこの日は宮崎選手がプロリーグ通算700得点目という記念すべき得点をたたき出したので、会場は宮崎大輔一色で大いに盛り上がっていました。宮崎選手おめでとうございます。
そんな話はさておき、私はハンドボールの顧問ですので、そんなスーパースターよりも選手たちの試合前の練習に目が釘付けで、どんな練習をしているのかをチェックするのに夢中になっていました。そこで感じた正直な感想は、休日の公園で若者がボールを使って遊んでいるといった感じでした。のんびりキャッチボールをする人もいれば、試合用のボールではないけど、ハンドボールを蹴鞠のように蹴って遊んでいる人たちもいて、「こらっ、ボールを蹴っちゃいかん!」とつっこみたくなるシーンもあり、それは自由で楽しそうで大音量の音楽も鳴っていて、選手たちは随分リラックスした様子でした。
しかし、試合が近づいて両チームの選手たちが円陣を組んで猛々しい雄たけびを上げると、試合開始とともに選手たちの戦うスイッチが入り、今まで休日のオフを楽しんでいたような若者が急にコートという名の戦場で戦いをはじめました。プロの試合なのでそれはもうお互いが激しくぶつかり合い、流れるようなパスワークと複雑なポジションチェンジに加え、華麗なるシュートの連続でした。気がつけばあっという間に前後半合わせて1時間の試合が過ぎていました。
一流の選手のプレイに心が躍ったのですが、私が一番驚いたのはやはり選手たちのONとOFFの切り替えがしっかりできているということです。休日の束の間の余暇を楽しんでいた人たちが、試合が始まると一変し、一人一人が真剣に観客を魅了する仕事をしている。まさにプロフェッショナル!これは、学校生活のプロである皆さんにもぜひ実行してほしいことでもあります。気楽なオフの時間は思いっきり楽しんで、授業などの大切な時間ではスイッチをすぐ切り換えて気を引き締めて取り組んでほしいと思っています。ハンドの試合の1試合1試合が本気の真剣勝負であるように、授業も1時間1時間が真剣勝負だと思って取り組むことができたらいいですね。特に今は定期考査前ですから。
おはようございます。みなさんは今日の聖歌をどのような気持ちで歌ったのでしょうか?
私にとって聖歌とは、キリスト教への扉を開くきっかけになったものです。大学生の私は、宗教の先生になりたいという気持ちはありましたが、キリスト教の魅力にひかれつつも信仰していこうとは考えていませんでした。ですが、週に一度通っていた勉強会で、ある聖書の一節に出会いました。
『見よ。わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしはその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。』
これは、ヨハネの黙示録3章20節の一節です。気づいている人もいるかもしれませんし、まだ知らない歌の人もいるかもしれませんが、これは聖歌集にのっている『わたしは門の外に立ち』という聖歌です。そして、この一節はたくさんの人によってさまざまな絵で描かれています。その絵には、門の外に立ち扉をたたくイエス様が描かれていますが、その扉には取っ手がありません。だから、イエス様はむやみに扉を開けることはできず、ずっと中にいる私たちが扉を開くのを待っているのです。そう考えた時、私は今まで何度も聖歌を歌ってきたのに、ずっと知らずにイエス様を待たせていたのだと気づきました。迷いが無かったわけではありませんが、この一節に出会ったことが私のキリスト教の扉を開いたことに違いはありませんでした。
私は今、嬉しい時も悲しい時も必ず聖歌を口ずさみます。そこには神様へ祈りを通して、自分自身を思い起こし、また新たに前に進む為の力があるように思います。
さて、みなさんは明日からの聖歌をどのような気持ちで歌うのでしょう?
最後に、みなさんの今日が充実した一日になりますように、祈りと共に終わります。
担当は3年Bクラス担任 でした。
おはようございます。
いよいよ今年度の終わりが近づいて来ました。明日は校内合唱コンクール、明後日は修了式を迎え、25年度が完了します。
さて、今年度、本校での最大の行事は昨年11月9日に挙行された60周年記念式典でした。先生方も各係を分担し、私は記念誌作成の係となりました。その準備を進めていた最中に、今から20年前の学院報40周年記念号を見る機会がありました。そこに、とても懐かしい、嘗て本校の教頭先生をなさっていた池田栄治教頭先生の言葉を見つけました。私が教育実習をした折の教頭先生で、理科を専門とされ、厳格な先生でしたが、時折、見せられる笑顔はなんとも優しくて、台湾で教鞭を執っていたことなどを、よく話してくださいました。
全校集会が開かれたある日のこと、池田教頭先生が全校生徒を前に、こんな話をなさいました。
「今日は、みなさんに私から1本の「き」をさしあげます。さあ、どんな「き」でしょうか?」新任1年目の私は生徒同様、「何の木だろう」と思っていました。
池田教頭先生の答えは「やる気」でした。同じ「き」は「き」でも気持ちの「気」でした。その時、何事も自分の「気持ち」次第、私は「自分のやる気」を大事に育てようと思いました。今でも、その時の教頭先生の言葉を忘れることができません。
また、池田教頭先生は学院報の中に、こんな言葉も残してくださいました。その言葉を紹介して、朝の話を終わりたいと思います。
「 高校生とは、己が生活を自ら律し、自己を確立してゆける人
高校生とは、自己の限界に挑戦し、その可能性に挑戦する人
高校生とは、人間の誇りを自覚し、人生とは何かを学ぶ人
高校生とは、夢と希望と期待に生き、人生に大きな虹をかける人
高校生とは、若さとエネルギーを活用して勉学、部活動に命を燃やす人
高校生とは、外見、服装ではなく、心の中を磨く人
高校生とは、自分の中にいるもう一人の未発見の自己を見つける人
高校生とは、万物をわが師と仰ぎ、栄養を無限に吸収する人 」
今朝はこれで終わります。
新年を迎え、すでに2週間が過ぎました。年齢を重ねるたびに、1年間が本当にあっという間に過ぎていくような気がいたしますが、若い皆さんは、どうなのでしょうか。
さて、今度の土日は大学入試センター試験が実施され、全国の多くの人や、本校からも3年生の生徒たちが受験します。さらに、それに合わせて高校1年生と高校2年生も来年・再来年の受験のことを考えて、別会場で時間をずらして同じ問題に挑戦します。そこで、今日みなさんにお話ししたいことは、そもそも試験とは何なのか、何のために実施されるのかということについて、そのほんの一部についてのお話です。
大学受験方法の違いとか、傾斜配点がどうだとかいった詳しい内容については、担任の先生方や進路担当の先生方に聞いてください。
まず、試験とは何なのかの1番目の答えは勿論、「いま現在のあなたの学力を試すもの」です。基本的な知識が身についているか、基本的な判断力があるか、目に見えないことに思いを巡らして考えることができるのか。ものごとを論理的に思考できる力があるか等々、その試験の得点で、その人の学力が試されます。
では、その学力を試す理由は何なのか?
それは、大学に入学して、さらに高度な学問を勉強しようとするときに、問題を解決する基本的な力が備わっていないと困るからです。参考となる資料を探したり、さまざまな文献を紐解いて研究するときに、理解したり読み解いたりする学力がないと困るからです。
たとえば、東京外国語大学の外国語学部フランス語学科で勉強しようとするときには、大学入試では、特に英語の学力がしっかりと見られます。それは入学して初めて学ぶフランス語の講義が、日本語ではなくすべて英語で授業されるからです。さらに大学2年生からはフランス語の授業がフランス語でなされます。英語が理解できない人にとっては、大学1年生の時点で、留年がほぼ決まってしまいます。では英語だけができれば良いのかというと、そうでないことも当然理解できますよね。テキストに書かれた内容には、フランスや世界の歴史だとか、あるいは日本語の文法を理解していてもなかなか理解できない文法だとか、テキストの内容によってはあらゆる科目の総合的な力も要求されるでしょう。
よく生徒の中に、情報でも宗教でも家庭科でも、時には数学や理科でさえ、受験科目にないから必要ない、無駄だと考える人がいます。しかし、それは真の意味での勉強をしていることにはなりません。勿論、今受験が目前の3年生に、今こそ「情報の科目」に力をいれなさいとか「保健」の教科書の内容を覚えなさいと言っているのではありません。
高校1・2年生や中学生のみなさんに、入学試験に合格するためだけの、受験に必要な科目だけの勉強ではいけないとわかってほしいのです。簡単な算数さえできない大学生が増えているそうです。世の中に出ても、本を読まない大人やまともな文章が書けない人になったりします。場の空気が読めない人、問題の解決能力や物事の判断力に欠けた人になって、やがて仕事ができない浮いた存在になってしまうかもしれません。
少し、話がわき道にそれてしまいました。どうか受験を控えた3年生のみなさん、受験直前まで粘り強く取り組み、今まで培ってきたその学力を十分に発揮してほしいと願っています。
今朝は、これで終わります。
皆さん,おはようございます。
今朝は「ノミの悲劇」というお話をしたいと思います。
皆さんは「ノミ」という生き物をご存知ですか。ノミとは,体長が一ミリにも満たない寄生昆虫で,人や哺乳類などに寄生して時々吸血,つまり血を吸ったりする生き物です。最近ではめったに見られなくなりましたが,私が子供のころはよくこのノミに刺され退治をしたものです。
しかしこのノミはジャンプ力が物凄く,2メートル以上つまり床から天井の高さくらいなら簡単に跳ぶことができるそうです。NBAのマイケルジョーダンのジャンプ力が1メートル22センチということですから,このノミは人間のジャンプ力をはるかに上回ります。オリンピックなら楽々金メダルです。いわばノミに備わった敵から身を守る唯一の防御法なのでしょう。目の前にいたはずのノミが,一瞬のうちに姿を消して人間の視界から消えてしまうことも充分にありえます。
そんなジャンプの金メダリストのノミですが,高さ30センチくらいのふたのついた箱の中に入れられてしまうと,箱から出ようと何度も何度もジャンプを繰り返し,ふたに衝突します。箱から逃げようと必死になって得意のジャンプを繰り返すわけですね。ジャンプしても逃れられないことがわかると,あきらめてしまい,ジャンプさえしなくなります。
しかしここからノミの悲劇が始まります。ノミの入った箱のふたを取っていつでも逃げられるようにしてあげても,かつては2メートルものジャンプ力を誇ったノミは,30センチも跳べなくなってしまい結局一匹も箱から逃げ出すことは出来なくなってしまいました。
なぜ今朝この「ノミの悲劇」というお話をしたかもうお分かりですね。
勉強面・部活動・毎日の学校生活で,ちょうどノミのように壁にぶつかることはたくさんあると思います。本来はもっと出来るはずなのに,こんなはずではないのにと思いながらも,壁にぶつかってしまい,苦手意識を感じ,「もう無理だ」とあきらめてはいませんか。
皆さんに立ちはだかる壁はどれも,ノミを入れた箱のふたに過ぎません。軽いふたもあるでしょうし,なかなか開かないふたもあるでしょう。でも何度もチャレンジしているうちに,ふたは必ず開きます。ですから高い目標を持って毎日の生活に臨んでほしいと思います。ノミの悲劇を繰り返さないためにも。
今朝の話はこれで終わります。
今日も一日がんばっていきましょう。
おはようございます!
今日から3日間、授業参観が行われます。
皆さんにとって、授業参観の思い出は(どのようなものですか?)
今日は、私の思い出話を1つ。
それは今をさかのぼる、数十年前・・・
学校生活にも慣れ、授業中に見る教育TVと、友達と休み時間にグランドで走り回るのを楽しみに過ごしていた、少々おてんばな小学2年生の頃です。
両親ともに仕事をしていたため、学校行事にはあまり参加ができなかったことを、子供ながらにわかっており、友達に「今日はお母さん来らすとぉ?」と余裕の構えでいた私。
先生が教室に入られ、みんなそわそわと後ろを気にしていたその時!
廊下を歩くたしかに見覚えのあるその姿・・・。みんなが小声で「だれ?」「だれ?」と聞いてくるのを、首を振って「さぁ~?」とするのがやっと。
でも、間違いなくそこにいるのは私の祖母でした。。。
大工をやっていた祖父の手伝いをし、いつも体を使って仕事をしていた祖母が、着物を着て、私の授業参観に来てくれたことが、しばらく頭で整理がつきませんでした。
授業の内容が何だったのか?・・・どんな質問をされたのか?
そのことはまったく記憶に残っていませんが、
先生がその日来られた保護者を気遣ってか?、いろんな質問をされ、
それが当たったことで、友達にもわかってしまい、
ちょっと恥ずかしい、でも特別な思い出です。
人を幸せにする言葉とそうでない言葉がありますが、皆さんはどちらの言葉が好きですか?
先日、中学では『家族への感謝の日』という行事を行いましたが、時間を作って来てくださった保護者には、ぜひ「来てくれてありがとう」。当たり前のことでも「いつもありがとう」と、気持ちを伝えてほしいと思います。
今朝はこれで終わります。
今日は私が高校3年次に進路を決定した話をしたいと思います。
高校入学時、幼いころからモノ作りが好きで、兄の影響もあり工学部の建築学科,もしくは機械科のような技術職につき、将来は研究をしたいと考えていました。
そのような考えで、臨んだ高校3年次の3者面談、担任の先生に言われました。
「おまえは数学科に行け」
この一言で、数学への道を進むことを決めました。なぜなら、担任の先生は、数学の先生であり、数学で尊敬できる先生でした。尊敬する先生から言われた一言、数学を好きである自分はとても嬉しく思い、数学の力を認めてもらえたように感じたからです。
このときは、安易に「将来は、数学で飯を食っていこう」と考えていました。
今、考えてみると自分の人生が、ここで大きくと変わったように感じます。
あの時、担任の先生が「将来の自分をしっかり考えて決めなさい」と言われていれば、たぶん、数学科ではなく、工学部の学科に進んでいたと思います。そして、教員の道にも進むことはなかったと思います。
進路を決めたときはまだ、教員になろうという考えはなかったのですが、今の自分があるのは、あの担任の先生の一言から始まっている、と思えます。
みなさんも、何か自分を変える一言に出会っていますか??
普段の話にしっかり耳を傾け、自分を変える一言に会えるといいですね。
今朝は、これで終わります。
「心の扉」のコーナーの取り組みがある会社から注目されて、
キャリア教育の先駆的取り組みとして紹介したいという
原稿依頼を受けました。
そこで、この「心の扉」のコーナーを生徒の皆さんや
保護者の皆さん、あるいは卒業生その他、読まれた方々が
どのように受け留めれていらっしゃるのか、感想なり、とらえ方なり
の情報がとれれば、ご紹介くださいませんか?と依頼されました。
「心の扉」に対する、ご意見やご感想など、何でも結構ですから
「今日のつぶやき」コーナーを通じて、管理人宛にメッセージを
お届けいただけませんでしょうか?
街でたまたま出会った卒業生や、出張先での他校の先生方から
「楽しみに、読ませてもらってますよ。」といった声は届いて
いますが、なかなか文字で受け取る機会がなかったものですから…
ご協力を、宜しくお願いいたします。<(_ _)>
もうすぐ高総体・中体連が始まります。選手の皆さんは本番に向けて最後の仕上げの段階に入っているところでしょうか。今まで培ってきた経験を活かして悔いがないように全力を出し切ってきてください。
しかし、頑張るのは選手の皆さんだけではありません。このような特別な大会の中で一番選手を勇気づけるのはやはり皆さんの応援なのではないかなと思います。私が聖和に来た最初の年と二年目の年はハンドボール部として高総体に出場しました。皆さんもご存じの通りハンドボール部は現在部員不足ですが、その当時も人数が少なくぎりぎりで試合に出場していました。そのため普通の試合のときはベンチに私以外誰一人おらず、観客席で応援してくれる人は一人もいませんでした。しかし、高総体となると数十名にもおよぶ応援団が長崎市であろうとも島原市であろうともスクールバスに乗って参上し、1回戦にも関わらずどの学校にも負けない応援をしていました。劣勢だった試合ではさらに他校の威勢の良いチームからの声援もあり、わずかな時間でしたがその試合では聖和一色の一体感をベンチの一番の特等席からじっくり堪能することができました。そしてその応援は選手たちにとってとても心強い味方となっていたようで、試合が終わった後応援に来てくれた一人一人に「ありがとう」と言って心から感謝の気持ちを表していました。私は学生時代にバドミントンをやっていましたが、こんなに大きな声援を頂いた経験がないので監督の私自身もすごい感動を覚えた記憶があります。応援に来てくださった生徒の皆さん、引率の先生方、スクールバスの運転手さんに心から感謝しています。
今年聖和は、高総体ではバレーボール、バドミントン、ソフトテニスの3種目に出場し、中体連ではバレーボール、バドミントンの2種目に出場します。競技によっては応援の仕方に制限がありますがルールを守って精一杯の応援を選手の皆さんに届けましょう。そして選手の皆さんは最後まであきらめないで戦って来てください。健闘をお祈りします。
余談ですが、ハンドボール部は来年高総体に「出場したい」ではなくて「出場します」。そのときは皆さんの声援をよろしくお願いします。そして一番声援を頂けるようにがんばります。部員の皆さんはがんばりましょう。