心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

2019/10/22
Y.M

みなさん、おはようございます。宗教科担当のMです。

みなさんは「こうあるべき」と思っていることはありませんか。たとえば、「お姉ちゃんは我慢すべき」「先輩はしっかりすべき」など、いくつかの「こうあるべき」を持っているのではないでしょうか。私はそれが人より多いように思います。

 妹が生まれたころ、私は「姉は我慢すべき」と思っていました。小学校は「毎日行くべき」と思って通っていましたし、中学校では「部活を続けるべき」と思って続けていました。私にとって多少しんどいことは「これはこうあるべきなのだ」と思い込むことによって、達成していました。これが「私だけが」こうあるべきと思うだけなら良いと思います。しかし、「姉は」「小学生は」「先輩は」などと思っていると、「同じ姉なのに」と他人が自分の考える「こうあるべき」にそぐわない行動をしているのが気になるようになります。私は「こうあるべき」を実践できている自分が正しいと思っていました。ですから、部活を辞めた同級生よりも自分のほうが正しいなどと思い、私の「こうあるべき」に沿わない生き方がまるで残念であるかのように考えていました。

 聖書には「人を裁くな」とあります。マタイによる福音書7章の3、4節では「あなたは、兄弟の目にあるおがくずは見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気付かないのか」と語られています。まさに私は自分の「こうあるべき」に沿わないという他人のおがくずにばかり目を向け、自分の中にある「不寛容」という丸太に気付かないでいました。今でも度々自分の目の中に丸太が現れます。自分の丸太を完全になくすことはできないかもしれませんが、丸太が入っていることを自覚して生きていきたいと思います。