心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

A long time ago, Jesus asked his friends to wait for him in the boat while he went to a mountain to pray.
As the men waited, a strong storm appeared and blew the boat into the middle of the ocean.

The men tried to row the boat back to shore, but they couldn’t. 

The men were worried about Jesus. How could they get back to him?

Then they saw a man walking on the water, coming towards the boat.

As the man walked closer, they could see it was Jesus!

One of the men, named Peter, asked if he could walk on water too. Jesus said yes, as long as he kept his focus on Jesus.

Soon, Peter was walking on water.

But, the moment Peter took his eyes of Jesus and looked down at the ocean, he began to sink.

Jesus grabbed Peter and saved him.

 

 これは聖書からのお話です。イエスキリスト様が海の上で歩く姿を見て、弟子のピーターもイエス様を見ながら、水の上を歩くことができました。しかし、ピーターが下の海を見た瞬間、おぼれそうになってしまいました。

 私も日本に来てから、何度もおぼれそうになったことがあります。一生懸命日本語を勉強しても、なかなか上達しません。日本語検定の1級を取得するのに、想像以上の時間がかかりました。私の日本語の発音や発言に対して、バカにされることが今だにあります。

 でも私はそれに負けないです。私のフォーカスは日本が大好きです。素敵な家族、素敵な友だちに恵まれています。今夜また家族に会えることを楽しみにして、一日頑張ります。週末、友達とごはんを食べに行くことを楽しみにして、頑張ります。小さくてもいいから、フォーカスを見つけて、それに向かっていけば、必ずものごとは良い方向へ向かいます。下を見てはいけません。

Let’s look up together.

 

 みなさんおはようございます。1年Eクラス担任の野村です。最近は気温差や肌寒さから、秋だなぁと感じる季節になってきました。そこで今日は「芸術の秋」という観点から少しお話をしようと思います。私は大学生の頃、2年間長崎県美術館でアルバイトをしていました。館内のスタッフとして色々なイベントにも関わっていました。

 たくさんのお客様が作品を描いたり、作っているのを見ていたとき、あることに気づきました。目を引かれるような、魅力的な作品を作っているのは、ほとんどが大人の人ではなく、子供だということです。材料の紙やテープを、切ったり貼ったりするのではなく、破いたり、重ねたりして、中には画用紙や額縁の外に飛び出しているものもありました。そんな型にとらわれない表現方法がとても自由で、とても素敵な作品にしていたのです。

 目を引く芸術品のように、額からはみ出たり、綺麗なものをしわくちゃにしてみたり、時には変だと思われるような視点や発想を持つことが、新しいものを作る第一歩だったりします。人と違うことを恐れず、様々なことに挑戦して、柔軟性を育ててみてください。素晴らしい芸術品が聖和から生まれるのを楽しみにしています。

 今朝はこれで終わります。

3B副担任、高校音楽科のTです。

私が聖和に勤めてから、約7か月が経ちました。

それまで時々歌うお仕事をしていましたが、普段は普通の主婦、普通のお母さんでした。

息子の通う小学校で絵本を読むボランティアをしたり、参観日でなくても学校に行き、授業の様子を見て回り、休み時間にはいろんな子どもたちと話をしたり、かるたをしたり、背中をさすったり、頭をなでたり、時には抱きしめたり・・・。

そんな私に○○くんのお母さんから「常連の保護者」とあだ名がつきました。

今、先生になってもその感覚が抜けず、お母さんみたいな気持ちでみなさんを見てしまい、まだまだ先生になりきれないなと反省する今日この頃です。

 

そんな中、感じたこと。 みなさんが夢や目標を探し、悩んでいることです。

 

みなさんにとって、達成したい夢はありますか?

おうちの人や先生は、夢や目標を持ちなさいといいます。きっとみなさんも持ちたいと思っているでしょうし、高校3年生は、今、進路に向けて頑張っていますね。

 

自分の夢って何だろう?どんな目標を達成したいのか?人生の目標は?と聞かれると、なんとなくあるけれど、言葉で上手に伝えきれない…という人が多いのではないでしょうか。また、夢があっても諦めながら、がんばっている人もいるかもしれません。

 

あるデーターでは、今の目標をハッキリといえる人は3%、なんとなく言える人は13%という少ない結果が出ていました。日々の生活に追われ、頭の中で意識していないという結果だそうです。

 

まだまだ先の話、考えたくないと思うのではなく、自分に何ができるのか、目標・夢を見つけるために何をしなくてはいけないのか、見つけたら達成するためにどう動くか、など考えながら、日々の生活を過ごしてほしいと思います。 まずは今日から。。。

今日みなさんは、何をやり遂げますか?

 

ちなみに私の身近な夢は、みんながマスクを外し、顔を見ながら、大きな声で合唱をしたいです。そのためには、一人ひとり、手洗いうがい、ハンカチ持参、マスク着用を心がけて行きましょう。今朝の話は、これで終わります。

みなさん、おはようございます。1年Aクラス担任、宗教科のY.Mです。

 みなさんは親切にしたのに失礼な態度を取られたり、恩を仇で返されたと感じたりすることはありますか?
仏の顔も三度までと言いますが、私たち人間は一度でも相手に失礼なことをされると許せないことがあります。私も仏ではないので、あまりの失礼さに腹を立て、「もうあなたのために何もしてあげません。」と思ってしまうことがあります。

 聖書にはこんなお話があります。「ある人が種を蒔いていました。一つの種は道端に落ち、鳥に食べられてしまいました。岩の上に落ちた種もありました。その種は太陽の光で焼けてしまいました。また、別の種はいばらの中に落ちました。その種はいばらに負けて伸びませんでした。
しかし、良い地に落ちた種は実を結び100倍になりました。」

 この種というのは、神様の言葉を表しています。そして、「道端」「岩」「いばら」は私たちの心のことです。私たちは道端のように硬くて何もしみこませない心のとき、岩のようにかけられた言葉をつぶそうとするとき、いばらが生えたようにいじわるで自分以外のものを枯らしてしまうときがあります。そうしたときは神様の言葉が聞こえないように感じてしまいます。しかし、神様は私たちの心がそんな状態でも言葉を注ぎ続けてくださっています。私が神様に失礼な態度を取っているときでも、神様は私に優しい言葉を注ぎ続けてくださっているのです。

 わたしが「もう何もしてあげたくない。」と思っているときも、神様は私たちを見捨てず、常に言葉をかけてくださっています。わたしたちは何もかも許したりできませんが、できる限り他人を見捨てずに関わりたいと思います。そうすることで、神様が与えてくださった愛を100倍に育てられるような豊かな心でいられるのではないかと思います。