心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

おはようございます。

高校2A担任、数学科のYです。

 

 先日、小学3年生になる息子が「お母さん、今日ね、学校で先生と面談したよ」と話をしてくれました。勉強のこと、学校生活のこと、お友達のことなどたくさん尋ねられたそうですが、「おうちのことでもいいよと言われたから、いつもお父さんとお母さんの帰りが遅くて学童で宿題をしながら妹と2人で待ってるって話をしたよ」と言っていました。

 私が子どもたちを迎えに行けるのは、いつも19時ぎりぎり。お迎えに行ったとき最後まで残っているのはほとんどいつも我が家の二人の子どもたちです。よくよく考えてみると、私が子どもと触れ合えるのは、朝起きてからの1時間と、夜家に帰って子どもたちが眠りにつくまでの3時間、1日に合わせてたったの4時間しかないんだなということに改めて気付かされました。

 

 そんな矢先、インターネットで「わが子と過ごせる時間は驚くほど短い!」というタイトルの記事を目にしました。その記事によると、一生のうちでわが子と過ごせる時間は、平均して父親で3年4ヵ月、母親で7年6ヵ月だそうです。わが子と過ごせる時間の全体を100%とすると、小学校卒業時には55%、高校卒業で親元を離れるときには、73%もの時間が過ぎてしまうということでした。

 では逆に、この先、自分の親と過ごせる時間はどれくらいあるのか考えてみましょう。

高校を卒業して進学や就職で親元を離れて暮らす場合、子どもが1年間に親と会うのは、平均するとお盆に3日間お正月に3日間の計6日間、その中でも顔を合わせているのはせいぜい4時間程度だそうで、合計すると24時間。つまり1年のうち1日しか過ごせていないことになり、あとどのくらい親と過ごせるのかは、親が生きている年数がそのまま日にちになるのだそうです。

 この、親子で過ごせる時間の計算式からわかることは、自分の親と直接話すことができるのはそんなに長い時間ではないということ、それと同時に親が子どもに愛情を伝えられる時間も限られているということです。私の場合、一日にたった4時間しかないと嘆くより、与えられた4時間をどう大切に過ごすか、子どもたちと向き合う姿勢を考えさせられるきっかけになりました。

今日は親子の関係に焦点をあてて話をしましたが、友人関係についても同じことが言えます。今は毎日顔を合わせるクラスメイトとの時間も限られた時間です。

 ぜひ、大切な人と過ごす時間の過ごし方を考え直してみてください。

 今朝はこれで終わります。

 おはようございます。今日の担当は、高校1年Dクラス副担任のYです。

今日は四字熟語の話をしたいと思います。

 みなさんは「鼓腹撃壌」という言葉を知っていますか?

音の響きだけ聞くと、なんだか難しくて怖いイメージですね。

しかし実際は、「みんなが平和に暮らせる世の中」という意味です。

なぜでしょうか?

 「鼓腹撃壌」は、太鼓のコに、お腹のナカ、撃退のゲキに地面を表す壌という

漢字でできています。

 お腹を太鼓のようにポンポコ叩き、地面を足で叩きながら躍る人のことを表します。

そこから、世の中が楽しくて思わず踊ってしまうくらい平和だ、という意味になった

そうです。

 みなさんも、楽しいことや嬉しいことがあった時、ぴょんぴょん飛び跳ねたり、

踊ったりすることはありませんか?なんとこの言葉、千年以上も前に作られたそうです。

昔も今も人の心は変わらないものですね。

 すべての言葉にはなりたちがあり、それは遠い昔に生きていた人々の、日常のささいな

出来事が元になっています。知らない言葉に出会ったときは、なぜその言葉が作られたのか

調べてみると、新しい発見があっておもしろいと思います。また、みなさんも身の回りの

できごとを四字熟語で表してみてはどうでしょうか?

 もしかしたらあなたの創った四字熟語が、千年後の未来に残っているかもしれません。

 これで朝の話を終わります。

2014年、春高バレーの全国大会。決勝は大分県代表の東九州龍谷高校 VS 長崎県代表の九州文化学園高校。激戦の中、優勝を手にしたのは、長崎県代表の九州文化学園でした。

 

テレビでこの試合を観ていた当時小学校4年生の女の子は高校生の輝くプレーに魅了され、「私もあの舞台に立ちたいと思うようになりました。両親のすすめもあり、やる気満々です。彼女はこう言いました。「九文を倒して、全国に行きたい。だから長崎県で2番目の聖和女子学院に進学したい。

 

先日、春高長崎県予選が行われ、聖和が2年連続の優勝を手にしました。7年前にテレビを見て「九文を倒したい!」とやる気に燃えていた女の子は、過去の宣言通り、この聖和に進学しました。そして、先月の大会で見事な活躍を見せ、7年越しの大きな目標を叶えたのです。まさに有言実行です。彼女の喜びはどれほど大きかったことでしょうか。

 

優勝を手にした聖和ですが、ここまでの道のりは決して簡単なものではなかったと思います。どんなに練習しても上手くいかず悩んだこと、「もうバレーを辞めたい」と涙ながらに苦しんだこと、仲間同士で数えきれないくらいケンカもしてきました。

だからこそ、彼女たちの苦労や涙が報われた今回の優勝はとても大きな意味があり、心から嬉しく思います。決勝戦だけでなく、これまでの練習や試合など、全ての経験と1、2、3年生、マネージャー、部員全員の頑張りがあってこその結果だと思います。1月に春高全国大会が行われます。全校生徒の皆さん、応援よろしくお願いします!

 

目標を持ち続けることは大変なことです。しかし、その目標により、人は前向きに物事に取り組んでいけるのだと思います。目標は必ず達成される、とは限らないけれど、努力を重ねる経験をすることに意味があるのだと私は信じています。いつも元気いっぱいの聖和の生徒の皆さん、何事にも自分なりのゴールを設定し、そこに向かって走り出してほしいと思います。

 

中学3年生、高校3年生は受験という勝負が残っていますね。持ち続けてきた目標、力を合わせて達成させましょう!

おはようございます。 

 

10月1日から全国の緊急事態宣言が解除されます。 

去年の今頃は、まだまだ前に進めず、やむを得ず中止、諦めることが多かったと思います。 

コーラス部はコンクールもすべて中止、3年生と演奏する場はなく、演奏できたのは校内のクリスマス会、予餞会だけでした。でも今年は、音楽会もコンクールも開催され、できる限りやる方向でとみんなの気持ちが前に向いていると感じます。 

 

先日行われた学院祭でも、文化部の発表、有志のみなさんのステージを近くで見ていて、楽しそうに生き生きしている姿に感動し、またクラスで作成した映像は、みなさんの今の楽しいがいっぱい詰まった笑顔溢れる動画ばかりで、心が厚くなりました。 

 

そして10月には「聖和音楽のつどい」も行われます。 

みなさんの声がアルカスに響きあうことを今から楽しみにしています。 

 

最近、心が動いた曲がありました。 

コロナ禍に書かれた ラッドウィンプスさんの 「ココロノナカ」という曲です。 

 

なんでもない日々が、なんの気なく過ぎる 

 なんてことない僕が あくせくと生きてく 

 

 あの日が来るまでは その時が来るまで 

 楽しみを何百個と 書きためておくとしよう 

 

 それをパンパンに詰めて 抱きしめてよう” 

 

この曲を聴いてから、私もやりたいこと、叶えたいことを書いています。不思議と書き出すだけでワクワクし今を頑張ろうと思います。 

 

まだまだマスク生活は続き、慎重に過ごさないといけません。みなさんの今を大切にやりたいこと、叶えたいことを書いてみませんか。何気ない毎日がちょっと変わるかもしれません。 

 

担当は、高校音楽科、2A副担任のTでした。
今朝の話はこれで終わります。 

朝晩は涼しくなってきましたが、それもそのはず、今日は9月15日です。

あと3か月半で2021年も終わります。

歳をとると、一年があっという間に感じるといいます。0歳から20歳までに感じる時間の長さと、21歳から80歳までに感じる時間の長さは同じだといいます。

これをジャネーの法則というそうです。

私たちの感じる一年は年々短くなっていきます。

貴重な時間を、あなたは何に使いますか?

私は、私が正しいと思ったことに使いたいなと思います。

私にとってプラスになることに使いたいなと思います。

みなさんは、今日一日をどう過ごしますか?

 東京オリンピックの開会式が予定されていた昨年7月24日、東京のコロナ新規感染者が初めて300人を超え、小池都知事が「みなさんの協力で止めていかないと幾何級数的に増えていく」と発言したことがテレビで紹介されました。
 この言葉にコメンテーターの長嶋一茂が「勉強したことないんで、どういう意味だかよく分からない。」と噛みつきました。

 「幾何級数的に増える」とは、2倍、2倍、2倍ととんでもなく増えていく様子を表した言葉で、「幾何級数」は英語geometric-seriesの直訳です。幾何とは図形のことですが、2倍、2倍と掛けていくのがなぜ図形に繋がるのでしょうか。

 昔、計算の表す意味は重要でした。自然数がものの個数を表すのに対し、実数はものの長さを表すもので、長さを掛け合わせて求まるのは面積や体積しかありません。これが、かけ算=面積=図形 と繋がったものと思われます。

 かけ算=面積、と考えると困ったことが起こります。私たちが普通に計算している
3x+5 という計算でも、3xは面積、5は長さとなり、面積と長さを足すことに意味がなくなるからです。

 この問題を解決したのが、有名な哲学者デカルトでした。彼はかけ算の答えもまた長さと考えられることを示して3x+5を意味のあるものにしたのです。4千年の数学の歴史の中でわずか400年前のことでした。

 今私たちが座標やグラフを用いて様々な変化をイメージできるのはデカルトのおかげです。学校で学んでいることは、すべて人類が長い年月をかけてたどり着いた苦労の成果なのです。勉強しないともったいないと思いませんか。

2021/07/14
英語科::フィオナ

Good morning everyone.

 

今日は皆さんがよく日本語でささげる主の祈りの英語版を紹介したいと思います。

 

主の祈りの英語版には、昔の英語が入っているので、先に二つの単語の意味を説明したいと思います。

 

一つ目の単語はArtという英語です。昔の英語のArtの意味は「美術」ではなく、be動詞の「is」になります。なので、「Our principal art very smart」という英文の意味は「校長先生は賢いです。」となります。

 

二つ目に紹介したい昔の英語はThyです。Thyの意味はyour (あなたの)になります。なので、隣人愛は英語で「Love thy neighbour」と今でも言われます。

 

では、主の祈りを英語で捧げます。私はゆっくり言いますので、よかったら、後に続けて言ってみてください。

 

Our Father,

who art in heaven,

hallowed be thy name;

thy kingdom come;

thy will be done on earth as it is in heaven.

Give us this day our daily bread;

and forgive us our trespasses

as we forgive those who trespass against us;

lead us not into temptation,

but deliver us from evil.

For thine is the kingdom,

and the power, and the glory,

For ever and ever.

Amen.

 

今朝の話はこれで終わります。

 おはようございます!今日は5月12日。今年度初の中間考査が始まる3日前です!皆さん、準備のほうはいかがですか?
勉強の仕方というのはたくさんありますし、もう自分にあった勉強法を見つけている人もいるかもしれません。とにかく1・2年にとって最初のスタートとなるテストであり、3年生にとってはこの一年を決める大事なテストの一つです。やりたいことや読みたい本などさまざまな誘惑があると思いますが、この時期だけは「勉強を最優先」にして時間を大切に使ってほしいものです。
ちなみに、私がよく行っていた方法は。
 頭が冴えている時間は長文問題や数学などを解く。少し疲れたら漢字や英単語などを書いて覚える。さらに集中力が途切れたらお風呂に入って気分転換。いよいよ疲れてこれ以上できないと思うときは思い切って睡眠。その代わり朝早めにアラームをかけて登校前に昨夜の復習。という風に変化をつけながら学習していました。たくさんの「誘惑」に負けず、今!何を優先すべきかをよく考えて、やる時はやる聖和生であってほしいものです。今日の授業も大切なところを聞き逃さないようしっかり「授業」に集中してください。
 担当は中学1年1組副担任のKでした。今朝はこれで終わります。

 今日は「体の命、心の命」という話をしようと思います。
この話は私の妹が通っていたカトリック幼稚園の園長先生が教えてくれたお話です。私の一家は転勤族であったため、私はその幼稚園の卒園生ではありませんが、その園長先生は卒園生でもない私にも優しく、たくさんの大切なことを教えてくれました。

 小学生のときのこと。夏休みに教会学校のキャンプに誘われました。野外炊飯をしたり、川下りをしたりして、楽しい2日間を過ごします。教会学校のキャンプであるため、プログラムには神父様のお話もあり、その中で『恵みの風に帆をはって』という一冊の本をみんなで読みました。登場するのは、「ペトロ岐部神父」という、江戸時代の神父様でした。日本が鎖国をしていた時代、命に代えても神様への信仰をやめなかったという神父様のお話です。衝撃的でした。「命に代えても大切にしたいもの」ってなんだろうと思いました。  

その後、私はキャンプの感想とともにその疑問を手紙に書き、園長先生に送りました。すると、園長先生は「もちろん体の命は大切だけれど、心の命はもっと大切なんだよ。体の命はいつかなくなってしまうけれど、心の命はいつまでも残るからね。」と教えてくれました。心の命は神様のもとへ戻るから大切にしないといけないということでした。

 キリスト教を信仰していない人には、神様のところに戻る「心の命」って何だろう、と思われてしまうかもしれません。私も幼い頃からカトリックの教えに親しみがあったわけではなかったので、はじめはいつまでも残る「心の命」といわれてもよく理解ができませんでした。ずっと考えていて、ある日、自分なりの答えが出ました。体がなくなってしまったとき、生前、人として素敵な人生を送っていたら、人の記憶に残り、他の人の記憶の中で生き続けることができます。おそらく、みなさんの中にある素敵な人、尊敬できる人というのは、容姿端麗だからというより、生き方や考え方、つまり心の持ちようが素晴らしいからなのではないですか?その部分を私は「心の命」だと考えています。

 体の命はもちろん大切です。体が元気でないと心の元気も出ないからです。でも、いつか体の命はなくなってしまいます。体の命がなくなった後、いつまでもどこかに残っている「心の命」。これを育てるには、素敵な人、素敵な作品、素敵な経験に出会うことが必要です。聖和では、聖書を読みますよね。シスターが残してくださった素敵な教えがたくさんありますよね。素晴らしいおこないをした先輩方がたくさんいますよね。せっかく聖和に入学したのだから、「体の命」も「心の命」も大切にできる人になって、卒業をしてほしいと思っています。

おはようございます。 1E副担任、数学科のYです。

今日は、なぜ私が数学の先生になったのかについて話したいと思います。

今から4年前、33歳の時に、高校卒業して15年ということで、高校3年生のクラスで同窓会を開催しました。クラスの半数の20人ほどと、当時の担任の先生が集まってくれました。

学校の先生になっている人もいれば、車屋さん、お寿司やさん、自衛隊員に専業主婦・・・など、みんなそれぞれ大人に成長していました。

「おまえ、なんの仕事しよると?」と聞かれた私は、〇〇〇で働いているよと答えながら、こんな風にがんばっているよと胸を張って言えていない自分がいることに気付きました。勉強も部活も遊びも一生懸命に頑張っていた高校時代を共に過ごしていた仲間と再会したことで、今の私はあの時のように一生懸命になれているのかなと考え始めるようになりました。

仕事にやりがいを見つけるというのは、実はすごく難しいことです。とにかくお金をたくさん稼ぎたいという人もいれば、好きなことをして生きていきたいと思う人もいるでしょう。想像していた仕事が、現実には思っていたことと違ったというのもよくあることです。

当時の私は、好きな仕事だったけれど、満足感を得られていませんでした。生まれ変わっても、またその仕事に就きたいかと聞かれたとき、YESと答えられないなと思いました。このままでは自分が死ぬとき、私の人生なんだったんだろうって後悔するような気がしたのです。一度しかない自分の人生を、もっと一生懸命生きたいと思いました。

じゃあ、何の仕事をしようかと考えたとき、自分の人生に一番影響を与えてくれた人を考えてみることにしました。そこには、ひとりひとりの生徒と向き合い、厳しかったけれど愛情深く育ててくれた担任の先生の姿がありました。その先生に出会ったことで私の人生は変わったと思います。できなかったことができるようになることの喜びを教えてくれた。だから私も誰かにとってそんな存在になれたらいいなと思いました。

ただ、なりたいと思ったからと言ってそう簡単に先生になれるわけではありません。数学の先生になるための免許を持っていなかったからです。15年ぶりに始めた勉強は、想像していたよりもずっと苦しいものとなり、寝ても覚めても公式にうなされて、解けない問題に泣きたくなることもありました。生活があるので仕事を辞めるわけにはいかず、さらには家のことと子育てだけでも精一杯なのに、なんでわざわざこんなに苦しいことをやっているんだろうと、後悔することすらありました。でも、目標に向かって毎日を過ごすことで、モノクロだった人生が色づき始めたことを感じるようになりました。

そんなこんなで始まった私の教員人生も、そろそろ一年が経とうとしています。10分だった通勤時間が2時間になり、休みも給料も減ってしまいましたが、それでも今とても幸せです。「数学ほんと嫌いだったけど、先生のおかげで楽しくなったよ」って言ってくれる生徒がひとりでもいてくれたらいいな、そう思いながら毎日授業をしています。

中高生のみなさんにはまだピンとこないかもしれませんが、たまには立ち止まって、「自分の人生を精一杯生きているか」見つめ直してみてください。

今朝はこれで終わります。