心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

朝晩は涼しくなってきましたが、それもそのはず、今日は9月15日です。

あと3か月半で2021年も終わります。

歳をとると、一年があっという間に感じるといいます。0歳から20歳までに感じる時間の長さと、21歳から80歳までに感じる時間の長さは同じだといいます。

これをジャネーの法則というそうです。

私たちの感じる一年は年々短くなっていきます。

貴重な時間を、あなたは何に使いますか?

私は、私が正しいと思ったことに使いたいなと思います。

私にとってプラスになることに使いたいなと思います。

みなさんは、今日一日をどう過ごしますか?

 東京オリンピックの開会式が予定されていた昨年7月24日、東京のコロナ新規感染者が初めて300人を超え、小池都知事が「みなさんの協力で止めていかないと幾何級数的に増えていく」と発言したことがテレビで紹介されました。
 この言葉にコメンテーターの長嶋一茂が「勉強したことないんで、どういう意味だかよく分からない。」と噛みつきました。

 「幾何級数的に増える」とは、2倍、2倍、2倍ととんでもなく増えていく様子を表した言葉で、「幾何級数」は英語geometric-seriesの直訳です。幾何とは図形のことですが、2倍、2倍と掛けていくのがなぜ図形に繋がるのでしょうか。

 昔、計算の表す意味は重要でした。自然数がものの個数を表すのに対し、実数はものの長さを表すもので、長さを掛け合わせて求まるのは面積や体積しかありません。これが、かけ算=面積=図形 と繋がったものと思われます。

 かけ算=面積、と考えると困ったことが起こります。私たちが普通に計算している
3x+5 という計算でも、3xは面積、5は長さとなり、面積と長さを足すことに意味がなくなるからです。

 この問題を解決したのが、有名な哲学者デカルトでした。彼はかけ算の答えもまた長さと考えられることを示して3x+5を意味のあるものにしたのです。4千年の数学の歴史の中でわずか400年前のことでした。

 今私たちが座標やグラフを用いて様々な変化をイメージできるのはデカルトのおかげです。学校で学んでいることは、すべて人類が長い年月をかけてたどり着いた苦労の成果なのです。勉強しないともったいないと思いませんか。

2021/07/14
英語科::フィオナ

Good morning everyone.

 

今日は皆さんがよく日本語でささげる主の祈りの英語版を紹介したいと思います。

 

主の祈りの英語版には、昔の英語が入っているので、先に二つの単語の意味を説明したいと思います。

 

一つ目の単語はArtという英語です。昔の英語のArtの意味は「美術」ではなく、be動詞の「is」になります。なので、「Our principal art very smart」という英文の意味は「校長先生は賢いです。」となります。

 

二つ目に紹介したい昔の英語はThyです。Thyの意味はyour (あなたの)になります。なので、隣人愛は英語で「Love thy neighbour」と今でも言われます。

 

では、主の祈りを英語で捧げます。私はゆっくり言いますので、よかったら、後に続けて言ってみてください。

 

Our Father,

who art in heaven,

hallowed be thy name;

thy kingdom come;

thy will be done on earth as it is in heaven.

Give us this day our daily bread;

and forgive us our trespasses

as we forgive those who trespass against us;

lead us not into temptation,

but deliver us from evil.

For thine is the kingdom,

and the power, and the glory,

For ever and ever.

Amen.

 

今朝の話はこれで終わります。

 おはようございます!今日は5月12日。今年度初の中間考査が始まる3日前です!皆さん、準備のほうはいかがですか?
勉強の仕方というのはたくさんありますし、もう自分にあった勉強法を見つけている人もいるかもしれません。とにかく1・2年にとって最初のスタートとなるテストであり、3年生にとってはこの一年を決める大事なテストの一つです。やりたいことや読みたい本などさまざまな誘惑があると思いますが、この時期だけは「勉強を最優先」にして時間を大切に使ってほしいものです。
ちなみに、私がよく行っていた方法は。
 頭が冴えている時間は長文問題や数学などを解く。少し疲れたら漢字や英単語などを書いて覚える。さらに集中力が途切れたらお風呂に入って気分転換。いよいよ疲れてこれ以上できないと思うときは思い切って睡眠。その代わり朝早めにアラームをかけて登校前に昨夜の復習。という風に変化をつけながら学習していました。たくさんの「誘惑」に負けず、今!何を優先すべきかをよく考えて、やる時はやる聖和生であってほしいものです。今日の授業も大切なところを聞き逃さないようしっかり「授業」に集中してください。
 担当は中学1年1組副担任のKでした。今朝はこれで終わります。

 今日は「体の命、心の命」という話をしようと思います。
この話は私の妹が通っていたカトリック幼稚園の園長先生が教えてくれたお話です。私の一家は転勤族であったため、私はその幼稚園の卒園生ではありませんが、その園長先生は卒園生でもない私にも優しく、たくさんの大切なことを教えてくれました。

 小学生のときのこと。夏休みに教会学校のキャンプに誘われました。野外炊飯をしたり、川下りをしたりして、楽しい2日間を過ごします。教会学校のキャンプであるため、プログラムには神父様のお話もあり、その中で『恵みの風に帆をはって』という一冊の本をみんなで読みました。登場するのは、「ペトロ岐部神父」という、江戸時代の神父様でした。日本が鎖国をしていた時代、命に代えても神様への信仰をやめなかったという神父様のお話です。衝撃的でした。「命に代えても大切にしたいもの」ってなんだろうと思いました。  

その後、私はキャンプの感想とともにその疑問を手紙に書き、園長先生に送りました。すると、園長先生は「もちろん体の命は大切だけれど、心の命はもっと大切なんだよ。体の命はいつかなくなってしまうけれど、心の命はいつまでも残るからね。」と教えてくれました。心の命は神様のもとへ戻るから大切にしないといけないということでした。

 キリスト教を信仰していない人には、神様のところに戻る「心の命」って何だろう、と思われてしまうかもしれません。私も幼い頃からカトリックの教えに親しみがあったわけではなかったので、はじめはいつまでも残る「心の命」といわれてもよく理解ができませんでした。ずっと考えていて、ある日、自分なりの答えが出ました。体がなくなってしまったとき、生前、人として素敵な人生を送っていたら、人の記憶に残り、他の人の記憶の中で生き続けることができます。おそらく、みなさんの中にある素敵な人、尊敬できる人というのは、容姿端麗だからというより、生き方や考え方、つまり心の持ちようが素晴らしいからなのではないですか?その部分を私は「心の命」だと考えています。

 体の命はもちろん大切です。体が元気でないと心の元気も出ないからです。でも、いつか体の命はなくなってしまいます。体の命がなくなった後、いつまでもどこかに残っている「心の命」。これを育てるには、素敵な人、素敵な作品、素敵な経験に出会うことが必要です。聖和では、聖書を読みますよね。シスターが残してくださった素敵な教えがたくさんありますよね。素晴らしいおこないをした先輩方がたくさんいますよね。せっかく聖和に入学したのだから、「体の命」も「心の命」も大切にできる人になって、卒業をしてほしいと思っています。

おはようございます。 1E副担任、数学科のYです。

今日は、なぜ私が数学の先生になったのかについて話したいと思います。

今から4年前、33歳の時に、高校卒業して15年ということで、高校3年生のクラスで同窓会を開催しました。クラスの半数の20人ほどと、当時の担任の先生が集まってくれました。

学校の先生になっている人もいれば、車屋さん、お寿司やさん、自衛隊員に専業主婦・・・など、みんなそれぞれ大人に成長していました。

「おまえ、なんの仕事しよると?」と聞かれた私は、〇〇〇で働いているよと答えながら、こんな風にがんばっているよと胸を張って言えていない自分がいることに気付きました。勉強も部活も遊びも一生懸命に頑張っていた高校時代を共に過ごしていた仲間と再会したことで、今の私はあの時のように一生懸命になれているのかなと考え始めるようになりました。

仕事にやりがいを見つけるというのは、実はすごく難しいことです。とにかくお金をたくさん稼ぎたいという人もいれば、好きなことをして生きていきたいと思う人もいるでしょう。想像していた仕事が、現実には思っていたことと違ったというのもよくあることです。

当時の私は、好きな仕事だったけれど、満足感を得られていませんでした。生まれ変わっても、またその仕事に就きたいかと聞かれたとき、YESと答えられないなと思いました。このままでは自分が死ぬとき、私の人生なんだったんだろうって後悔するような気がしたのです。一度しかない自分の人生を、もっと一生懸命生きたいと思いました。

じゃあ、何の仕事をしようかと考えたとき、自分の人生に一番影響を与えてくれた人を考えてみることにしました。そこには、ひとりひとりの生徒と向き合い、厳しかったけれど愛情深く育ててくれた担任の先生の姿がありました。その先生に出会ったことで私の人生は変わったと思います。できなかったことができるようになることの喜びを教えてくれた。だから私も誰かにとってそんな存在になれたらいいなと思いました。

ただ、なりたいと思ったからと言ってそう簡単に先生になれるわけではありません。数学の先生になるための免許を持っていなかったからです。15年ぶりに始めた勉強は、想像していたよりもずっと苦しいものとなり、寝ても覚めても公式にうなされて、解けない問題に泣きたくなることもありました。生活があるので仕事を辞めるわけにはいかず、さらには家のことと子育てだけでも精一杯なのに、なんでわざわざこんなに苦しいことをやっているんだろうと、後悔することすらありました。でも、目標に向かって毎日を過ごすことで、モノクロだった人生が色づき始めたことを感じるようになりました。

そんなこんなで始まった私の教員人生も、そろそろ一年が経とうとしています。10分だった通勤時間が2時間になり、休みも給料も減ってしまいましたが、それでも今とても幸せです。「数学ほんと嫌いだったけど、先生のおかげで楽しくなったよ」って言ってくれる生徒がひとりでもいてくれたらいいな、そう思いながら毎日授業をしています。

中高生のみなさんにはまだピンとこないかもしれませんが、たまには立ち止まって、「自分の人生を精一杯生きているか」見つめ直してみてください。

今朝はこれで終わります。

A long time ago, Jesus asked his friends to wait for him in the boat while he went to a mountain to pray.
As the men waited, a strong storm appeared and blew the boat into the middle of the ocean.

The men tried to row the boat back to shore, but they couldn’t. 

The men were worried about Jesus. How could they get back to him?

Then they saw a man walking on the water, coming towards the boat.

As the man walked closer, they could see it was Jesus!

One of the men, named Peter, asked if he could walk on water too. Jesus said yes, as long as he kept his focus on Jesus.

Soon, Peter was walking on water.

But, the moment Peter took his eyes of Jesus and looked down at the ocean, he began to sink.

Jesus grabbed Peter and saved him.

 

 これは聖書からのお話です。イエスキリスト様が海の上で歩く姿を見て、弟子のピーターもイエス様を見ながら、水の上を歩くことができました。しかし、ピーターが下の海を見た瞬間、おぼれそうになってしまいました。

 私も日本に来てから、何度もおぼれそうになったことがあります。一生懸命日本語を勉強しても、なかなか上達しません。日本語検定の1級を取得するのに、想像以上の時間がかかりました。私の日本語の発音や発言に対して、バカにされることが今だにあります。

 でも私はそれに負けないです。私のフォーカスは日本が大好きです。素敵な家族、素敵な友だちに恵まれています。今夜また家族に会えることを楽しみにして、一日頑張ります。週末、友達とごはんを食べに行くことを楽しみにして、頑張ります。小さくてもいいから、フォーカスを見つけて、それに向かっていけば、必ずものごとは良い方向へ向かいます。下を見てはいけません。

Let’s look up together.

 

 みなさんおはようございます。1年Eクラス担任の野村です。最近は気温差や肌寒さから、秋だなぁと感じる季節になってきました。そこで今日は「芸術の秋」という観点から少しお話をしようと思います。私は大学生の頃、2年間長崎県美術館でアルバイトをしていました。館内のスタッフとして色々なイベントにも関わっていました。

 たくさんのお客様が作品を描いたり、作っているのを見ていたとき、あることに気づきました。目を引かれるような、魅力的な作品を作っているのは、ほとんどが大人の人ではなく、子供だということです。材料の紙やテープを、切ったり貼ったりするのではなく、破いたり、重ねたりして、中には画用紙や額縁の外に飛び出しているものもありました。そんな型にとらわれない表現方法がとても自由で、とても素敵な作品にしていたのです。

 目を引く芸術品のように、額からはみ出たり、綺麗なものをしわくちゃにしてみたり、時には変だと思われるような視点や発想を持つことが、新しいものを作る第一歩だったりします。人と違うことを恐れず、様々なことに挑戦して、柔軟性を育ててみてください。素晴らしい芸術品が聖和から生まれるのを楽しみにしています。

 今朝はこれで終わります。