心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

みなさん、おはようございます。1年Aクラス担任、宗教科のY.Mです。

 みなさんは親切にしたのに失礼な態度を取られたり、恩を仇で返されたと感じたりすることはありますか?
仏の顔も三度までと言いますが、私たち人間は一度でも相手に失礼なことをされると許せないことがあります。私も仏ではないので、あまりの失礼さに腹を立て、「もうあなたのために何もしてあげません。」と思ってしまうことがあります。

 聖書にはこんなお話があります。「ある人が種を蒔いていました。一つの種は道端に落ち、鳥に食べられてしまいました。岩の上に落ちた種もありました。その種は太陽の光で焼けてしまいました。また、別の種はいばらの中に落ちました。その種はいばらに負けて伸びませんでした。
しかし、良い地に落ちた種は実を結び100倍になりました。」

 この種というのは、神様の言葉を表しています。そして、「道端」「岩」「いばら」は私たちの心のことです。私たちは道端のように硬くて何もしみこませない心のとき、岩のようにかけられた言葉をつぶそうとするとき、いばらが生えたようにいじわるで自分以外のものを枯らしてしまうときがあります。そうしたときは神様の言葉が聞こえないように感じてしまいます。しかし、神様は私たちの心がそんな状態でも言葉を注ぎ続けてくださっています。私が神様に失礼な態度を取っているときでも、神様は私に優しい言葉を注ぎ続けてくださっているのです。

 わたしが「もう何もしてあげたくない。」と思っているときも、神様は私たちを見捨てず、常に言葉をかけてくださっています。わたしたちは何もかも許したりできませんが、できる限り他人を見捨てずに関わりたいと思います。そうすることで、神様が与えてくださった愛を100倍に育てられるような豊かな心でいられるのではないかと思います。