心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

 30歳という節目の年を目前に控え、20歳、10歳の頃をよく思い出します。20年前の夏、25メータープールのスタート台に立っていたその日は、タイム測定のテストがありました。カナヅチで、それまで25メーターを一度も泳ぎ切った経験がなく、極度の緊張で青ざめ震えていたのを覚えています。記録は3分15秒。飛び込みでは水面に腹を打ちつけ、激痛に耐えながら、プールの底に足をつけることなく、たくさんの水を飲み込み、クロールが続かず犬かきも交えながら、息も絶え絶えにゴールへ辿り着きました。もちろん、他のコースで泳いでいた友だちはとっくにゴールしており、プールサイドで百人以上に見つめられながら応援されながらのゴールでした。初恋の同級生がプールサイドで見ていたことも、最後まで泳ぎ切れた要因かもしれません。

人並みに泳げるようになった今でも、得意ではなくむしろ嫌悪感を抱いている水泳。付き合いでプールや海水浴へ遊びに行く時は、恰好だけでもつけようと、腹筋や胸筋をムキムキに鍛えていた若かりし自分。とにもかくにも、無我夢中に、もがき、苦しみ、やりきったあの3分15秒は、計り知れない自信と達成感、誇りを私に与えてくれました。

それから約2年後、第一目標にしていた中学校の入試会場で、『遠泳』をテーマにした国語の物語文と対面した私は、手も足も出ませんでした。『遠泳』の意味そのものが分からないので、物語の背景や登場人物たちの気持ちが全く理解できなかったのです。得意にしていた国語で点数を稼げなかったのが致命傷となり中学受験は失敗。父親の勤務先でもあり、広島県内で最もレベルの高いカトリック教育を実践していた学校でもあったので、これは大きな大きな挫折でした。

去年の朝の話で私は『人生とは交差点の連続であり、どっちへ曲がるか、曲がらされるかを繰り返し続けて今の場所にいるのだ』という旨の話をしました。今、聖和で、社会科の教師として話が出来ているのもこの挫折があったから、そう思えば後悔はしていません。ただ、今でも反省をしています。

 もっともっと言葉を、単語を、熟語を、表現を、常識を知らなければいけない、貪欲に学ばなければいけないということです。「一円を笑う者は一円に泣く」という格言ではありませんが、「知らなかった1つ、知ることを怠った1つが命取りになる」ということも人生にはつきものなのです。

賢い皆さんはきっと、教科や科目で向き合っている「1つ1つ」を、これまで以上に大切にしてくれると信じています。若い皆さん、もがいていますか?何事にも真剣に取り組んでいますか?オンとオフの切り換えはしっかりできていますか?先生方の言葉には真剣に耳を傾けていますか?今日の6時間、ないしは7時間の授業でいくつ学べますか?気は早いですが、11月の期末考査、卒業考査、全力投球で臨んでください。受験生は最後までねばる。以上です。