心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

 新年を迎え、すでに2週間が過ぎました。年齢を重ねるたびに、1年間が本当にあっという間に過ぎていくような気がいたしますが、若い皆さんは、どうなのでしょうか。

さて、今度の土日は大学入試センター試験が実施され、全国の多くの人や、本校からも3年生の生徒たちが受験します。さらに、それに合わせて高校1年生と高校2年生も来年・再来年の受験のことを考えて、別会場で時間をずらして同じ問題に挑戦します。そこで、今日みなさんにお話ししたいことは、そもそも試験とは何なのか、何のために実施されるのかということについて、そのほんの一部についてのお話です。

大学受験方法の違いとか、傾斜配点がどうだとかいった詳しい内容については、担任の先生方や進路担当の先生方に聞いてください。

まず、試験とは何なのかの1番目の答えは勿論、「いま現在のあなたの学力を試すもの」です。基本的な知識が身についているか、基本的な判断力があるか、目に見えないことに思いを巡らして考えることができるのか。ものごとを論理的に思考できる力があるか等々、その試験の得点で、その人の学力が試されます。

では、その学力を試す理由は何なのか?

それは、大学に入学して、さらに高度な学問を勉強しようとするときに、問題を解決する基本的な力が備わっていないと困るからです。参考となる資料を探したり、さまざまな文献を紐解いて研究するときに、理解したり読み解いたりする学力がないと困るからです。

たとえば、東京外国語大学の外国語学部フランス語学科で勉強しようとするときには、大学入試では、特に英語の学力がしっかりと見られます。それは入学して初めて学ぶフランス語の講義が、日本語ではなくすべて英語で授業されるからです。さらに大学2年生からはフランス語の授業がフランス語でなされます。英語が理解できない人にとっては、大学1年生の時点で、留年がほぼ決まってしまいます。では英語だけができれば良いのかというと、そうでないことも当然理解できますよね。テキストに書かれた内容には、フランスや世界の歴史だとか、あるいは日本語の文法を理解していてもなかなか理解できない文法だとか、テキストの内容によってはあらゆる科目の総合的な力も要求されるでしょう。

よく生徒の中に、情報でも宗教でも家庭科でも、時には数学や理科でさえ、受験科目にないから必要ない、無駄だと考える人がいます。しかし、それは真の意味での勉強をしていることにはなりません。勿論、今受験が目前の3年生に、今こそ「情報の科目」に力をいれなさいとか「保健」の教科書の内容を覚えなさいと言っているのではありません。

高校1・2年生や中学生のみなさんに、入学試験に合格するためだけの、受験に必要な科目だけの勉強ではいけないとわかってほしいのです。簡単な算数さえできない大学生が増えているそうです。世の中に出ても、本を読まない大人やまともな文章が書けない人になったりします。場の空気が読めない人、問題の解決能力や物事の判断力に欠けた人になって、やがて仕事ができない浮いた存在になってしまうかもしれません。

少し、話がわき道にそれてしまいました。どうか受験を控えた3年生のみなさん、受験直前まで粘り強く取り組み、今まで培ってきたその学力を十分に発揮してほしいと願っています。

今朝は、これで終わります。