心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

第三の垂訓 天の国の秘義(マタイ福音書13章)
「種まきのたとえ話」

その日、イエズスが家を出て湖のほとりに座っておられると、大勢の群衆が周囲に集まって来たので、イユズスは舟に乗って腰をおろされた。群衆は皆、岸に立っていた。イエズスはたとえでいろいろのことを語られた。
「種をまく人が種をまきに出て行った。まいているうちに、ある種は道ばたに落ちた。すると、鳥が来てそれらをついばんでしまった。ほかの種は土の薄い岩地に落ちた。そこは土が深くなかったので、すぐに芽を出したが、日が上ると根がないので、焼けて枯れてしまった。ほかの種はいばらの間に落ちた。やがていばらが伸びて、それらを覆いふさいでしまった。ほかの種はよい土に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍となった。聞く耳のある人は聞きなさい」。

今日は、中体連・高総体そして各文化部の大会で各々努力できたことを、神様と周りの人たちに感謝する集いです。皆さん、本当にお疲れ様でした。まだ、今後大会が続くクラブもありますが、その健闘も神様に祈りたいと思います。
さて、今日の聖書のお話は「種まきのたとえ話」です。このお話の意味するところを考えると、私も実は偉そうに話しが出来る人間ではありませんが、少し解説したいと思います。
このたとえ話の「種」とはイエスの言葉を表し、まかれた「土地」はイエスの言葉を聞いた人の事を指します。例えば、こういう意味です。
「土の薄い岩地」タイプの人は、イエスの話を聞き、感動してすぐその良い行いを実行しますが、根がない、要するにイエスの言葉を深く理解していないため、すぐに良い行いをやめてしまう、という意味になります。
「いばらの間」タイプの人は、良く理解し実行しますが、いばらが生えてきて、要するに世の中の様々な思い煩いや欲望に邪魔されるという意味ですが、結局言葉通り実行することを辞めてしまう人です。

このお話は、現代の私たちにも実は経験のあるお話ではないでしょうか?ご両親や先生方から貴重なアドバイスをもらいながら、いつの間にか色々自分で理由を付けてアドバイス通りやらなくなる、なんて経験は誰しもあると思います。

では、「よい土」タイプの人とはどんな人でしょうか。それは、皆さんの様な人たちだと思います。顧問の先生や先輩、友人の指導やアドバイスをしっかりと聞き、苦しい中にあっても着実に実行した結果、それぞれに納得のいく実り(結果)を得られたのではないでしょうか。中には全国大会に出場する人たちもいますね。毎日の苦労が何十倍もの実り(結果)となった良い例ではないでしょうか。

でも、皆さんの「実り」とは大会の結果のみでしょうか。本当の意味で、「種」を大事に育んできた「土地」である皆さんが生んだ「実り」の中には、人にとって大事な「感謝」という気持ちが沢山生まれていると思いますよ。真に頑張った人たちには、自分の力だけでここまで来られたのではないことが分かります。だからこそ、自然に「感謝」の気持ちがわき出るのではないでしょうか。今日はこの集いの中で、皆さんと感謝の気持ちを分かち合いながら進めていきたいと思います。