心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

今年も残すところ、あと2週間となりました。この1年間はみなさんにとってどのような年だったでしょうか。中学1年生の中には、今年の1月頃には、まだランドセルを背負っていた方もいるはずですね。
この1年間を振り返ったときに、「あぁ、私はしっかりとこの1年間を生きたなぁ。生きている実感を多く感じることができたなぁ。」という人もいるはずです。この「生きている実感」というものは決して楽しい時だけではなく、辛いことのまっただ中にいるときでさえ感じることができるものだと私はある体験を通じて知りました。

私が大学1年生の時、もう30年ほど前の19歳の頃のことですが、少しでも学費の足しになるようにということと、自分自身の精神力を鍛える意味から、2年間、毎朝4時起きで新聞配達のアルバイトをしました。アルバイト料は1軒につき150円。雨の日も、風の日も、雪の日も、1日も休まず、毎朝毎朝およそ2時間ほどかけて100軒の家に、1か月間配達して、月にやっと15,000円です。夜の家庭教師で1か月に8回行くだけで、2万円から3万円をいただいていたので、比較すると新聞配達がいかに、きつい割には安いアルバイトだったかがわかってもらえると思います。


さてそのある朝、深夜から続く激しい雨は土砂降り状態で、原付バイクで走っていても殆ど前が見えないほどでした。山奥の一軒家のおばあさんの家はいつも真っ暗で、その山道ほど嫌なものはありませんでした。少しでも早く配り終えたかった私は、近道をしてちょっとぬかるんだ急坂の小径をバイクを走らせいました。ところが、激しい雨のため、運悪くタイヤが滑りハンドルを取られて、バイクごと転倒し、水かさの増した幅1メートルほどの小川に、積んでいた新聞ごと落ちてしまいました。雨のせいで水の流れが速く、流される新聞を急いでつかもうとした時に、自分自身も足を取られ、自分も新聞もぐっちゃぐちゃになってしまいました。やっとの思いで濡れた新聞紙を抱え立ち上がりましたが、激しい雨に打たれながら必死になって頑張っている自分のみじめな姿に、何が悔しかったのか、何が悲しかったのか、その複雑な思いからか急に、ボロボロ、ボロボロと涙がこぼれ落ち、真っ暗な山の中でしばらく呆然と立ちすくんでいました。それがどれくらいの長さだったのか、時間的なことは覚えていませんが、心の中にふっと、「自分は今、生きてる」「なんか懸命に生きてるなぁ…」っという感情がこみ上げてきて、山の中で大声で「うぅ~をぉ~~っ!!」と叫んでいました。今思い出すと馬鹿みたいな、端から見ると気持ち悪く、気でも狂ったのかと思われるような様子だったはずです。しかし、私は後にも先にもその時ほど、「生きている実感」をそんなに強く感じたことはありません。

それはもしかすると、今現在の自分が、毎日を生きることに対する懸命さが少し足りないからなのかもしれません。

話が長くなりましたが、どうかみなさん、この1年を終え、新しい年を迎えるに当たり、自分はこの1年間を懸命に生きただろうか、「生きるている実感」を感じる時をどれくらい重ねることができたのだろうかと自分自身に問うてみて欲しいと思います。
皆さん方が、2週間後の1月1日に、さらに充実した素晴らしい年を迎えられますように、心からお祈りをして今朝の話を終わります。