心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

おはようございます。
今朝は「出迎え三歩、見送り七歩」についての話をしたいと思います。
昨年の12月に本校で長崎県の学校保健部会研究大会が実施されました。
その中で先生方対象の講演会が行われ、その講師の先生が帰られる時のことでした。私も丁度、玄関前にいたので、お見送りをしようと講師の先生を待っていました。しばらくして、講師の先生が出てこられ、「寒いのでもうこちらでいいですよ。」と言いながら、駐車場の方へ向かわれました。私はそこで一礼をして、他の研究大会関係の先生方とお話をしていました。その時、研究大会の大会会長として参加されていたある高校の校長先生が、玄関先から駆けだして講堂横まで行き、講師の先生の車が校門から出て見えなくなるまで、しばらく頭を下げておられました。
その校長先生が玄関に戻ってこられた時、最後までお見送りをしなかったという反省の思いで、「申し訳ございませんでした。」と言うと、その校長先生から「出迎え三歩、見送り七歩を大切にしないとね。」と言う言葉が返ってきました。
何となくわかっていた言葉ではありましたが、職員室に戻ったあとにインターネットでその言葉を検索しました。
お客様をお出迎えするときは三歩前に出て中に招き入れ、お送りするときは、来て下さった事への感謝の言葉をかけつつ、名残を惜しみながら七歩外に出て背中が見えなくなるまでお見送りする。とあり、次のような話が載っていました。
京都の嵐山に、ほかの車夫よりも(人力車を引く人のことを車夫と言うそうですが)ほかの車夫よりもダントツにお客様が多い青年がおり、その青年は、ずば抜けてハンサムというわけでも、人力車に特別な仕掛けがあるわけでもなく、回るコースも変わらない。だだひとつ、他の車夫と変わるところは、案内を終わったお客様を見送るところだ。他の車夫は、料金をいただき、お礼のあいさつをして、次のお客を乗せて走りだす。しかし、その青年は、車を降りられたお客さんの姿が見えなくなるまで、頭を下げ、また手を振ってお見送りをする。お客様が、見送りに気がついていても、気づいていなくても、その青年のお見送りは変わらない。そして、お客様が角を曲がって見えなくなって、初めて、次のお客様を乗せる。そのことが、この青年の繁盛につながっているといえる。とありました。
その文章を読みながら、これは、商売や仕事上だけの問題ではなく、我々の日常生活における色々な方との関わりにおいても、同じことがいえるのではないかと感じました。それは、お世話になった人への感謝の気持ちや周りの人への思いやりも「出迎え三歩、見送り七歩」に、共通することではないかと思ったからです。
話が長くなりましたが、今朝の話が、毎日の生活の中で、このような行動を取るきっかけになれば幸いです。
今朝はこれで終わります。