心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

福沢諭吉の自伝に、大阪での適塾での猛勉強ぶりが書かれています。諭吉がある時風邪をひいて、横になって寝ようと思って枕を探したが、枕がない。なんで枕がないのか、いぶかしく思ったら、この一年半、一度も枕を使って寝たことがなかったのです。それくらいの勢いで勉強していたわけですが、これは別にオランダ語に対して社会的ニーズがあったからではないのです。江戸だと大名とか幕府の官僚として登用される可能性もあったけれど、大阪ではゼロでした。つまり適塾での猛勉強は「就活」のためじゃない。何の報酬も示されないまま、勉強していたのです。
福沢の言葉によると、
自身の身の行く末のみ考え、どうしたら立身が出来るだろうか、どうしたら金が手にはいるだろうか、立派な家に住むことができるだろうか、どうすれば旨い物を食い、好(よ)い着物を着られるだろうかということばかり心を引かれて、あくせく勉強するということでは決して、真の勉強は出来ないだろうと。今の世の中、人間は私利私欲を追求する時に潜在能力を最大化すると考えている人が多いのではないでしょうか。
福沢のように、近代日本の知識人たちは、海外の先進的な制度、文物を導入して、それを文化的後進国である、わが同胞たちのために、伝えていくのだという、強烈な使命感が彼らを動かしていったのだと思う。この歴史的な使命感が幕末から明治初期の知識人たちの驚異的な知的パフォーマンスを与えたのだと思う。
「国のため」他者のために勉強する人間は、「自分のため」に勉強する人間より、高い達成度に達する。

ケネディ大統領の有名な、その就任演説で、「わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか」と述べた。
「国家」のところに「他の人々」と入れて、この言葉をよく考えてみたいと思う。