心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

おはようございます。今日は少し教会について触れたいと思います。

 先週、高校一年生は国の重要文化財に指定されている平戸市にある田平天主堂へ行き、黙想会を行いました。聖堂内にあるステンドグラスは息をのむほど美しいものでした。実は、私がとても好きな教会でしたので、訪問できることになって内心ワクワクしていました。高校一年生のみなさんは聖堂を見てどう感じたでしょうか。

 私は生まれた時に洗礼を受け、カトリック信者となりました。私のふるさとの家の近くには小さな教会があり、毎日母親に5時半に起こされ、6時から教会に行き、学校へ登校する生活をしていました。あの時は、雨の日も風の日も辛いなあと思う日もありました。どうして母親があんなに熱心に私を教会に行かせたのかは聞いたことはありませんが、大人になってなんとなくわかるような気がします。中学生になってからは教会でオルガンを弾くようになり、クリスマスや結婚式前には聖歌隊と何度も練習をしました。
  大人になり、なかなか教会に行く機会が減ってしまいましたが、聖和では教会にたずさわる機会があります。この貴重な機会を大切にしていきたいと思います。みなさんももうすぐ行われる卒業式などの行事や学院ミサ、お祈りの時間や掃除の時間など他の学校では触れることができないこれらの貴重な経験を一つ一つ大切に取り組んでみてはいかがでしょうか。

おはようございます。
 今日は「当たり前」というタイトルの詞を紹介します。これは、若き医師、井村和清先生が病の床で綴った手記、「アスカへ、そしてまだ見ぬ子へ」という本に納められています。
 井村先生が大病院の勤務医として、患者さんにとても慕われながら、多忙な毎日を送っているとき、右膝のがんが見つかります。転移をを予防するために、右足を切断します。その後リハビリで復帰されますが、まもなく一番恐れていた肺への転移がみつかります。
 肺がんのために、呼吸がとても苦しい闘病生活の中で、父として、夫として、生きた証を残したいと、書かれたものです。長女のあすかちゃんは、まだ1歳、そして二番目のお子さんは、まだ奥さんのおなかの中でした。

あたりまえ
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜ喜ばないのでしょう。
あたりまえであることを おとうさんがいる   おかあさんがいる
手が二本あって、足がにほんある。
いきたいところへ自分であるいてゆける
手を伸ばせば、なんでもとれる
音が聞こえて、声が出る
こんなしあわせはあるでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだと、わらって済ます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶことも出来る
走り回れる
みんなあたりまえのこと

こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを無くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ

井村先生は、この3週間後に31歳のわかさで旅立たれます。奥さんと子どもを残して。どんなに無念だったでしょう。私も、10年前、父を病でなくしました。しばらくの間、私は、街角や公園で、両親と子どもたちの仲の良い家族の姿を眺めては、涙が出たのを思い出します。

 普段、私たちが「あたりまえだ」と気にかけていないことも、考えてみると、「とても有難いことだ」と気づかされます。生きていること、それは一つの奇跡なのです。
今日は、「あたりまえ」という詩を紹介しました。みなさんの生き方に、何かヒントになれば幸いです。
今日一日が、良き日になりますようにお祈りします。

 

25メートルを泳ぎきるのに皆さんは何秒かかりますか?私は180秒、3分かかりました。生まれて初めて25メートルを泳ぎきったのは小学校3年生の体育で行われた測定テスト本番の日でした。水泳が大の苦手だった私の泳ぎ方は、クロールやバタフライ、平泳ぎ、犬かき等すべてが混ざったようなもので、周りから見ていたら本当に溺れているように見えたそうです。当時好きだった女の子がプールサイドで見ていたこともあり、死ぬほど恥ずかしい気持ちもありましたが、遂に泳ぎきった後の爽快感と達成感は生涯忘れることはないでしょうし、大きな大きな自信となりました。その日以来、私の目に映る風景、世界は確実に変わったのです。全力を出し切った経験が感覚にまで大きな変化を与えたのかも知れません。

17歳だった私は、ホームステイも兼ねた修学旅行でイギリスにいました。日本人同士数人でサッカーをしていた公園に、犬を散歩させていた同い年くらいの現地の少年たちがやってきました。突如囲まれた私たちに向けて、彼らは人種差別を意味する言葉を浴びせたのです。「Eat Yellow !(=アジアからやって来た黄色人種を食べてしまえ!)」と、連れていた犬にけしかけたのです。アジアの人びとが欧米で差別を受けることがあるのは何となく知ってはいました。「自分だけは大丈夫だろう(=まさか差別は受けないだろう)」と根拠もなしに思っていただけに、大きな衝撃を受け、悔しさと悲しさでしばらく呆然としていたのを覚えています。しかし、折角の貴重な修学旅行でいつまでも呆然としたり悩んだり泣いたりしている時間が勿体無いと思い、気持ちを切り換えて残りの修学旅行を過ごしたこともはっきりと覚えています。生まれて初めて差別を受けた経験も、私の目を通して見える世界に変化を与えました。皆さんもこれからの人生において、全力で取り組まなければいけないことに直面し、切り換えなければいけない瞬間が必ず訪れると思います。どうかそういう場面を乗りこえていって欲しいと強く願います。「変化は成長を促す」見える景色が変わる経験をぜひ積んでください。

しばらく時間が過ぎてしまいましたが、改めて昨年の11月23日の全校応援、ありがとうございました。
聖和の皆さんの応援の力が歴史を変える勝負の流れを引き寄せてくれました。
そして、春高への募金や支援活動、本当に感謝しています。

 今朝はこの大会の中で、気づいたことの一つをお話ししたいと思います。
担当は バレーボール部顧問、1年A組副担任です。

 今でも、皆さんに「2セットと先取された場面からよく逆転できましたね。」と尋ねられます。 なぜかといえば、バレーボールの技術よりも「諦めなかったこと」でしょうか。 誰が諦めなかったのか。なぜ諦めなかったのか考えます。
 バレーボールで試合に勝つために必要なことは、 ボールを落とさないこと。そして、相手のコートにボールを落とすことです。

 苦しい状態のトスほど、得点のチャンス。私たちが全国を目指しチャレンジしている姿です。 スパイカーの下では、フォローに入る仲間のプレーが、スパーカーに攻める勇気を与えています。ブロックに当たってコートに入ってきても、仲間が落とさない。つなぐ。 それを信じて、高いブロックに向かって、ボールを打ち込みます。

 優勝を決めた15点目の得点も、決して打ちやすいトスではありませんでした。 センターへトスは、苦しい状態でのスパイクとなっていました。それを、しっかりと攻めて得点できた聖和らしいプレーだったと思います。
 こんな場面がたくさんあったこと。これが諦めなかったことなのではないでしょうか。

・私が諦めなかったことは、 5セット目の終盤、聖和のミスで13-13につかれました。相手のサーブからのワンラリー。タイムアウトで流れを切ることを我慢して、選手のプレーを信じ、「任せました」。
 選手がボールを落とさない。逃げずに得点を取りに行く。練習してきた判断と動きを出し切る。選手たちのプレーを信じることを諦めませんでした。
 「もうだめだ」と思い、やめてしまうことは自分だけの決断で行動できます。 諦めることは自分一人でできます。
 しかし、 「諦めないことは自分一人ではできないこと」だと感じました。
繋いでくれる仲間がいること。決めてくれる仲間がいること。応援してくれる仲間がいること。ボールを落とさない。得点を取ることを信じて、支える仲間がいないと、 諦めないことは、負けないこと、勝つことには繋がりません。
 私も自分一人では、諦めないことはできませんでした。 信じられる選手がいなければ、諦めないことが「任せること」にはなりませんでした。
 諦めないことが、試合に勝つとことにつながったのは、信じられる仲間がいたから。 「信じられる仲間がいた」から、「諦めないことができた」のだと気づきます。
 身長の高さではなく、華々しい競技実績や経験ではなく、 信じることができる仲間を作り、諦めないことができるチームであったことが 私たちの強さだったのではないかと思います。
 信じられる仲間づくりは「日々の積み重ね」です。 共に過ごし、練習する時間の中で、いろいろな出来事が起こります。お互いに、何を考え、どう行動しているか。一日一日の付き合い方が信頼を生み、諦めないことができるチームに近づいていくのだと思います。ごく身の回りに、勝負の始まりはあると思います。

 14年ぶりの春高出場の後、私たちは次のチームへと時代を受け継ぎ、新たなスタートを切りました。8日からは全九州選抜大会へ出場します。 これからの仲間と勝負を見つめ、一つ一つ聖和のバレーボールの歴史を作り上げていきます。再び聖和女子学院が全国の舞台で日本一を目指し、戦う姿をお見せできるように頑張っていきます。近いうちに、また、皆さんと決勝戦を楽しみたいですね

今朝はこれで終わります。