お知らせ
お知らせ
今年度の学院祭では、例年のようにクラスの出し物を行うことができませんでした。
なんとかクラスでの活動ができないかと、実行委員のメンバーが一生懸命考え、「聖和国際映画祭」を実施することになりました!
各クラス5分程度の映画を作り、見てくれた人を「笑顔」にすることが条件です。
どのクラスも1週間で面白い作品ができていました。
審査会、表彰式も行いました。
結果は以下の通りです。
【学校長賞】 3年Dクラス「青と夏」
【最優秀賞】 3年Eクラス「E-life」
【優秀賞】 3年Dクラス「青と夏」
【優良賞】 2年Eクラス「もし1日が24分だったら」
【女優賞】 3年Aクラス「3Aリベンジャーズ」より佐伯胡桃さん、原唯希さん
3年Eクラス「E-life」より八木鈴さん
受賞されたクラスのみなさん、おめでとうございます!
午後は、様々な特技を持った生徒たちが盛り上げてくれました!
文化部展示・校内企画
★書道部★
★写真部★
★華道部★
★茶道部★
★高校美術部★
★中学美術部★
★図書部★
★英会話部★
★インターアクト部★
★ソフトテニス部★
★無D印良品(2年Dクラス)
令和3年9月22日(水)、第43回学院祭を行いました。
今回のテーマは「笑顔~身近な人を元気に!~」です。
学院祭に参加したみなさんを笑顔にし、その笑顔を家族に、そして地域の方に広めていきたいという思いでこのテーマにしました。
今年度は新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、生徒のみで活動を行いました。
当日の様子を少しご紹介します。
【開会式】
開会式は高校3年生の実行委員が盛り上げてくれました。
【午前の部】
午前中は、文化部のステージ発表をリモートで鑑賞しました。
1.書道部による書道パフォーマンス
2.中学コーラス部による合唱
3.吹奏楽同好会による演奏「遠くてもつながる音楽の輪」
4.演劇部による公演「オカルト研究会には名探偵がいる」
5.写真部による動画発表
6.ダンス部によるパフォーマンス「Just do it ‼」
7.高校コーラス部による合唱「コラ部コンサート♡」
~教室にてリモート鑑賞中~
聖和女子学院中学校・高等学校を卒業された田端結さんと靏野帆香さんが、
令和3年9月20日(月)、アルカスSASEBOにおいて、ロビーコンサート「スペシャル2021」に出演!
ピアノとフルートの素敵な演奏に、お客様方からの会場いっぱいの大きな拍手が鳴りやみませんでした。
観客の一人として会場にいた私は、最初に演奏された「糸(作詞作曲:中島みゆき)」に、学生時代の彼女たちの頑張っていた姿が重なり、中島みゆきさん作詞の歌詞が思い出されました。不思議な巡り会いと思い出される数々のドラマに、ふと気づくと感謝と感動の思いがこみ上げ、涙がこぼれていました。
日本中を包むコロナ禍に疲弊した心を、本当に温かく優しく癒やしていただきました。
(公財)日本教育公務員弘済会長崎支部より、本校生徒の学習活動に対して助成奨励金をいただきました。いただいた助成奨励金でICT機器の周辺機材を購入し、デジタルコンテンツ視聴や研修会等のプレゼンテーションに活用するなど、生徒一人一台パソコン端末導入による学習環境の充実につなげていきます。
長崎県は、8月27日~9月12日の期間「まん延防止等重点措置」が適用されました。
このことを受け、本校では高校3年生をのぞく高校1・2年生と中学全学年を分散登校とすることにいたしました。
登校できない日は、オンラインによるリモート授業を自宅で受講してもらい、授業時間数を担保することに努めています。非日常的な学校生活・学習生活ではありますが、本校の先生方全員が一丸となって、このコロナ禍を乗り切ろうと頑張っています。
下の写真は、各先生方が教室にてオンライン授業をしている様子の一コマのご紹介です。先生方は、パソコンに映る生徒たちと会話をしながら真剣に授業をなさっていました。
令和3年8月27日(金)は、今年度第2学期の始業式でした。
「まん延防止等措置」が適用されたため、大体育館での集会は行わず、生徒たちは各教室に待機したまま各教室の大型ディスプレイに映し出される映像を見ながらのリモート形式による、これまでとは違った形での始業式となりました。
リモートによる始業式では、小柳校長から「非日常的な状況の中ですが、静かに自分を見直して、落ち着いた態度で2学期に臨んでください。」とのお話に続き「最初の質問」と題して生徒たちに様々な質問を投げかけながらの訓話がありました。
「県民の皆様へ 家庭内でもできる限りの感染防止対策を」及び「家庭内でご注意いただきたいこと~8つのポイント~」を掲載いたします。
ご家庭においても感染防止対策の徹底をお願いいたします。
2021年8月9日
「追悼式でのお話」
聖和女子学院宗教科主任
原爆が長崎に投下されてから76年が経ち、戦争を知っている世代がどんどん少なくなってきています。
私も皆さんと同じで戦争の悲惨さを直接見たことはありません。
学校に通っていたころ、平和学習で当時の状況を知るたびに胸が痛みましたが、しばらくすると忘れていつもの生活に戻ってしまっていました。
始まりにこんなことを言うのはどうかと思いますが、忘れてしまうのは仕方ないことだとも思います。
しかし、私はこうして毎年思い出すことが大切ではないかと考えています。
何をしたか詳しくは覚えていなくても、感じた胸の痛みや気持ちを少しでも覚えていて、「戦争」や「原爆」という言葉とともに気持ちだけでも思い出せればいいと思います。
みなさんは戦争の何が恐ろしいと思いますか?
原爆や兵器、恐ろしいものはたくさんありますが、私は戦争で一番恐ろしいと思うことは、敵のことを「自分と同じ人権を持った人間だ」と認識できなくなってしまうことです。敵のことを恐ろしい生き物、わけのわからない生き物だと考え、その人たちに家族がいることや生活していること、を忘れてしまう。そういう気持ちにしてしまうことが戦争だと思います。第二次世界大戦中、名前を知らない誰かの生きる権利を奪ってまで、戦争を終わらせたい、この状況を変えたいと追い込まれてしまった人がたくさんいたことで多くの悲劇がうまれてしまいました。
聖書には「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)という言葉があります。みなさんは敵だと思う人を愛して、その人のために祈ることができるでしょうか。どうしても難しい、敵を愛して祈るなんてきれいごとのように感じてしまいませんか?まして、原爆の被害に合った人に「敵を愛さないといけないんだから許しなさい」なんて言えるでしょうか。私は、愛することと許すことは別だと思います。許していなくても愛する、つまり「相手を尊重する」ことはできると思うからです。私はこの「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」という言葉の本当の意味は、私たちのことを迫害しなければ生きていけないような状況に追い込まれた人のことを考え、その人も同じ人権を持った人間だということを忘れないようにしなさいという意味だと考えています。
広島に原爆が落とされた後、広島の悲惨な状況を知りながら、同じことを長崎にもしよう、長崎にも原爆を落とそうと決めた人は長崎の人たちを同じ人権を持つ人間だと考えられていたのでしょうか。たくさんの「数」として人が亡くなれば戦争が終わるということしか考えられなくなっていたのではないかと思います。
11時2分に講堂から鐘が鳴らされます。この鐘はアメリカ軍の工作船「ディクシー号」で製造された「サンタマリア」という名の鐘です。
もう二度と大切な人の生きる権利が奪われないように、また自分が誰かの生きる権利を奪ってしまわないように、平和を願いながら鐘の音を聞き、黙祷をささげましょう。」