今日のつぶやき

みんなでホッとひと息

2021/06/05
A(本校の卒業生)(その他)からその他へのつぶやき。

私は聖和の卒業生です。

当時の先生方には様々な場面でお世話になり、多感な時期でありながらも先生方からの愛情を日々感じておりました。

そんな中、私は人生においてこれほどまでに懺悔し自責の念に駆られたことのないという失敗経験を、在学中にしてしまいました。当時先生方、友人にはかなり迷惑を掛けました。

卒業して時間が経過した現在もその時のことが鮮明に頭をよぎります。夢に出てくることもあります。

このことがあってから、在学中は精神的に塞ぎこみ誰にも心を開けない3年間を過ごすことになりました。

先生や家族、友人をどれだけ裏切ったのか考えると、いまだに『私が笑っていいのだろうか』と立ち止まったままです。

 

どれだけ時が経過しても私自身は一生忘れることはできません。忘れてはいけないことだとも認識しています。

本当の償いは在学中に終わったのではなく、一生忘れずに自分を律し続けていくことだと痛感しながら生きています。

 

過去の失敗に縛られたままの私が、何かするべきこと、できることはあるのでしょうか?

Aさん、つぶやきコーナーへの投稿ありがとうございます。

いったいどのような失敗をなさったのでしょうか。内容が気になるところでもありますが、それはさておくとして、

在学中、精神的にふさぎ込み心を開けないまま過ごされたとは、本当にお辛い思いをなさいましたね。
そのようなAさんが、「過去の失敗に縛られず、何をするべきか。何ができるのか…。」
それは、Aさんご自身が書かれているように、一生忘れずに自分を律し続けていくことも大切なことだと思います。

しかし、それだけではないと思います。そこから学んだこと、その過去の自分に悔やんでも悔やみきれない経験があるからこそ、見えてきたこともあるはずです。そのことを周囲のために生かすことも大切だと思います。

 

 何の答えにもならないかと思いますが、大学卒業後から今日までの約40年間、教師として生きてきたこれまでのことを振り返ると、私にも反省することが山ほどあります。

 授業のやり方や進め方にはじまり、生徒指導上や部活動指導上で失敗したことや、普段の生徒との会話の中で何気ないひと言が生徒の心を傷つけてしまったことなど、本当にどんなに懺悔しても反省しても、その過去の言動は取り消すことはできません。

 多くの本を読み、数多くの研修会にも参加し、先輩の先生方に学んだり多くの先生方と交流を持ちながら、自分自身の教師としての資質を高めようと努力して参りました。立派な教師になれたなどとは今でもまったく思えませんが、40年近く教師生活を続けてきた中で、卒業生の中には、嬉しいことを言ってくれる生徒もいたり、保護者の方から感謝をされたり、ありがたいこともありました。しかし、それでも自分の過去の失敗は消し去ることはできません。だからこそ、その懺悔の気持ちを忘れることなく、同じ失敗を繰り返さないように自分を律し続け今の目の前の生徒たちとの関わりに責任を持って生きて行こうと日々精進しています。

 

シスター渡辺和子さんが著書「人間として どう生きるか」という本の中に次のような文章を書かれています。

「一生というものは、ぶつぶつ不平を言っていても時間がたつし、そうでなくても時間が同じにたつので、とにかく自分らしく生きることが大切だと思います。その“自分らしく”ということの中には、特に努力せずとも、自分が生かせて生きられる時間もありますけれども、時には自分で必死になって自分を輝かせて、生かしていかないといけない時もあるんです。やり直しのきかない人生ですから、失敗しないように生きることもたいせつです。できるだけ無駄なことに時間を使わないように生きることもたいせつですけれども、失敗してしまったときに、その失敗から立ち上がって、やり直しをしているかのように生きることもとてもたいせつだと思います。

 ある方が私(渡辺和子さん)に、「一度失敗してやり直しているかのように生きなさいよ」とおっしゃってくださったことがあるんです。ですから私は、一度めちゃくちゃなことをしてしまって、そして今、そのやり直しをさせていただいている、そのぐらいに周囲に心を遣って生きて行きたいと思っています。」