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去る2月14・15日、本年度も巡礼を実施いたしました。例年8月9日の登校日に合わせて行われているものですが、台風の影響で順延となっていました。厳寒も予想されていた中、中学生5名、高校生2名、引率3名、スクールバスドライバー1名の計11名は、時折暖かな陽射しに恵まれながらの巡礼となりました。以下、一泊二日の行程と併せ紹介いたします。
☆初日★
カブト虫公園でガイドを務めてくださる藤村様と合流した私たちが先ず訪れたのは『田平天主堂』です。明治初期、長きに亘った重苦しい禁教は解けたものの、時に非信者との軋轢も生じ肩身の狭い思いを続けていった信者たち。ド・ロ神父の私費によって荒れ地が購入されたこの一帯も、外海や黒島から移住してきた信者による懸命な開墾の努力によって地歩を固めていきました。仮聖堂が建てられしばらく経った1915(大正7)年に鉄川与助の設計によって現在の天主堂が施工されました。決して余裕があるとは限らない信者たちは、苦しいなかでも寄付を惜しみませんでした。煉瓦の接着には地元で採れた貝殻を焼いて水溶したものを漆喰として利用するなど、飽くなき熱意と工夫が結集した建設となりました。堂内ステンドグラスの細工は全国でも指折りの繊細さと写実性が凝縮され、観るものを飽きさせません。
次に向かったのは『焼罪殉教地』です。徳川秀忠の将軍時代、潜伏しながらの必死な布教活動・救済事業を行なっていたイタリア人宣教師カミロ・コンスタンツォ神父が五島で捕えられ、火刑に処せられた地です。実際の処刑場からは少し離れた場所に記念碑が建てられていますが、おどろおどろしい赤銅色の炎に包まれるモニュメントと青空の対称が際立ち、胸を締め付けられます。その後、『松浦資料館』・『平戸オランダ資料館』を見学した私たちは、戦国時代から明治維新まで転封を経験することなく平戸を統治し続け、天然の良港に恵まれ南蛮貿易の最盛期を担った松浦氏だからこそ連綿と伝わった貴重な文化財を通して、時代の鮮やかな断層を鮮明に見渡すことができました。日本史好きの生徒はもちろん、そうでない生徒もぜひ訪れてほしい一級品が揃った資料館です。

翌日の朝のミサでお世話になる『平戸ザビエル記念聖堂』の下見を終え、野焼きを済ませて間もない『川内峠』に向かいました。恥ずかしながらこの記事を担当している自身にとって、33年間の人生で『峠』と名の付く地に足を踏み入れたのは初めての経験。全国津々浦々、険しい峠は数限りなく存在するのでしょうが、歩めば歩むほどに平戸の絶景を両脇に抱え込めるような快感を覚える越えるに楽しい峠でした。我々職員を先導するかのようにぐんぐん突き進む生徒たちの逞しいことこの上ありませんでした!

『宝亀教会』は立地の特異さで知られる長崎の教会群の中でも秀逸な偉容を誇ることから、静寂に凛として佇む女神の様です。
『紐差教会』は県内2位の規模を誇る白亜の礼拝堂を有し、なおかつ参拝者は正面の階段から直接2階の礼拝堂に入る言われてみれば大変珍しい構造となっています。堂内の見学は15時まで、到着は15時を回ってしまっていたのですが、運よく入堂でき神の思召しに感謝しました。
この日最後を締めくくったのは『平戸市切支丹資料館』です。根獅子(ねしこ)ヶ浜の脇に建つ資料館。かつて根獅子周辺では入信者の数も多く、それはつまり激烈な弾圧の度合いと殉教者の数にも正比例してしまいました。それでも屈せず多少異質に、土着信仰の様相も呈すようになった独自の信仰形態は執拗な監視を何とかすり抜け今日に至りました。その確固たる歴史を次世代につなぐ役割を担う資料館です。

★二日目(最終日)☆
『民宿はまゆう』で心尽くしの夕食と朝食を頂いた私たちは十分な休息もとり、平戸ザビエル記念聖堂でミサに与りました。
ミサの式次第に戸惑う生徒もいましたが、何事も良き経験となりますように。
最後の巡礼地は生月です。海の幸、山の幸に恵まれたこの一帯も、自然の恩恵を授かってきたという意味では、一転、自然の猛威や気まぐれによって受難を度々被らなければいけない土地でした。常なる平安と希望を失わず生き抜きたい、こうした自然環境も入信者を増やすことになった一因ではないでしょうか。そんな生月の豊かさと、生き抜く力をまざまざと見せつけられる展示品を多く所蔵しているのが『島の館』です。

『暖竹のヤブ』は海岸絶壁に鬱蒼と茂る竹藪に、追われて潜伏していたキリシタンの親子が、ちょっとした子どもの行動によって、海上から監視を続けていた役人に発見され無慈悲にも斬首された場所です。
『黒瀬の辻』は親から子への統治者交代によって禁教政策が苛烈さを増していた平戸・生月で熱心な指導を継続していたガスパル西とその妻子が大松の根元で斬首された場所です。邪宗門と揶揄、危険視、蔑視する負の力、余りにも巨大なうねりが、捨て置いてもひょっとすれば支障はなかったかも知れない無辜の民の命を根こそぎ奪い去る不条理は決して風化しません。ガスパル西とその家族ら殉教者の木製レリーフが祭壇の両側を囲む山田教会の堂内は、夥しい数の蝶の羽で装飾され、参拝者を惹きつけます。
『蝶』が暗示するのは『変貌・変身。あらゆる浮き沈みを経た後の成長。より高度な表現形式への生まれ変わり。新しい自己発見のチャンス。エネルギーの変化。大きな転換。人魂。死霊。祖霊の化身』等々数知れませんが、キリシタンの辿った歴史を知れば知るほど、山田教会で私たちを出迎えてくれた蝶は物悲しくも優しく何事かを囁き訴えかけてくるのです。

本校で勤務を始めた年から、上五島、下五島、外海雲仙、そして本年度の平戸生月を巡った旅は4年目を迎えました。年々、巡礼旅行への参加を希望する生徒は減っていますが、それでも信徒はもちろん、それ以外の生徒も参加する巡礼に、県外出身の信徒として、また職員として携われる幸せを感じます。来年度も場所は未定ですが8月9日に巡礼を予定しております。在校生の皆さん、もうすぐ出会える新入生の皆さん、信徒発見150年の節目を迎える2015年に、聖和ならではの旅に触れてみませんか。お待ちしています(○>V<○)
【文責 高校宗教部顧問】