心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

 

おはようございます。
朝晩、だいぶ涼しくなり秋らしくなってきました。
秋と言えば、スポーツの秋、読書の秋、勉強の秋と色々なことに挑戦しやすい時期ですね。
 学院際が終わり、もうすぐ2学期中間考査が始まります。もうすでに勉強を始めている人も多いのではないでしょうか。今、どうすべきで、どう動くべきか、またそれを実行できるかでこれからの自分の道が大きく変わるかもしれません。

今日はこのように今置かれている状況からの「選択」について少し触れたいと思います。
私は中学生の頃、数学が大好きで高校では理数系に進みました。高校3年まで、数学と物理の勉強ばかりしていました。ただ、高校3年生で担任の先生が英語の先生ということもあって影響を受け、急遽進路変更をしました。

 よく考えてみると、いろんなことで「選択」する場面って多いものです。今、どう動くかでその後にその結果は影響していることがわかります。小さなことから大きなことまで選択しなければならないことはたくさんあります。
 特に3年生は今の動きが今後の将来に大きく影響するかもしれません。1、2年生は1,2年後に影響するかもしれません。もちろん最終的に決めるのは、自分ですが、もし悩んだら家族や友人、学校の先生に相談しながら自分の道を決めていくことをお勧めします。

 

 

みなさんおはようございます。 今日はダンス部創設までの歩みを紹介したいと思います。

私が、ダンス同好会の顧問になったのは、5年前でした。その頃は、学校行事、例えば、文化祭や予餞会のために集まり、練習をして発表をするという形で、定期的に練習をするという感じではありませんでした。 その後、週に2回、練習するようになり、間もなくして、ある生徒が、「島瀬町で行われるイベントに出てみたい」と私に言ってきました。これが、ダンス同好会として初めてのイベント出演でした。その後、ダンスが大好きなメンバーが、もっと練習をしたいということで週に3回練習することになり、昼休みに校内発表をしたり外部へのイベント出演も増えてきました。

それから、欲は出るもので、「他校との合同練習をしたい」という希望が出てきました。ダンスの全国大会で第3位になった猶興館高校に電話をすると快く引き受けてくれました。力の差は歴然でした。さらにもっと上手になりたいということで、土曜日も練習をすることになりました。猶興館のダンスの生徒との出会いもあり、今度の目標は、公式な大会に出場することに決めました。そしてその目標は叶い、毎日遅くまで練習に打ち込みました。  大会直前、チームがまとまらず、気持ちをぶつけたり、話し合いをしたりと練習どころではありませんでした。でも、それは、勝ちたいから。いい作品を作りたいからという表れでした。結果は、全国大会出場条件のの80点にあと少し足りない結果でした。 それから、長崎大学のよさこいチーム突風や、佐世保高等専門学校のダンス同好会との合同練習をしながら、スキルアップや交流を深めてきました。

 昨年度末、もっとダンススキルをあげたいと生徒からの要望で、3名を北九州市立高等学校(前の戸畑商業高校)に無謀にも合同練習をお願いしました。この高校は、全国優勝を何度も経験している学校です。断られると思っていましたが、この学校も快く引き受けてくれました。雰囲気や礼儀等、とても素晴らしく、学ぶものが多くありました。聖和の3名は、体力的にも差があるこの学校の練習に、ふらふらになりながらもついていきました。その姿を見たときに、本当にダンスが好きで、上手になりたいんだな、負けたくないんだな、とあらためて感じました。この5年を振り返ってみると、ダンス同好会は一歩一歩ですが、着実に、前に進んでいると思います。自分が変われば周りが変わる、周りが変われば運命が変わるという言葉があります。生徒の「イベントに出たい」とい一言から時を経て今があります。まさに「思いは招く」ですね。そのことをダンス同好会の生徒に教えてもらいました。

 そして、今年度、たくさんの方々のおかげで、ダンス部として活動させていただくことになりました。そのおかげで、公式大会に2つも出場することができました。これも皆さんのご協力、ご声援のおかげです。この場をかりて、顧問として、お礼を言いたいと思います。ありがとうございます。今後も応援よろしくお願いします。

 

はようございます。最近、肌寒くなってきましたね。
  さて、今日私がお話しようと思うことは「言葉」についてです。
「言う」という字に葉っぱの「葉」と書くこの「言葉」は日本の最古の物語である「竹取物語」にも「ことのは」として出てきています。起源ははっきりとわかりませんが、この言葉に関して「古今和歌集 仮名序」の一節が有名です。
  「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」 つまり、人の心を種として、そこから生まれたものが言葉という葉だということです。すべての言葉に人の心が反映しているのです。みなさんも考えてみてください。何気ない会話にもすべてその人の心と繋がっています。特に、誰かに向ける言葉ほど強く反映しているのではないでしょうか。
  良い言葉も悪い言葉もすべて人の心が現れます。日頃から「言葉」を大切にして欲しいと思います。
担当は国語科の、Uでした。

おはようございます。入試広報部保健体育科のK.H.です。
今日は最近あった心が温かくなった話をさせていただきたいと思います。その時の状況を思い出しながら文章を考えていますので文の構成及び文法上間違いがあったらお許し下さい。先日中学校をまわる途中トイレ休憩をしていた時の事です。私が車を停めていた駐車場に老人介護施設のワゴン車が2台停まりました。ほとんどが車椅子のお年寄りで、お世話をされている介護士さんを見ながら、あらためて大変なお仕事だなと痛感しました。その中で一人のお年寄りが「トイレに行きたいのですが」と申し訳なさそうに言われました。なぜ申し訳なさそうにかというとそこのトイレは少し離れた小高い丘の上にあり、ましてや車椅子となれば舗装された道を遠回りしなくてはならないのでかなり重労働です。するとお年寄りの近くにいた介護士さんが「私がお連れしますよ」と笑顔で対応されていました。失礼ながらしばらく観ていると介護士さんのお年寄りに対する接し方、言葉遣い、ちょっとした心配り、とびっきりの笑顔等、ホントに心の優しい女性なんだと私の目に映りました。私がほのぼのとした気分になってるとなぜかその介護士さんが私の所にやってきました。「平原先生でらっしゃいますよね?」「え?おー、久しぶり、卒業以来だよね」「はい、大変ご無沙汰しています」「元気で頑張っているね」「はい、頑張っています」とまたまたとびっきりの素敵な笑顔。最近目の老化現象で私は全く気づいてなかったのですが、彼女は私に気づいたらすぐに挨拶に来てくれました。彼女は6~7年くらい前の卒業生で高校時代はとてもおとなしくどちらかと言えばあまり目立たない生徒でした。また、コミュニケーション能力も決して高い方ではありませんでした。仕事というものが彼女を成長させた部分も大きいとは思いますが、私が一番嬉しかったのは彼女のお年寄りに接する態度、行動を観て「聖和の心」を忘れていないということ。「聖和の心」つまり、今、みなさんが学んでいる「隣人愛の精神」「奉仕の心」ですね。 彼女のおかげでその日はなんか暖かな気持ちになって仕事をすることができました。来週は今学期最後の行事、クリスマス会、社会福祉活動です。ただ単に行事に参加するのではなくカトリック学校の生徒としてその意味をもう一度考えてみましょう。また、施設訪問に参加する生徒さんは心のこもった優しい気持ちでお年寄りに接して下さい。最後に今文章を考えながらふとある歌が頭に浮かんだのでご紹介します。ここで私が一曲歌ったら一日中吐き気をもよおして授業にならないと思いますので、冒頭の歌詞だけご紹介したいと思います。
松任谷由実さんの「やさしさに包まれたなら」

小さい頃は神さまがいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持ちで目覚めた朝は
おとなになっても奇蹟はおこるよ
やさしい気持ちで目覚めた朝は
おとなになっても奇蹟はおこるよ

もし機会があったら聴いてみませんか。一人くらい心が温かくなれるかもしれませんよ。今朝はこれで終わります。

出勤の時、バス停に向かう小道にもみじの木があります。毎年、その紅葉が楽しみで、青青としたもみじの葉が日毎に紅く染まるにつれて、秋の深まりを感じています。

さて、今日は文字力テストです。テストの準備は万全でしょうか。また、今学期の期末考査まで2週間余りとなりました。「まだ2週間もある、勉強は明日から!」と日々をやり過ごし、自分を甘やかしてはいませんか?時は無情です。あっという間にテスト前日になってしまいますよ。
西日本新聞(平成26年2月16日付)に興味ある言葉を見つけました。みなさんは「ロミオとジュリエット効果」という言葉を聞いたことがありますか?これは心理学用語で「障害があれば逆にそれを乗り越えて目的を達成しようとする気持ちが強まることをいう」のだそうです。『ロミオとジュリエット』はシェイクスピアの有名な物語ですね。粋なネーミングに感心してしまいました。若い二人は自分達の愛を成就させようとしますが、悲劇に終わってしまいます。ハッピーエンドにならないからこそ、読者に多くのことを語りかけてきます。「まだ2週間もある」と思った生徒さんはこれまでのテストを思い出してください。きっと残念ながら同じことを繰り返しているのではないかと思います。もし、自分は頑張ったのにテストの結果が「悲劇」であったならば、『イソップ物語』の「アリとキリギリス」を読み返してみましょう。「勤勉」に勝るものはありません。成績向上の薬です。
あなたの持つ「学習能力」を活かしましょう。テスト勉強にとりかかるのにいろんな障害というより、「誘惑」があると思いますが、それを乗り越えて今まで以上の成績を取った時に、あなたには「大きな学び」という財産が残るはずです。みなさんの健闘を祈ります。
今朝はこれで終わります。

おはようございます。
先週の土曜日の「音楽のつどい」では、皆さんの素晴らしい歌声とメッセージに感動いたしました。
全校生徒が心ひとつにして、ひとつのことを成し遂げるなんて、他校にはない聖和ならではであり、聖和だからこそできることです。
第33回を迎えた「音楽のつどい」何と!私が聖和に勤務した次の年から始まった行事です。1982年、昭和57年に第1回目が市民会館で開催されました。
プログラムの内容は、基本的には、桜の聖母幼稚園のマーチングに始まり、中学部の合唱、独唱、ピアノ演奏、留学生の日舞、高校コーラス部の合唱、最後はハレルヤコーラスというもので、その他、バレエ、吹奏楽、他団体を招待したりなど、毎年変化に富んだ楽しいコンサートです。
「音楽のつどい」はチャリティコンサートであり、生徒全員に、欲しいものや飲みたいもの、食べたいものを少し我慢してチケットを購入していただきます。そしてコンサートの収益金は、当初から、アフリカ飢餓救援募金や難民救済、カリタスジャパンやユニセフ募金として送られ、また、その年その年に起こった災害(火山噴火や地震、洪水など)のための募金に使われてきました。今年はもちろん東日本大震災や広島の洪水災害の支援にも送られます。
もちろん地元、長崎新聞社の歳末助け合いや佐世保市福祉協議会には毎年寄付を続けているのです。
一時期、アフリカシェラレオーネの子供たちの給食費やインドの子供の教育費にも送られていました。第6回からは善きサマリア人修道会のシスター方が活動されているフィリピンに援助を続けています。フィリピンのバコロドに幼稚園を設立する時にも貢献しました。
まさに隣人愛の実践をずっと続けている行事なのです。
来年は是非、もっとたくさんの方に来ていただき、私たちの活動を知っていただき、隣人愛の実践活動を広げていきましょう。

さて、私も1回だけステージに立って歌ったことがあるんですよ!!
平成9年、第16回「音楽のつどい」でした。たくさんの卒業生の方々やシスター方と同じドレスの衣装を着て出演しました。今でも忘れられない思い出です。

皆さん、どうか卒業しても、ステージ出演したことを思い出し、いつかどこかで、自分の周りや世界中のどこかで困っている人のために、自分の欲しいものをちょっと我慢して、自分の出来ることを実践して欲しいと願います。

今朝はこれで終わります。

みなさんおはようございます。
今日は挨拶・返事・靴並べそしてきれいなトイレについてお話したいと思います。

まずは挨拶。聖和では「ワンスットプ挨拶運動」という素晴らしい取り組みをしていますね。「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」など気持ちの良い挨拶をかわすことができる方は多くいます。笑顔での挨拶は本当にうれしいものです。「あいさつ」は「心を開きあなたを受け入れます」という意味だと以前何かの記事でみたことがあります。相手の立場に立った時、本当の挨拶ができるのだと思います。

次に返事
。呼ばれたら返事をすることは当たり前のようですがなかなかできません。
意識をしていないと難しいことなのかもしれません。しかし習慣づけば自然とできるようになるのでしょう。

次に靴並べ
。靴が並んでいるかどうかはその人の心の状態を表していると思います。朝登校してきたときに「今日も1日頑張ろう」と思っている人はいつもきちんと揃えることができるでしょう。またどんな場所でも靴をきちんと並べるという意識をもって行動できる人はしっかりと自分を律することができる人です。学校だけでなく自宅や訪問先でも意識をしてください。また教室の机の中や棚の中でも同じことが言えるでしょう。

最後にトイレ
。トイレの様子を見ると学校の生徒の様子がよくわかるといわれます。トイレがきれいに使用されている学校の生徒たちの心はやはりきれいであろうと思います。ある高校野球部のグラウンドを訪れたときに「チームが強いかどうかはそのチームの部室そしてトイレをみればわかる」という張り紙を目にしたことがあります。そこのトイレはきれいでした。さすが強豪校ですね。そうじがしっかりとなされていることはとても大切です。しかしそれに加えて、使用する人が汚さないこと、汚したらきれいにすることを心がけてください。

以上みなさんにも身につけてほしいことがらです。

おはようございます。
みなさんはどんなときにプレッシャーを感じますか。
プレッシャーを感じることの意味とは何だと思いますか。

将棋の世界で活躍されている羽生善治(はぶよしはる)さんを知っていますか。羽生さんは将棋界の「永世名人(えいせいめいじん)」つまり、最高の位の資格を持ち、タイトル戦、獲得数は、歴代1位です。将棋界に「名人」が誕生して400年ほどになるそうですが、名人という地位を得た方は、なんと、たったの16人だそうです。。
つまり、「名人」は16年に一人しか生まれない計算になるのです。とてもすごいことがわかります。
将棋は、一つの極面で指す手が約80通りあるそうです。その中から、最も有効であると考えられる一手を決めなければいけません。しかも、その手を考える時間は場合によっては、30秒という短時間です。一手の選択に、かなりのプレッシャーがかかることは想像に難くありません。さらに「永世名人」として負けられないというプレッシャーも相当なものでしょう。その羽生さんがプレッシャーについて次のように述べています。

「緊張やプレッシャーを感じるのは決して最悪の状態ではなく、あと一歩のところまできており、自分の能力を発揮できる場面と考える。」
プレッシャーをこのように考えたことがありますか?私は、この考えに「なるほど」と思いました。また、この前向きさが強さには必要なのかもしれません。

学生時代、ソフトテニス部に所属していた私は、ある公式戦団体で順調に勝ち上がり、ついに迎えた決勝戦、とてつもないプレッシャーを感じました。周りを見れば大勢の観客、応援する人、、、私の心臓はもう漠々でした。
「これまでやってきたことは間違っていなかっただろうか。」「今まで支えてもらった方に変なプレーは見せられない・・・」「私たちがやってきた練習は正しかったのか・・・」など、気がかりなことはたくさんありプレッシャーを感じたのものでした。

プレッシャーは様々なことに真剣に取り組むからこそ感じるのではないでしょうか。真剣に取り組まない人は「まぁ、いいや」と考えている。だから結果も気にならないのでプレッシャーを感じないのでしょう。真剣に取り組む人は、「これだけやったのだから結果がでるはずだ・・・」と思いながら「だめだったらどうしよう・・・」と考えてしまいす。プレッシャーですね。しかし、羽生さんの言葉を借りると、「あと一歩のところまできており、自分の能力を発揮できる場面」と言えるのです。

10月~11月にかけて、各部活動とも地区や県の新人戦や音楽のつどい等の出演、その他にもいろんな場面で活躍することと思います。これは勉強面でも同じ事が言えると思います。「勝てるだろうか、無事に成功するだろうか。良い点が取れるか」一生懸命に打ち込んできた人は、今プレッシャーを感じているはずです。これも、「自分の能力を発揮できる場面」であり、苦しい場面を打ち破ってことそ、さらに強くなれるのです。
“プレッシャーを感じる”それは、“大きく飛躍する”チャンスなのです。
羽生さんからのアドバイスをもう一つ付け加えておきます。
「不調の時には、生活に変化やアクセントを付けて乗り切る」のだそうです。
皆さんのご活躍をお祈りしています。

もうすぐ朝のお話の当番がまわってくる。何を話そうか迷っていると、皆さんに「先生の人生について話してください」とお題をいただきました。「人生か~、今まで何してたかな~?素敵な時間もあれば、大失敗や後悔もいっぱいだよ」と皆さんと笑いながら話しました。
そんな折、友人が遊びに来ました。トランペットの演奏会があるから演奏を聞いて欲しいと頼まれました。友人の演奏は、私にはとても上手に聞こえましたが、友人は納得がいかず、2日間練習に付き合う羽目になりました。その時、友人が「同じ人が同じ楽器で同じ曲を、同じ部屋で演奏して、そして、同じ人に向かって奏でたとしても、やっぱり昨日と今日は違うね」と笑いながら言いました。同じような演奏はできるけれど、同じ演奏はできない。私達人間は全く同じことを繰り返すことができません。ところがCDやビデオテープ等でしたら繰り返すことは可能です。

近年、人間がロボット化しているという記事を目にします。マニュアル人間になってしまうということです。ファーストフード店で「いらっしゃいませ。こんにちは」と眼も合わせず、言われた記憶が蘇りました。それと同時に聖和の皆さんは大丈夫かどうか、少し心配になりました。「おはようございます。」と言葉だけ発し、こちらの顔も見ずに通り過ぎる人。先生方の話を目も合わせず聞く人。同じ時に戻ることは不可能ですから、相手に気持ちの良い対応をしたいものです。
ご家庭の料理はどうでしょう。私には母に教えてもらった草野家秘伝のレシピがあります。しかし、材料をしっかり量ったつもりでも少しずつ味が違ってきます。同じ火加減、分量でも必ず違いが出てくる。そこが私たち人間のいいところではないでしょうか。
皆さんは素敵な経験をもう一度したいと考えたことはありませんか?私は数えきれないほどあります。高校の時も「あの時のクラスマッチは最高だった。またこのメンバーでやりたい」、「今回のテストは自己ベストだった。また取りたい。」ですが、もう一度同じ経験をすることは難しいです。「しなければ良かった。一度でやめておけばよかった。」と思ったこともありますし、その反対もあります。
私は、教員採用試験を受ける際にとても苦労しました。科学、世界史等それまで勉強していたものとは違う分野もありました。不安や、強い焦りを感じ母に愚痴をこぼしたこともあります。そんな時「こんなにきつい時期も今だけって考えたらありがたいね。」と言われ、「確かに、きついのは今だけか」と、前向きな気持ちになれたことをよく覚えています。
辛いことも楽しいことも、私達には一回しかないのです。「どうせ同じことの繰り返し」と安心していても、一回一回丁寧にしないと、どんなに望んでもどんなに後悔しても全く同じことは起きません。それならば、1日1日、心を込めて過ごしていきたいなあと思いました。

 

今月はロザリオの月です。昼休みの13時10分から聖堂でロザリオの祈りを唱えています。まだ参加していない人は、せっかくカトリックの学校に来たのだから、卒業するまでにぜひ一度は参加してみてください。

とは言うものの、実際に私が高校生だった時に、私は一度もロザリオの祈りに参加したことはありませんでした。宗教という科目に惹かれて入学したはずの高校で、「仏教徒だし、洗礼を受けるつもりはないし」と思って、自由参加の宗教行事に足を運んだことはありません。当時の気持ちを今更表すのは難しいですが、信仰するつもりはないから無意味だと思っていたのかもしれません。

また、大学時代、キリスト教を専門的に学んでいた私でしたが、日本のキリスト教を学ぶよりも、福音書や西洋のキリスト教ばかり学んでいました。長崎の大浦天主堂や二十六聖人のことより、イタリアのサン・ピエトロ大聖堂やフランスのノートルダム大聖堂などに行きたいと旅行に出かけ、長崎は国内だから、外国に比べればいつだって行ける。そんな風に思って、長崎に行こうと思う気持ちは少しもありませんでした。

今、私はそんな長崎に来て、教壇に立ち、中学二年生に日本のキリスト教史を教えています。しかも、高校時代には一度も参加したことがないロザリオの祈りを、自分が声をかける側になりました。
その時は興味がない、関係ない、無意味だと思っていたことが、自分の将来に関わっていたなんて、当時の自分は知る由もありません。ですが、私はそういったところに、神様がひとりひとりに計画を持っていることを感じずにはいられません。もしかしたら、自分が与えられた環境や出会った人々。それはすべて神様の計画の一部なのかもしれません。

ロザリオの祈りは、今月いっぱいまで行われています。忙しい毎日に少し心の余裕を持ちたい。そう思ったときは、ぜひ聖堂の扉を叩いてください。もしかしたら、それがみなさんの神様が用意している計画の一つかもしれません。