心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

「やられたらやり返す。倍返しだ」
史上空前の視聴率を叩き出したドラマ、『半沢直樹』。
夢中になった聖和生も多かったのではないでしょうか。
大ヒットした理由や時代背景の解説・分析が各種メディアで盛んに行われ、
余韻はまだ冷めやらぬといった状況です。
堺雅人さん演じる半沢から発せられたこの台詞を耳にした瞬間、爽快感を覚え、
痛快な心地、胸がすく思いをしませんでしたか。中には鳥肌が起った人も。
理不尽で不条理な状況に追い込まれ追い詰められ、様々な妨害に遭いながらも、
正義を貫き、自らの固い決意と信念に基づき行動し続けた主人公が、
最後には悪を蹴散らす、という筋書き。
普段から大小様々なプレッシャーやストレスにさらされ、
時に『ストレス社会』と評される日本で働く人々は、
「勇気づけられた。励みになった」、「苦しんでいるのは恐らく自分だけじゃないんだ」、
「自分では到底実現できないことをテレビの半沢が代わりにやってくれた」等など、
好意的に筋書きを受け入れたと思います。
覚悟を決める、自らを奮い立たせる、ここぞという場面で使われたこの台詞には
しかし注意も必要です。
「悪いことをしたら倍返しされるんだよ~」「悪いことをされたら倍返ししてやるからな」。
「倍返し、十倍返し、百倍返しが当然」という感覚が普通になり、万人に受け入れられてしまえば、
冷静さ、節度を失った勢いのまま、相手の立場やプライドを無視した過激な「やり返し」行為も普通になって、エスカレートする憎しみの連鎖を生みだしてしまう危険性もあります。
あなたを成長させようとして、一見、意地悪に思える「試練」を与える人や、
あなたの将来を心配する余り、
語気を強めてお叱りになる人もひょっとすればいるかも知れませんね。
そういう方々の本当の気持ちに気付かぬまま、
「倍返しだ」となってしまうのは避けたいところです。
聖書の中にも、この「倍返し」を考える上で、非常に大切な箇所があります。探してみて下さい。

さて、折角ですからこの台詞をプラスの意味で捉え直して、
実生活にいかしてみたらどうでしょうか。
試合で相手に1ポイントを奪われたから2ポイントを奪い返す倍返しだ。
先生の質問に上手く答えられなかったから、次回は予習をして倍返しだ。
試験で凡ミスをしてしまったから、次回は基礎基本の問題は全部正解してやる十倍返しだ。
先生の挨拶が暗かったから、私はもう少し明るい声で1、5倍返しだ。
負けん気の強さ、しぶとさ、粘り強さ、ハングリー精神、良い意味での図々しさやしたたかさ、
前へ前へと出ていく気迫が聖和生には乏しいと感じています。
倍返しを誓った人間は変わります。先ずは気迫だけでも変えてゆきませんか。

最後に、感謝の倍返し。何らかの恩恵を受けた時、あなたは倍返しできていますか。
忘れていませんか。
「~してもらって当然」、「~してくれて当然」。いちいち感謝なんかしていられない。
そんな空虚な人間にはなりたくないものです。

おはようございます。
突然ですが、みなさんは、家族や親しい友人に「あなたを大切に想っています」と伝えたいとき、どんな言葉をかけますか。英語圏では、家族や友人に対して”I love you ”というのは割合普通のことですが、日本語では、そうそう「愛してる」なんて言葉は、日常で使いませんよね。だからといって日本人が家族や友人を大切に思っていないわけではありません。身近な人を大切に想う気持ちは、たとえ言葉が違っても、同じだからです。
私はこの聖和の卒業生で、在学中はマレーシアへの長期留学も経験させていただきました。マレーシアでは、英語はもちろんですが、国の公用語であるマレー語も少し勉強しました。そのマレー語の中に、「愛」とも「love」とも違う、とても素敵な言葉があるので、みなさんに紹介したいと思います。マレー語で、「love」を表す言葉は二種類あります。ひとつは、「cinta」という単語で、これは、日本語の「愛」や英語の「love」ときいて最初に思い浮かぶ、一般的には異性に対する恋愛の感情を表します。

もうひとつは、「sayang」という言葉です。これは、家族や友人にたいする愛情を表します。親が子どもに話しかけるときや、とても親しい友人の間で、会話の中や呼びかけの言葉としてこの「sayang」は、日常でよく使われます。私は、この言葉を知った時、とても感動し、心の中があたたかくなりました。言葉というものは、それを使う人々が大切にしている気持ちや感情を一番ストレートに表すものです。だから、私はこの言葉をよく使うマレーシア人は、家族や友人とのつながりをとても大切にする民族なのだと感じたのです。それと同時に、日本語に「sayang」に対応する言葉がないことをとても残念に思いました。

先ほど言った通り、日本人は「愛」という言葉をあまり使いません。「好き」という言葉もありますが、家族や友人に直接伝えることはあまりありません。では、日本人はどのようにして親しい人にその思いを伝えるのでしょうか。

私は、「ありがとう」という言葉だと気付きました。日本人は、感謝の言葉を通して、周りの人々にその気持ちを伝えるのです。ありがとう。「sayang」に劣らず、素敵なことばだと思いませんか?今日はぜひ、この言葉を心にとめて、そしてできれば口に出して、親しい人に伝えてみてください。今日はみなさんにこうしてお話をすることができて幸せにおもっています。

みなさん、ありがとうございました。


今朝はこれで終わります。

おはようございます。
9月7日~8日の学院祭は、多くの方々が盛り上がる企画を考え、そして協力をして楽しく、聖和のため、みなさんのために力を尽くした2日間だったように思います。
さて、夏休み明けのみなさんの生活は、どうでしょうか?
先日、学校が始まって2週間がたったある日、先生方の朝礼で、「2学期に入りネームプレートが無い生徒が多いのが気になります。」という話がありました。1か月近く経ちましたが、まだ、「ありません」と言う人が私の授業の始まりの確認のときにはまだいます。
このことは、何気ない事かも知れません。でも、夏休みの長い期間で、その習慣がなくなり、思いだされる習慣の中で優先されるべきものとしては、夏休みが終わって1か月間の間大切にされなかった人が複数いるということを表すのではないでしょうか?

まずは、体調を整え、学校、家での学習に対する習慣を戻し、生活習慣を戻す中、何気ない当たり前の習慣を重要にしていないと、4月の時の必要だった気持ちから、緩んだものになってしまう原因のひとつになるのでは、ないでしょうか?特に2学期の始まりは、実力テスト、文字力、英語力と学院祭などみなさんにとっては、大切で、力を入れなければならない行事が連続します。

また、そのあとは中間テスト、それぞれの学年活動、音楽のつどいと貴重な経験をする大きな活動が待っています。その中で、掃除でエプロンをつける、無言で清掃活動を行う、元気で明るく立ち止まってあいさつをする。忘れ物をしないようにする。髪型、制服の着方に気をつける。といった当たり前で、何気ないことを忘れて生活していませんか?
大きな行事の中で、忘れてしまいがちな「何気ない事」を大切にする人になることは、大変人としての価値が評価されることなのです。会社員ならば、ネームプレートをつけなければ会社に入れない身分証だったりします。遅刻、欠席が多いとまわりに仕事をしてもらわなくてはいけないので、大きな迷惑をかけることになります。だから、ネームプレートをつけたり、何気ない事にきづくことは、優先順位として、当たり前で、大切なことです。
そう考えると、聖和で生活をするみなさんには、その何気ない事に気づき、目を向け大切にする人になってほしいと思います。そうすれば、将来いろいろな所で、必要とされ、愛される人になると思うからです。

この間、面倒をかける社会人として新聞に載っていた事ですが、
「頼まれた事はできるけど、それ以外に教えてあげないといけない事が多い人」とありました。
その言葉の「教えてあげないといけないこと」とは、その人の人としての姿勢を表しており、「何気ない事に気づいている人」は、それに自分から気づき成長できる人になると思います。
だから、みなさんには、この「教えてあげないといけないこと」に自分から気づくことができるよう「何気ない事に気をつけて大切にする人」になるよう心がけてください。

まずは、掃除や、あいさつする時の自分の声や表情、気持ち、そしてネームプレートを含め、自分の身なりに気遣うことなど全校で取り組んで愛される学校、愛される人になるよう努力をしましょう。

おはようございます。
みなさんは、東京ディズニーランドに行ったことがありますか?
お客さんのリピーター率は97.5%だそうです。
これには、ディズニーランドで働く人たちに大きな秘密があるのです。
今日はピーターパンからの手紙というエピソードを話したいと思います。
ある日、ディズニーランドにお父さんと女の子が来ました。
女の子の名前はナンシーちゃんと言います。
お父さんは、忙しい仕事の合間を縫って、やっとお休みが取れました。

ナンシーちゃんは、フック船長が大好きで、一緒に写真を撮りたくて撮りたくて、
それが楽しみでディズニーランドに来ました。フック船長と写真が撮れるコーナーには、
長い行列ができていました。ナンシーちゃんとお父さんも並びました。

ナンシーちゃんは、フック船長に渡すプレゼントまで用意していました。
ついに、ナンシーちゃんの番が回ってきました。
ところがその瞬間、フック船長がいなくなってしまったんです。

それをみたナンシーちゃんは、大泣きです。でも、ディズニーランドはさすがです。
そんな姿を見て、スタッフがすぐに、「いかがいたしましたか?」と聞きに来ました。
お父さんは怒りました。

「コラー! どういうことだ!散々待たせておいて、
フック船長がいなくなるなんてこれはどういうことだ!」と。
スタッフは、「それは大変申し訳ございませんでした。後ほどお詫びとご説明に伺いますので、ホテルと部屋の番号を教えて下さい。今は時間がもったいないので、こちらのファストパスを使ってお楽しみ下さい。」と言いました。

そう言われたので、お父さんも部屋番号を教えて、ファストパスをもらって、乗り物を楽しみました。
そしてしばらく遊んだ後、ナンシーちゃんはお昼寝のためにホテルに帰りました。
ホテルに戻って、部屋に入るとなんと、部屋の窓が開いていました。

「あれっ? 確か、閉めていったはずだけどなぁ」
と思いながら、ふとベッドの枕元を見ると、こんな手紙が置いてありました。

「 ナンシーへ  フック船長が、今日したこと、ホントにごめん。
あいつね、僕にもあんな意地悪したことあるんだ。気にしないで、また遊びに来てね。
ナンシーの友達 ピーターパンより 」
そして、その手紙の横には、ピーターパンの人形が置いてありました。
これを見たナンシーちゃんは、
「窓からピーターパンが入ってきて手紙を置いていってくれたんだ!!」
と思いました。さっきまで泣いていたナンシーちゃんはもちろん大喜びです。

みなさん、このスタッフのいきなはからいはどうでしたか?
この手紙は、娘さんの夢を膨らませ一生の宝物になるでしょう。
今朝はこれで終わります。

みなさんは自信を持っていますか。
自信をもって堂々と行動できる人は見ていて清清しく気持ちがよく、
総じて失敗をする印象は少ないものです。

少し昔話をします。
私は大学生のとき吹奏楽部に所属していました。
そこで気の合う8人でアンサンブルを結成し、運よく全国大会に出場することになりました。
どソロがある曲でしたが、半年という練習時間、それに練習は疎か2回の予選では音を
外すことがなかったという自負。自信をもって前日の練習を終えました。
そして本番当日。目覚めは早く、いつもと違うということを感じました。
また、全国大会という大舞台、3000人の観客、会場と雰囲気に圧倒され、緊張し、
喉は渇き、手足は震え、心も体も完全に呑まれていました。演奏は言うまでもなく、
どソロの一発目から終始ボロボロ。。。
その時のノミの心臓が悔やまれますが、今となっては良い笑い話となりました。

さて当日の私ですが、感情、気持ちのコントロールが下手だったと言わざるを得ません。
目覚めが良くなかったという思い込み。それから、自分に襲いかかったネガティブでマイナスな思考。
どう考えても良いパフォーマンスなどできるはずがなかったのである。
思い込みの力の影響は時に大きく、更にネガティブ思考は連鎖し膨張していくものである。
あの演奏が、精神状態とは関係なしに実力だったと言われればそれまでですが、もし
「半年も練習したから大丈夫」とか「自分が失敗するはずがない」など、
余裕や自信があれば結果は違っていたのかもしれません。
思い込みというのはポジティブにもネガティブにも作用することは、既にテレビ等でも取り上げられ、
みなさんは知っていることでしょう。

何かを行うとき、自信を持つこと。
根拠がなくても、とにかく自分にとって都合のいい思い込みを持つことで、
それが原動力となり、より良い結果を呼び込んでいくのである。

平成25年9月15日 12時30分より、長崎市内のルークプラザホテルにて、高校3年英語科担任の松隈先生の結婚披露パーティーが行われました。
会場に駆け付けたかった教え子の生徒たちからは、自分たちで作った映像がお祝いのメッセージとして届けられ、幸せなお二人はその大画面の前に座ってとても感激して、見入っておられました。
最後に出席者に対して述べられた新郎・新婦からのメッセージもとても感動的でした。

ご本人の了解を得て、下に写真を掲載いたしました。

お二人で幸せなご家庭を築かれますように、聖和関係者一同、心よりお祈り申し上げます♡♡♡。

今から話すキツネとタヌキの言動について、皆さんはどのような考えを持つでしょうか。

(キツネの言動について)
キツネは長い一本道を歩いてきました。その一本道が二本に分かれている所で、リスに会いました。
リスはキツネに「どこへ行くの?」と尋ねました。
キツネは答えました。「お后(きさき)様に命令されたから、龍の滝に薬草を取りに行かなければならないんだ。王子様が病気になったもんだからさ」
リスが言いました。「どっちの道からも、龍の滝に行けるよ」
キツネは考えました。「どっちへ行くべきか・・・」正解を頭の中で考えています。
正解が見つからず、キツネはリスに尋ねました。「私はどっちに行くべきだと思う?」
リスはいいました。「左の道の先には、きのう恐ろしいオオカミが現われたよ」
キツネは「これは右に行くしかない」と、右に行くことを決断しました。

(タヌキの言動について)
タヌキは長い一本道を歩いてきました。その一本道が二本に分かれている所で、リスに会いました。
リスはタヌキに「どこへ行くの?」と尋ねました。
タヌキは答えました。「お后(きさき)様に命令を受けて、病気の王子様を救うために、龍の滝に薬草を取りに行くんだ。」
リスが言いました。「どっちの道からも、龍の滝に行けるよ」
タヌキは考えました。「どっちの道を行きたいか・・・」自分自身に尋ねています。
タヌキは「右に行きたい」そう言っている自分の心の声を聞き、右に行くことを選択しまた。

キツネとタヌキのそれぞれの言動について皆さんはどのように考えましたか?
キツネに対して「理由や言い訳をしている」「受動的(受け身の姿勢)」「誰かのせいにいている」そのような考えが浮かんだと思います。
タヌキに対しては「自分で目的を持っている」「主体的」「自分自身でやることを決めている」というような考えが浮かんだと思います。

さて皆さん、自分自身を考えたとき、あなたはキツネとタヌキのどちらでしょう。
また、「自分はどちらでありたい」と考えますか?
私は、多くの生徒がタヌキの考えであってほしいと思います。
自分自身で考え、また、見詰めることで
自分の意志で選択し、自分の創り出した結果をそのまま認め、責任を取り、次にどうするかを考える
そのような人であってほしいと思います。

みなさん、タヌキになってみませんか??
今朝は、これで終わります。

 

みなさん,おはようございます。
今朝皆さんにお話しするのは,私の大好きな格言「雨垂れ石をうがつ」,
英語ではConstant dripping wears away the stone.についてです。
意味は,雨の雫が一点を何度も集中すれば,あの硬い石でも穴をあけるということです。
みなさんも縁側にある石がくぼんでいるのを見たことがありませんか?
私が子供の時はそのような石を見た時,人間が道具を使って穴をあけたのだろうとぐらいしか考えていませんでした。事実が分かる年頃になったとき,なんて神秘的な自然の現象なんだろう。また,自然の持つ力の驚異に驚きを隠せませんでした。

この格言は,我々に次の3つのことを教えてくれているように思います。


その第一番目は,集中力の大切さです。

一粒の雨がいろんなベクトルとして石に落ちても,石に穴をあけることはできません。同じベクトルに集中することによってはじめて力が発揮されるわけです。回りの人たちの意見に惑わされてしまい,本来の自分自身の向かうべき方向を見失ってしまうことがあります。冷静になって自分自身のすべきことに集中することが大切だということを教えてくれています。

第二番目は,続けることの大切さです。何十年もまた何百年もの歴史を刻んではじめてあの硬い石に穴を開けることが出来たのです。何かを成し遂げるためには,志を高く持ちこれからの人生において,結果だけを求めあせることなく,何度も失敗をすることを恐れない信念を持つことが大切だということです。その積み重ねが本当の経験になるものです。そしてその経験があなたの貴重な財産となります。

第三番目に,崇高なもの,美しいものに素直に感動する心です。雨によってくぼみの出来た石を見て,自然の力に感動することが出来ますか。人間というのは感動することによって心が豊かになります。心が豊かになれば心に余裕がでてきます。心が豊かな人間は,相手を冷静に見ることもできます。心に余裕がないとき,会話の中で次のようなことばを発したりしてはいませんか。「忙しい」「疲れた」「いやだ」「大変だ」「難しい」「できない」「やりたくない」「やってられない」「ダメだ」「不幸だ」「どうせ」「どうでもいいや」など,どれもマイナスイメージばかりですよね。

逆に心に余裕が出来ると,発する言葉も次のようになってきます。「ありがとう」「充実している」「元気です」「やってみよう」「頑張ります」「楽しい」「うれしい」「できる」などは,どれも聞いていて気持ちよくなることばばかりですよね。

小さなことでもこつこつと日々を反省し根気強く続ければ,明日に繋がる経験が宿ります。それが我々の成長の糧なのです。皆さんも,結果をすぐ求めず,過程の充実を心がけて頑張ってください。そうすればきっと,たくましい人間になれると思います。

今朝のお話はこれで終わります。今日も一日頑張っていきましょう。

2013/07/16
M.S.

今朝は先ずはじめに、みなさんにお礼を申し上げたいと思います。

4月に思いがけず、左足小指を骨折した私に、授業をしている高校生はもちろんのこと、授業で教えていない高校生や中学生までもが、たくさんの気遣いの言葉をかけてくれました。その言葉を聞きながら、本当に有難い気持ちでっぱいになりました。ですから、5月21日(火曜日)、朝の話で、今は産休中のS先生が「多くの生徒さんが気遣ってくださることへの感謝と、多くの方々からの支えの有難さ」に対して、お礼をおっしゃった時、私もS先生と全く同じ気持ちでうなづいていました。生まれて初めての骨折で、ギプスをはめられ、大袈裟と思うほどに包帯でぐるぐる巻きにされたその時から、今までのように歩くことが出来なくなりました。ギプスをしている時は勿論、外した後も腫れがひかず、左足をかばった歩き方で、すっかり「歩く」という動作を忘れてしまったようでした。小指ですら、この有様ですから、大きな骨折はどんなにか大変だろうと思いました。

さて、日本語には、「骨を折る」という慣用句があります。「苦労をいとわず、働く。」「尽力する。」という意味です。まさに、この「骨を折る」とは、先人たちが、実体験で「骨折」をして、「骨を折るほど大変なこと、力が要ること」となって生まれた言葉ではないかと思います。

今日は、行事の変更が無ければ、校内国語弁論大会でしたが、18日のクラスマッチと入れ替わりました。いろんな行事を無事に迎えることができるのは、先生方は勿論のこと、生徒会はじめ、多くの生徒が、気持ちよく笑顔で仕事を引き受けてくれるからです。「学校」は先生方だけでも、生徒だけでも成り立ちません。お互いが一つになって動き出すのです。行事の結実は、まさに、生徒、先生方の「骨折り」のおかげです。「骨折り損のくたびれもうけ」にならないように、思い出深いクラスマッチ、有意義な英語、国語弁論大会となるように、協力して、無事に、終了できるようにしましょう。

おはようございます
もうすぐ1学期が終わりますね。みなさんにとって、どんな学期でしたか?
学期や年度が終わりに近づくと、私は、古文の『徒然草』にある「高名の木のぼり」を思い出します。

ある時、木のぼりの名人が、使用人に命じて高い木にのぼらせて、枝を切らせていました。高いところにいる時は、名人は何も言いませんでしたが、使用人が低いところまで下りてきた時に「気をつけて下りなさい」と声をかけました。
名人が言うには、「危険なところにいる時は、自分で気をつけているが、失敗とは、安心できるようなところになって必ず起こることだ。」と。
私たちの生活でも、慣れてきた時やゴールが見えてきた時に思わぬことが起こります。夏休みを目前に控えた今、気持ちを引き締めたいところです。
今週末の特別講座や来週のクラスマッチ、国語弁論大会、英語弁論暗唱大会といった行事を通して、自分を磨き、友情を深め、周りの考えを学ぶことができるはずです。
学期の締めくくりが良い形でできるように、「気をつけて」過ごしましょう。