心のとびら

先生から伝えたい言葉

生徒の皆さんの心に留めておいて欲しいことを先生が交代で話をします。

みなさん、おはようございます。高校生は選手・応援と高総体期間中は慌ただしく過ごしたことと思います。私はバレーボール競技しか応援に行けませんでしたが、毎日朝早くから遅くまで練習に励んでいた皆さんを見ていて、こちらが元気をもらっていたように思います。

さて、今朝は「木」という字の成り立ちについて紹介したいと思います。「山」や「川」のように、漢字は様々な形をもとに作られています。皆さんは「木」という字が何を表しているか、考えたことがありますか?

 聞いたところによると、「木」という字の第一画目は地面を表しているとのことです。そして、二画目の縦線は、幹を表しているとのこと。

もう分かるかもしれませんが、三・四画目は根を表しているそうです。

つまり、私たちが普段目にしている「木」は、漢字の由来から考えると少ししかありません。地面からはみ出ている部分のみを見て、私たちは「木」を見ているつもりでいるのです。

高総体での皆さんの活躍を近くで見て、この「木」の話を思い出しました。

選手の皆さんは本番の日まで、人から見えない所で練習を積み、涙を流し、悩んだことでしょう。

これから試合を控えている文化部の皆さん、中学生の皆さんの努力が良い結果に結び付くことを願っています。

 

雨にも負けず 風にも負けず

岩手県花巻出身の詩人、童話作家でもある宮沢賢治の死後、彼のカバンに入っていた手帳から発見された詩の一節です。詩のモデルとなった人物は、賢治とも交流があった斎藤宗次郎という、キリスト教の信者であったらしい、ということを最近知りました。斎藤さんの生き様を知り、この詩はより深い感動を私に与えてくれました。試験が終わったら皆さんも是非調べてみてください。

 

体感温度は35℃にも達するという暑さの中で、なでしこジャパンが見事準決勝に進出しました。

「確かに暑かったですが、湿気の高い日本の暑さに比べれば苦ではなかった」と、インタビューに答える選手の言葉を耳にして『雨にも負けず』の詩が脳裏をよぎりました。ハーフタイムに入った直後に、ぐったりとピッチを歩くオーストラリア選手を尻目に、小走りでロッカールームへ向かうなでしこたち、ゴールを決めた直後も、無駄な体力を使っていそうだなぁと余計な心配をしてしまうぐらい、喜びを爆発させる姿に底知れない強さを感じました。

普段から日本で暮らしている人は春夏秋冬を知っている。自然の恵みや優しさ、穏やかさや美しさ、豊かさを知っている。時折牙をむく自然の凶暴性や理不尽な仕打ちも知っている。季節の移ろいが緩やかな時も、ガラッと変わることも知っている。何気なく暮らしている私たちの日常は、実は他の国や地域に暮らす人たちにとっては、とてつもなく羨ましいものであり、恐ろしいものでもあります。

変化することが日常の日本で暮らしてきた人々は、微妙な変化も見逃さず楽しみ、文化や芸術にまで取り込み、僅かな変化で危険や困難さを悟り、解決のための知恵をつけたり習慣を生み出してきました。急激な変化にもへこたれず、乗り越え、真剣に向き合ってきた歴史が、暑さや寒さが続く無変化の環境にも対応できる強い心と身体をつくることにつながりました。

「雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち 欲はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている」

先日、うだるような暑さでも集中力を切らさず、他校の選手に挑み、一心不乱にボールを追っていたテニス部の生徒、遅くなりましたが、中体連・高総体に全力を出し切った選手の皆さん、声を振り絞って応援した皆さん、日本のDNAをしっかり受け継いでくれていましたね。お疲れ様でした。明日からの試験もがんばってください。大きな上向きの変化を期待しています。今朝はこれで終わります。

 

先日、メンフィスオープンというテニス大会で、錦織圭選手が優勝を果たしました。3連覇という相性の良い大会です。優勝しても控え目に、はにかみながら喜びを語る彼の姿は印象的でした。皆さんは松岡修造というテニス選手をご存知ですか?バラエティ番組で見せる明るくおしゃべりなキャラクターも素敵ですが、テニスの大会で解説を務めている際の、冷静で口数は少なくてもここぞという場所で的を射た彼の発言にも素晴らしいものを感じます。人は集中している時、口数は自然と少なくなるものです。試合や演技の最中にずっと騒がしく、声を出してばかりいる選手はいないでしょう。口を開くべき時と、口を閉じるべき時を知っているか、使い分けているかどうかです。今日は『口』という字にこだわってみたいと思います。先ず、『口』はそのまま『人』を意味するのではないでしょうか。『人口』という言葉に使われている『口』、中国の史書に用いられた歴史用語の『生口』は生きた口と書き、『セイコウ』と読みます。奴隷という意味があります。『口減らし』という言葉も、「家計が苦しいので家族の者を他へ奉公に出すなどして養うべき人数を減らす」という意味です。『口』という字を3つ並べると『品』という字になりますね。『口』を4つ、『大』きいという字で区切ると『器』という字になります。では、『品格』という言葉を考えた時、『口』は『人』を意味するので、『品格』はそのまま『人格』と置き換えることが出来ます。『上品』も『下品』も、そのまま人格や生き様に当てはめられる言葉です。『器』という字を使った表現もあります。「あの人は器が大きい、器が小さい」、「器量が良い、器量が悪い」など、人柄や人間性を表現するのに『口』という字は深く関わっています。さて、聖和では今週からあいさつ運動が始まっています。聖和の伝統として無言清掃も引き続き行われています。卒業式も間近に迫っていますね。口を開くべき時、閉じておくべき時を意識して行動する場面が多くなります。繰り返される決められた動作、習慣づけられた動作は美しく、人を惹きつけます。そうした動作は静かであるべきことが前提条件になっていることが多いのではないでしょうか。さて、しばらくの間、皆さんも口を開くか閉じるか見極めていくことを意識してみませんか。

高校3年生と中学3年生にとってはあと10日ほどで卒業式を迎えます。
私は、前々校長のシスターが卒業式の式辞で次のように仰ったのが今でもとても印象に残っています。「世界の平和を望むのならば、まずはあなた方の足もとからそれを実現してください。」と言われた言葉です。
世界平和というときに、私たちはついつい遠い紛争地域の平和のことを考えてしまいがちです。ではあなたの身近なところにその戦争の種はありませんか?とシスターは問われました。あなた方の家庭ではどうでしょうか?お父さんやお母さん、おじいちゃん・おばあちゃん、お姉さんや妹・弟などの兄弟と仲良く過ごしていますか?クラスのお友達とはいかがですか?誰かの悪口を言ったり、仲間はずれの友人はいませんか?いつも一人で寂しそうにしているクラスメートを、見て見ぬふりをしていませんか?人が傷つくような言葉を簡単に口にしていませんか?
遠い遠い国々で起こっている悲惨な戦争も、最初は小さなもめ事からのスタートだったのかも知れません。自分がもし身近な人たちとの心の交流ができていないとすれば、シスターが教えてくださったように、決して世界の平和を願っていると言うには、まだまだその資格が足りないのかも知れません。こういう私も、身近な人たちに心を開いて、相手の立場に立って誰とでも仲良くふるまう行動ができいるのかと問われれば、残念ながらまだまだ十分には実行できていません。
本校教育理念の柱である“隣人愛の精神‘’は、口で言うのは簡単ですが、実行するのは本当に難しいことだと思います。自分に冷たい人、自分にとって都合の悪い人、自分の陰口を言う人、周囲には実にいろんな人がいます。自分に限らず、自分の家族や自分の大切な人が辛い思いをさせられたり、悲しんだり悔しい思いをさせられたり、ましてや命を奪われたりしたら、その相手を憎む気持ちを抑え、相手の罪を許すということは、本当に難しいことだと思います。
学校では「相手の人たちを、その人たちの立場に立って、自分と同じように愛しなさい。自分がされて嫌なことは、人にしてはいけません。」と隣人愛の意味を教えています。
おそらく多くの皆さんも頭の中ではわかっているはずです。そしてそれをいつも実行できているという人もたくさんいると思います。そんな人は本当に偉いなぁ、と心から尊敬します。私はまだまだ修行が足りません。
そこで、卒業生への私の最後のメッセージとして、本校の校訓をもう一度意味をかみしめながら、ここであらためて紹介し今朝の話を終わります。
「苦しむ人と共に苦しみ、喜ぶ人と共に喜べるよう、キリストの愛の心で人々に接しよう」
今朝はこれで終わります。

おはようございます。2015年が始まり20日が過ぎました。
みなさん、今年の目標は立てましたか?

さて、冬休みに実家に帰った際、ふと高校時代の卒業アルバムを開いてみました。私が通った鹿児島の高校は当時10クラスあり、私は自分が何組だったかも覚えていませんでした(たしか2組か3組でした)。不器用なりに、毎日を過ごしていた高校時代、印象に残っているある方の講演会での言葉があります。当時、母校では様々な分野で活躍されている方をお呼びしての講演会が開かれていました。阿川佐和子さんや恵俊彰さんなど、メディアの表舞台で活躍されている方もいらっしゃいました。

その中で、元NHKのアナウンサー、宮崎緑さんがいらっしゃった時のことです。その時はすでに国際政治学者やジャーナリストとして、中東を中心に飛び廻られていました。そのなかで、アフガニスタンに行ったときの話をしてくださいました。世界には、戦争が正義で、人を殺めることに幸せを感じている子どもたちがたくさんいる。何の悪気もなく、純粋にそう信じている場合があるとのこと。高校2年生の夏、進路や将来を考えていなかった私のなかに、教育という言葉がよぎったのは、その時だったかもしれません。

他のどんな時とも違う、特別な言葉や瞬間は、これからみなさんにたくさん訪れると思います。その時、みなさんはより輝けるのではないでしょうか。三年生のみなさんは、いよいよ卒業が近づいてきました。新しい環境でも輝いてください。
今朝はこれで終わります。

おはようございます。2015年の新年が明けて、今年をどんな年にしたいか?
抱負・目標を立てた人も多い事でしょう。

私は、何においても「準備八割」というこの言葉を大切にしています。
これは、昨年末から行われていた全国高校ラグビー選手権で優勝した東福岡高校の監督さんが以前に何かの時に言っておられた言葉です。それを自分なりにいろいろな事や、多くの状況で常にこの言葉を大切にし、10年間、3年間、1年の計画、1カ月、1週間の計画それから今日1日で行うようにしています。
また、今年の春の高校バレーで優勝した東福岡高校の男子バレー部の藤元監督も1年間の計画を分単位で練習計画を立てていると聞いたことがあります。
計画を立てるということは、その通り行うことも大切ですが、無理な計画になっていれば立て直し、足りなければ補う、短い期間の計画で失敗する結果に終わったならば、修正していくことで大きな目標に近づくうち、経験値が積み重なり目標達成のためのしっかりとした計画を立てられるようになる。それこそが、人生における成功するための経験になっていくのだと思います。
ただ、あと2割は「全力を出せる事・出し切るだけの強い心」だと思います。日頃の自分の姿勢が、劣勢のときの強気な気持ちや調子がいいときに油断せずに進める気持ちを育てると思います。
これは、スポーツに限ったことではありません。今週末は、各クラブの新人戦などの試合、高校3年生にとっては人生を決めるセンター試験が行われますね。今まで計画してつけてきた力をすべて出し切って戦って来て下さい。

おはようございます。

去る11月23日は勤労感謝の日でした。この日が「勤労感謝の日」と定められたのは戦後のことで、それまでは、「新嘗祭」という穀物の収穫に感謝する日でした。「新嘗祭」の歴史は古く、奈良時代に編纂された『古事記』の中にも、その記述が見られます。宮中では、二日間にわたって深夜まで儀式が続く、重要な行事であったそうです。

食べ物への感謝を表す行事は古くからあったことが分かりますが、食前に「いただきます」と言うようになったのは、江戸後期のことだそうで、比較的新しい言葉であったようです。
「いただきます」というとき、目の前の、食事を作ってくれた人だけでなく、野菜を作った人やそれを運ぶ人など、その食に関わっているけれど、直接会うわけではないすべての人に思いを馳せ、感謝の気持ちを表したいものです。
実は「いただきます」は本来、そうした「人」に対する感謝である前に、食材の「命を頂く」という意味が込められた言葉であるそうです。肉や魚といった動物だけでなく、野菜のような植物にもすべて「命」が宿っていると考えるのが、日本古来の考え方です。食べ物の命をいただいて、自分の命にかえさせていただくという感覚を大切にしたいと感じます。また、そのような感謝の気持ちを、食事だけでなく、日々のあらゆること、目に見えないことや小さなこと、或いは嫌なことなどに対しても持てるようになりたいと思います。
つらいこと、苦しいことにも、自分を成長させてくれるのだとプラスに捉え、「ありがたい」という心境になることができたら、これほど素晴らしいことはないと感じます。

 

 

 おはようございます。早いもので遡ること約3ヵ月前のことになりますが、私の結婚に際して温かいお祝いの言葉をくださったみなさん、本当にありがとうございました。この場を借りて御礼を言わせてください。
 さて、その結婚の報告もあり、約2年半ぶりに以前働いていた職場のホテルを訪れたときのことです。
ホテルに一歩足を踏み入れた時、ブランドスーツに身を包み、首にはおしゃれなスカーフを巻いて、とびきりの笑顔でお客様をお出迎えしている元同僚がとてもまぶしく輝いて見えました。一緒に入社した同僚は、今ではチーフと呼ばれ、後輩に慕われている様子でした。その光景を見て、良かったねと微笑ましく思う一方で、その同僚に自分の姿を重ねて、もし私が今もここで働いていたら、今頃私は、彼女たちと同じように今もあのスーツに身を包み、「○○チーフ」と呼ばれていたのか…そう思うと何だか少し切ない思いがしました。懐かしい思いと同時に、何だか一緒に働いていた同僚たちがすごく遠い存在にさえ思えました。
 そんな思いに浸っていると、元同僚がこっそりと耳打ちしてきました。「実は私、10月いっぱいなんです。」つまり10月末で退職するということでした。理由を尋ねると「精一杯頑張ってきましたが、精神的にも、体力的にも…もう限界です。」もともと体が弱かった彼女には、ホテルフロントの仕事は相当な負担になっていたに違いありません。彼女はそう答えると、だからこそ残りの時間を後輩の育成のために精一杯使いたいと涙を流しながら答えました。
 瞬時に、はっと現実に引き戻されました。「隣の芝生は青く見える」…まさにその通りだと思い知らされた瞬間でした。今の自分が与えていただいている聖和女子学院の英語科の教員であるということを満足にできていないのに、他を少しでもうらやましいと感じた自分を何だか恥ずかしく思いました。
 こんなはずじゃなかった。あの人がうらやましい。なんであの人が…。などの不平不満は生きている限り沢山あります。でも、考え方を変えると、不平不満が出てくるということは、自分自身がこれから一所懸命に取り組むことで、良い方向に変えられる部分が、まだまだ沢山あるということではないのでしょうか。そう考えると、「よーし!やるぞ!」と何だかやる気が湧いてきて、表情も明るく笑顔になったような気がするから不思議です。
 Sr.渡辺が教えて下さった、思い通りにならないのが当たり前、思い通りになったら、それは奇跡、「ありがとう」と感謝をすること。その言葉を聞いて、私の周りは沢山の「ありがとう」で溢れていると思いました。そう思うと、大げさかもしれませんが、今声を発していること、原稿を持つ手があること、そんな当たり前のことがものすごくありがたく思えるのです。
 きついなと思った時に、以前誰かがテレビで言っていた言葉をよく思い出します。「生きてるだけで丸儲け」という言葉です。生かされているという喜び、それは私たちの周りにいる人たちがいて初めて、味わえるものです。何歳になっても、どんな場所であっても、自分が与えられた場所で感謝の気持ちを決して忘れてはいけないと思います。これから、もっと周りの人を大切に、自分を大切に、生きている時間を大切に生きていきたいなとしみじみと思います。
 みなさんは、周りの人や自分を大切にするということは、どのように考え、行動することだと思いますか。ぜひ一度じっくり考えて、今日一日を過ごしていただけたらと思います。

おはようございます。保健体育科、入試広報部のK.Hです。
昨日は学校紹介DVDの撮影に協力していただきありがとうございました。スタッフのかたもみなさんの事をほめていらっしゃいましたし、私もあらためて聖和の生徒達と先生方の素晴らしさを感じました。今後もミサと卒業式とあと2回撮影がありますので、ご協力をよろしくお願いします。

さて、久しぶりの朝の話でかなりプレッシャーを感じていますが、今日は私が現在の仕事をしている中で最近思うこと感じていることを話してみたいと思います。

聖和は今年60周年を迎え、私自身も30年目を迎えました。周りからみたらベテランの先生だと思われるかもしれませんが、最近の自分を振り返り、教員としても社会人としてもまだまだ修行が足りないと思うことがよくあります。例えば教員としては、生徒や保護者に対してもう少し心配りができてたらなーとか、授業の指導内容をもっと工夫できたらシュートがうまくなってたかなーとか、毎日が反省の連続です。
また、現在、聖和の入試広報担当として外を回る仕事が多いのですが、自分が決めていることを全て実行できているとは限りません。お辞儀は相手より深く頭を下げること、柔らかく丁寧な言葉遣い、どういう状況であっても常に笑顔を作ること、その場の空気を読み、話し上手になるか、聞き上手になるかを瞬時に判断をすることなど。特に最近よく思うのは年々標準語がうまく話せなくなっていることです。久しぶりに会った先生に「元気しとらしたですか?」などと佐世保弁丸出しの自分が営業マンとして恥ずかしくなる時もたまにあります。次に服装に関して。私の父は保険の外交をしていたこともあって、たまに私にイエローカードを出します。足下は常にきれいに、靴はいつもピカピカにしておくこと、カッターシャツの襟元はピシッとズボンも折り目がきちんとしてること。車も汚れた車では絶対に回らないことなど結構うるさいです。50代半ばの人間が何でここまで気を使わなくちゃいけないかと思う時もありますが、これも仕事のうちだと思って努力しています。

話は変わりますが、仕事上、上の立場のかたと話をする機会が多く、また、同年代の方がほとんどなので、話の中でつい昔と今を比べることがよくあります。そういう話をする事自体が年を取った証拠だと思うのですが、昔に比べて社会に出てからの縦社会の関係が少し変わってきたような感じがします。聞くところによれば、最近は次のような新入社員が増えているようです。上司や先輩にあまり質問や相談をしない、学歴は一流で仕事もできるが謙虚な姿勢に欠ける、飲みに誘われても都合が悪いと断る、仕事とプライベートをはっきりと区別し過ぎているなど。確かに今の時代それが普通なのかもしれませんが、私は少し疑問符が残ります。
ちなみに2012年の就職してから3年後の離職率(仕事を辞める割合)ですが、高卒で約40%、大卒でも30%を超えるそうです。そして、その理由の多くがコミュニケーション能力不足による人間関係が原因だそうです。携帯電話やパソコンの普及でメールやライン等かなり便利な世の中になりましたが、文字伝達だけではコミュニケーション能力は高まりません。人と会話をしてこそその能力は高まると思いますし、会話をする時の表情も大事な要素のひとつです。私はコミュニケーション能力を高めて得することはあっても、将来損をすることは絶対にないと思います。みなさんは聖和女子学院で勉強以外にもいろいろな事を学んでいます。コミュニケーション能力を高める機会もたくさんあります。今以上に人間性を高めることができるようお互いに努力していきましょう。いよいよ今週は期末考査が始まります。みなさんいつ勉強するんですか?
今、皆さんは将来の選択肢を拡げるために色々な教科を勉強しています。先ほど述べた30パーセントにやむを得ない事情で入ることもあるかもしれません。自分の将来の選択肢が拡がるよう一歩一歩努力して下さい。今日話をした内容が皆さんの将来に少しでも参考になれば幸いです。
今朝はこれで終わります。

おはようございます。

先々週は音楽の集い、一昨日は60周年記念式典と、行事が立て続けでしたが、皆さん一人一人の意識が高く、どちらとも素晴らしいものになりました。
私もこの聖和で学び、卒業しました。
そしてまたこうして機会を頂き、聖和で皆さんと一緒に過ごし、学べる事、本当に幸せに思っています。
二年前に起こった東日本大震災では多くの方が被害にあわれ亡くなられました。皆さんももう知っていると思いますが、先日もフィリピンでは台風の被害によって多くの方が亡くなられたそうです。
自然災害や事故は、いつどこで起きるかわかりません。
今、自分たちが生きている事、そのために支えてくれている家族や友達、たくさんの方々がいる事を忘れず、感謝の気持ちを持ち、一日一日、一瞬一瞬を大切に生きてほしいと思います。

学校生活の中では、勉強に部活など、大変なことも沢山あると思います。

皆さん「大変」という字を思い浮かべてみてください。
「大変な時は、自分が大きく変わるとき」
大きく変わった自分を思い浮かべながら、一つ一つ前に進み、乗り越えてほしいと思います。

最後に私の心の支えになっている言葉を紹介したいと思います。

「いい事が起こったから笑顔になるのではない、笑顔だからいい事が起きる」
今日一日、そしてこれからどんな時も笑顔で過ごしてみてください。
聖和の皆さんには、感謝することができる、笑顔輝く素敵な女性になってほしいと思います。
今朝はこれで終わります。